第二章 覚醒③

3.

「あれは、なんですか?」

 マギテック協会を出てから、すっかり機嫌を直したプラチャンは、町にあるものすべてに興味を示した。無理もない。昨日に比べれば外見は成長したとは言え、遺跡から外に出てからまだ二日しか経っていないのだ。一般的なルーンフォークも、知識や情報は生まれたばかりの時点ですでにプログラムされている一方で、「経験」が圧倒的に不足しているため、いわば「世間知らず」に映ることが多い。プラチャンに関しては「知識」の方も限られているようで、あらゆるものに「あれはなに?」と尋ね、トレイシーや仲間たちがそれに応えると、頭の中にそれを書き込むようにひとつひとつ知識を吸収していった。

「あれは、ゴンドラ! 水にうかべていどうする、ためのもの。たのしくて、よいもの。あっちはアベック。なかよしでたのしいもの! それからこれは、水。……ダグさま、水は、よいものですか?」

「水は飲み物だから……よいものというより、おいしいものだな」

「ちょっとダグ、その説明じゃ、プラチャンが運河の水を飲んじゃうでしょ……ってほら、飲もうとしてる!」

 ……と、ブルーアイが慌ててプラチャンを止める一幕があったり。

 そんなこんなで、彼らはゴンドラに乗っていた。別名「水路の町」とよばれるハーヴェスを繋ぐ交通機関として、おもに観光客などに利用される小さな手漕ぎの船だ。

「……ゴンドラの乗船料って、すっごく高いんですね」

 トレイシーは乗船料がひとり二〇ガメルもかかると聞き、「二日分の生活費になるじゃないですか!」と目をむいていた。ロッソからの依頼としてプラチャンの世話を任されていなかったら、とても払おうとは思わなかっただろう。……その乗船料も、今は持ち合わせが足りなくてブルーアイに借りていたのだが。

「まぁきっと、庶民はゴンドラなど使わず、がんばって歩いていくのだろうな。素直に大金をはたいて使うのは、右も左も分からない観光客だけなのだろうさ」

 ブルーアイがそう言って肩をすくめる。

「まぁ、こういう機会でもなければオレたちがゴンドラに乗ることもないだろうし。プラチャンのおかげで乗れて、オレはうれしいな」

 ダグがそう言うと、プラチャンがにっこりと笑う。

「ぼくもゴンドラ、うれしいです。ゴンドラはよいもの、楽しいものです!」

「ゴンドラを下りた先に市場があるから、そこであなたの服を買おう」

「ふく! ぼくのふく、うれしいです」

 屈託なく笑うプラチャンの姿に、三人の表情が思わずゆるんだ。

 傾きかけた陽光にきらめく運河の上を三人の冒険者と幼いルーンフォークをゴンドラが、音も立てずに滑っていった。



 その日の夜。

 新しい服を買ってもらってご満悦のプラチャンは、三人の冒険者とともに食卓を囲んでいた。今日の夕食は、分厚い豚肉のステーキ。肉に目がないダグが、うれしそうにナイフを入れている。

「これは、なんですか?」

「これか? これは、肉だ。肉は、とてもよいものだ。力をつけるのにいいからな」

 そう言ってダグが、上機嫌にそのたくましい腕を掲げてみせる。

「ダグさまのうでは、ぼくのよりずっとふといです」

「ああ、鍛え上げた腕は、よいものだ!」

「ブルーアイさまのみみも、ぼくとはちがってながいです」

「そうだろうそうだろう! この耳はすごくよく聞こえるんだぞ!とてもいいものだ!」

 3人のやりとりを見ていたロッソが思わずふきだす。

「お二人にも、すっかり懐いてますね。仲良くなれて何よりです。……マギテック協会の方は、どうでした?」

 ロッソの質問に、トレイシーが答える。

「詳しいことはまだ分からないみたいです。ファイルを渡してきましたから、また明日にでも聞きに行きますよ」

「そうですか。では、引き続き、その子の面倒を見ていただけるようお願いしますね」

 そのとき。

 ロッソと話ながら食事をしていたトレイシーの近くを、一匹の虫が横切ろうとした。水路に近いこの町ではよく見かけるありふれた害虫だ。ロッソの店はよく手入れをされているが、完全に虫が入るのを防ぐことは無理だろう。トレイシーは腰から針のような短剣を抜き、無造作に虫を突き刺す。

「!!」

 その様子を見て、プラチャンが目を見開く。

「なにを、したのですか?」

「何をって……虫を、殺しただけですが」

 トレイシーが静かに答える。――あまりプラチャンに見せたいものではなかったな――とっさにそう思った自分に驚く。

「どうして、ころしたのですか?」

「どうしてって……えっと、虫が嫌いだから?」

「きらいなものをころすことは、よいことですか?」

 無邪気に尋ねるプラチャンの瞳に、トレイシーは一瞬言葉につまる。

「……よいこと、だと思う」

「生きるために仕方なく生きものを殺すこともある」

 トレイシーに助け船を出すように、そう言ったのはダグだ。

「たとえばさっきの美味しい肉は、生きものの体だ。オレたちがおいしいものを食べるためには、生きものを殺さなくちゃいけない」

 ダグの説明に、プラチャンは真剣そのものの表情でうなずく。

「でも、むやみに殺してはいけない。生きるために仕方ないときだけにするべきだな」

「しかたなくころすこともある……むやみにころしてはいけない……」

 プラチャンはその言葉をかみしめるように、何度もくり返していた。

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