ミストの変化
平和な日常は退屈だ。
春先の午後2時ほど、暇でうららかで平和を咬み殺す時間は無いと思う。
ミストは欠伸を隠すこともなく、大口を開けて欠伸をしていた。
雇い主のヴォルフが営む魔石商店があるビルの1階、最近オープンしたカフェにミストはいた。
「…ヒマだねぇ。」
何をするでもなく、先ほどからカウンターの端に座っているミストは店内を見渡しながら呟いた。店内はちょうど客がいなくなり、ミストと店主であるマトイだけになっていた。
「ミストさん!ちょうどお客様も引いたから軽く何か食べませんか?」
店の奥にある厨房からひょこっと顔を出してマトイが問いかけてきた。
まだあどけなさの残るまんまるタレ目の瞳が無邪気に見つめてくる。
「そうだね。じゃ、サンドイッチでも貰えるかい?」
少し気だるげにそう答えると、マトイは軽く返事をしてすぐ厨房に戻っていった。
マトイは今年16になったばかりでありながら、このビルのオーナーである祖父の一言がきっかけで店を営むことになった。
あの子なりにこだわり抜いた店内の装飾や、腕に磨きをかけたメニュー、そして周りの人達の力を借りながら一日一日を一生懸命に働いている。
本人はかなり抜けてる部分があり、よくドジをやらかすタイプで、カフェを経営するという話しを聞いてから気が気じゃなかったこともあり、ミストはこうしてたまに店に顔を出しては手伝ったり檄を飛ばしたりしている。
年が離れている分、出会った当初から妹のように可愛がっている所がある。
ミストは2年前にここ「商業都市パルミド」に流れ着いた。
これまで生きてきた生業でヘマをし、追っ手から逃げる為にこの街のスラム「端街」に身を潜めていたが、訳あって過去の商売敵であるヴォルフに助けられた。それ以来、ヴォルフが営む「魔石商店」の用心棒として雇って貰いつつ、ヴォルフの居住で居候をしている。
かつては敵でもあったが、今では敵対するような感情はなく、むしろ世話になった恩人として義理を果たしたいと考えている。
「ミストさ~ん!お待たせしました、今日は私特製のホットサンドです!」
自信満々の笑みを浮かべながらマトイは厨房からホットサンドを乗せたプレートを持って来た。コトリと目の前に置かれたプレートから香ばしいパンの匂いが鼻孔をくすぐる。
ミストは手づかみで一つとると、そのままガブリと頬張った。普段気むずかしい顔をしているが、美味い飯と旨い酒をのどに通す時は自然と顔がゆるむ。
とかく、マトイの手料理は好物の一つだった。どんな簡単な料理でも相手を思いながら作っていることを感じる優しいものだ。それは自然と口にする客にも伝わるのだろう。オープンしてからマトイの手料理や笑顔を目当てに来てる客は多い気がする。
こんがりと焼けたパンの表面に中はとろりと溶けたチーズと少し厚めのハム。
シンプルだけどけして質素さを感じさせないコンビネーションは、何回も食べたくなる中毒性があった。
もくもくと食べ進めていたミストだが、ふと顔を上げるとマトイがカウンターに肘をつきながらこちらの食べてる様子をじっと見つめていた。
「…?なにかアタシの顔に付いてるかい?」
珍しく見つめてくるマトイにミストはプレートにある最後の一枚をマトイの口に差しだした。
差し出されたサンドイッチに少し驚きながらも、マトイは一口囓った後に答えた。
「ううん。なにも付いてないですよ。ただ、初めて会った頃に比べてすごく表情豊かになったなーって思っただけです。」
「表情豊か?アタシが?」
はい、というとマトイはミストは持っていたサンドイッチを受け取って少し微笑みながら言葉を続けた。
「最初はすごく無表情で、この人笑ったこと無いんじゃないかなって思ってました。それから色々あって感情を表に出すことが苦手なだけなんだって知ってからは、時間をかけてでも心から笑える瞬間ができたらいいなって思って一緒にご飯食べたり、ショッピングに付いてきて貰ったり色々ミストさんにお願いしてみました。ちょっと苦手そうでしたけど。」
マトイは少し思い出したのかクスリと笑った。これにはミストも少し苦笑した。
「あの頃は誰かといること自体に慣れてなかったからね。さすがにショッピングとかはハードル高かったの覚えてるよ」
そう言いながら、初めてマトイと二人で買い物に出た時のことを思い出していた。
仕事抜きで女の子と出歩くことも、ましてや最低限の日用品以外で買い物に出ることも初めてだった。自分の好きなもの欲しい物が分からない状態で、マトイに引っ張られるがままに店を行き来していたのを思い出す。あの時の自分は嬉しいという気持ちよりも不安の方が大きかったかもしれない。
「今ならいくらでも買い物に付き合えるし、なんならアタシの買い物にも付き合って欲しいくらいさ」
「ふふっ。今度一緒に行きましょうね!」
ミストの誘いが純粋に嬉しいらしく、マトイは無邪気に笑った。
「そうだ!今話してて思い出したんですけど、ミストさんがよく笑うようになったのってヴォルフさんとお酒飲んでからじゃないですか?お酒飲むようになってからすごく性格変わった気がします!」
「ああ、たしかに…」
自分でも自覚していた。これまで生きてきた自分から抜け出せたのはヴォルフと酒を飲んで全てをさらけ出したからだと。
儀式や仕事の時以外口にしてこなかった酒を自分で飲み、加減が分からないくせにヴォルフと飲み比べをして、お互い天も地も分からないくらいにへべれけに酔って初めてこれまでの自分のことを話した。誰にも言えなかったことをヴォルフに話し、誰にも言わなかったことをヴォルフは話してくれた。そうやって互いに全てを話して、初めて生きている人間の心を知った。
そこから自分の中にあった人間に対しての敵対心や疑心暗鬼、認識や希薄感が溶けていった気がする。
「あれだよ、酒飲みになって自分の醜態晒すようになっちまったから、色んな恥ずかしさが消えたのかもしれないな!」
「もう!ミストさんったら」
あっけらかんとしたミストの言葉に少し頬を膨らませてマトイはぷりぷりと怒った。
ミストは冷え切ったコーヒーを一口すすり、改めてマトイを見た
「アタシがこうして笑って人間らしくいられんのは、マトイやアイツのおかげさ」
感謝してる、聞き取れるか聞き取れないかくらいの小さな声で呟いて、残っていた珈琲を一気に飲み干した。
平和な日常は退屈だ。
それでも平和の中で過ごすこの穏やかな一時が、今の自分を作ってくれた事に
アタシは感謝している。
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