灯籠

 夜。

 私はエドワールの私室——まあ、つまり私の私室でもあるのだが——で、今朝の新聞を読んでいた。キッチンのある共有部屋の机の上に置かれていたので、手に取ってみたのである。


 管理庫で話に聞いていた通り、あのパーティーで起きた一連の悪夢のような出来事は大きく記事になっていた。一面の大見出しには『公爵家の一大不祥事!? 貴族社会の闇』と書かれている。最悪な気分だ。


 記事の内容は、私がいかにアンナに対し陰険な嫌がらせをしていたのかというもの。そして、それを切り口に「貴族社会に蔓延る家族間の確執」という論調へと天界していた。記事の文章から筆者が貴族のことを好いていないことがにじみ出ていたが、私の不祥事を利用して思想を広めるのはやめてほしい。


 机の上には、他の出版社の新聞もいくつか摘まれていた。試しに目を通してみる。

 七割がた「王太子の婚約者が変わった」という点がクローズアップされた記事で、残りは私がアンナを虐げたという偽りの罪を報じていた。中には「イザール様の新たな婚約」を大見出しに、私を糾弾する記事をサブに置いた閉めんすらある。他国の新聞にまで記事が載っているあたり、私の活動を抑えるために王国が圧力をかけているようにすら思えてくる。あるいは、公爵家の差し金だろうか。

 どちらにせよ、私にとっては不都合な記事ばかりだ。気分が悪くなったので、全て畳んで脇に置いた。


 ちょうどそのとき、シャワールームからエドワールが出てくる。

 一日の激務を終えてすぐにシャワールームに直行した彼は、私が新聞を読んでいたらしいことに気が付くと、バツの悪そうな顔をした。


「……それ、読んだのか?」

「ええ。ずいぶんと好き勝手に書かれたものね。不快だけど、仕方のないことだわ」


 すまし顔で紅茶を啜ると、エドワールはため息をついて向かいの席に座った。


「ここに置いてあるのは、この国のすべての新聞社の記事じゃない。他の紙面には、アンタがこれまで王太子妃としての務めを果たしてきたのを踏まえて、本当に妹を虐めていたのか? と疑問を滲ませるものも少なくなかった。証拠がある以上『冤罪だ!』とは書けないが、腑に落ちていない論調が目立ったよ」

「そう。今までの私を見てくれていた人は、ちゃんと居たということね。……それで、何で今回の断罪劇を肯定する記事を集めていたの?」

「違う、意識したわけじゃない。結果的にそうなっただけだ」


 そう言って、彼はタバコに火をつける。


「ここにある新聞を出した出版社は、全てグラティエール公爵の息がかかった組織だ」

「! やっぱり……」


 私の反応に、エドワールは肩をすくめた。


「『融資してくれる貴族様のことを、悪くだなんて書けません! 全て、追い出された女が悪いのです!』なんて、素晴らしい忠誠心じゃねえか。……ま、上からの圧力だろうな」

「なるほど……限られた言論の中で、恨みを抱いて貴族批判に走りたくもなるわね」


 理不尽な圧力を受けたら、悪口の一つも言いたくなるものだ。そう納得して、椅子に深く腰掛けた。

 ふと、窓の外に目をやる。


「……わあ、綺麗」


 思わず、そんな言葉が口からこぼれた。


 夜空に、無数のオレンジ色の光が浮かび上がっていた。灯籠の群れはゆっくりと高度を上げ、空いっぱいに広がっていく。幻想的で美しい光景だった。


 私の声に気づいたエドワールも、窓の外に視線を移す。彼は目を細め、少しだけ楽しそうに微笑んだ。


「そういえば今日だったな。うちの宿舎で暮らしている子供たちのためにと職員の一部が企画して、定期的にイベントを行っているんだ。今夜は『灯籠祭り』だとよ」

「へぇ。この宿舎って、子供も住んでいるのね」

「ああ。うちは新興商会だから職員も若い人間ばかりで、子育て中の者も多くてな。宿舎内には簡易的な学校もある」


 なるほど。確かに言われてみれば、昼間会った解析チームの面々は若かったし、すれ違う職員たちも私と左程年が離れて見えなかった。しかし学校も完備しているとは、この商会はなかなか福祉が手厚いようだ。


 幻想的な夜の景色を眺めている。ふと気になって地面に目を向けると、中庭には人々が集まり、楽しげに夜空を仰いでいた。露店まで出ていて、皆それぞれに笑い合い、子供たちが無邪気にはしゃいでいる。

 人混みの中に、昼間会った解析チームの職員たちの姿を見つける。露店や通行の整理で忙しそうに働いていたり、子供たちと楽しそうに遊んでいるのが見えた。あの中庭に居る人々は皆、とても幸せそうだった。


 ——ああ。なんて、眩しいのだろう。私は目を細める。



「アンタも行ってきたらどうだ? ここからよりも、もっと近くで見た方が綺麗だぞ」

「いいえ。罪人の私が行ったら、せっかくの楽しい空気を壊してしまうもの」

「今更そんなことを気にしだすなんて……ああ、新聞を片づけておかなくて悪かったよ。別に、冤罪なんだから胸を張ってりゃいいだろ」

「そんなことは分かっているわ。でも、彼らにとって私が罪人だという事実は変わらない。そんな人間が来たら、気を遣うでしょう? 折角家族で楽しい時間を過ごしているのに、余計な気を遣わせたくないの」


 私は一息ついて、紅茶を口に運ぶ。

 エドワールもそれきり何も言わなくなったので、私は心地よい火鉢が燃える音を聞きながら、外の灯籠を眺めていた。

 そんな静かな時間を過ごしていたら感傷に浸りたくなってしまったのか、ふと、幼い日の記憶が蘇った。


 小さい頃、アンナと一緒に祭りに行ったことがある。公爵邸の近くの街で行われていた春の訪れを祝う祭りで、街中が花で彩られていた。寒冷地ゆえ、雪解けの春は祝福そのものだったのである。

 あの日は、勉強がうまくいかず泣いていたアンナを連れ出して、使用人の目を盗んで遊びに行った。僅かな小遣いで買った焼き菓子を分け合ったあの日。私にとってかけがえのない、大切な思い出だ。


 ——いつからか、アンナは変わってしまった。

 幼い日のひたむきで優しい妹の姿を思い出し、胸が締め付けられる。


 もう失くしてしまった、家族と笑い合う幸せ。だからこそ、それを享受している人々の邪魔はしたくなくて、私は今窓辺から祭りの様子を眺めている。



 ——目を覚ましなさい、ファニー。アンナはあなたを裏切った。彼女は、復讐すべき敵。

 心の中で、自分自身に言い聞かせる。



「エドワール。私たちを裏切った婚約者たちのことは、必ず地獄に落としましょうね」

「ああ、そうだな」


 揺れる心を叱咤して、覚悟の再確認のために紡いだ言葉。エドワールは声の震えを指摘することもなく、ハンカチを差し出してくる。私はそれを受け取って、白い布地を静かに濡らした。

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