第3話:赤い点の行く先
浮気したらどうなるか?教えてあげる
第三話:赤い点の行く先
高速道路を逆走するように、私は自宅へと車を飛ばしていた。バックミラーに映る自分の顔は、驚くほど穏やかだった。涙も出なければ、怒りで体が震えることもない。ただ、心の奥底で、冷たい炎が静かに燃え上がっているだけ。
ただでは収まらないよ、雄大。
あなたが今頃、私の不可解なまでの物分かりの良さに首を傾げ、あるいは胸を撫で下ろしている頃、本当のショーは幕を開けたのだから。
家を出る直前、私は机の引き出しの奥から、小さな黒いチップを取り出していた。指先ほどの大きさの、薄いGPS発信器。探偵ドラマが好きで、つい通販サイトの「おもしろグッズ」コーナーでポチってしまったものだ。まさか、こんな形で役に立つ時が来るとは。
キッチンカウンターに無造作に置かれていた雄大の免許証。私はそのプラスチックケースの裏側に、慎重にGPSを貼り付けた。粘着テープで補強し、上から黒いビニールテープを小さく切って重ねる。まるで最初からそこにあったかのように、それは免許証ケースの一部と化した。
自宅に戻った私は、ハイヒールを脱ぎ捨て、戦闘服だったワンピースをハンガーにかける。そして、朝と同じ、くたびれたパジャマに袖を通した。いつもの私。何も知らない、平凡な妻。
リビングのソファに深く腰掛け、スマホの画面をタップする。赤い点は、まだゴルフ場から動いていない。私はスマホをテーブルに置き、キッチンに立った。夕飯の準備を始めなくては。今夜は雄大の好きなハンバーグにでもしようか。玉ねぎを刻みながら、涙が出た。それが玉ねぎのせいなのか、それとも別の何かなのか、自分でもよくわからなかった。
午後6時。
スマホが、静かに振動した。設定しておいた、移動開始のアラートだ。
画面に目をやると、赤い点がゴルフ場から動き出し、高速道路に乗って都心へと向かっている。
「…おかえりなさい」
私は誰に言うでもなく呟いた。しかし、赤い点は、自宅のある方向へは向かわない。都心環状線に入り、私がよく知る出口で高速を降りた。
西麻布。
胸が、ズキンと痛んだ。やっぱり、あそこなのね。
赤い点は、見慣れた通りを走り抜け、やがて、一本裏の路地で動きを止めた。
『Noir(ノワール)』
私が知らないはずのない場所。
結婚前に一度だけ連れて行ってもらった、隠れ家風のバー。重厚な木の扉と、腕のいいマスター、そして、客の秘密を優しく包み込むような薄暗い照明が印象的な店。写真に写っていた背景は、間違いなくこの店だ。
私は受話器を取り、震える指で『Noir』の番号を押した。数回のコールの後、落ち着いた女性の声が応える。ママの由紀恵さんだ。
「もしもし、『Noir』でございます」
「……由紀恵さん、ご無沙汰しております。私、雄大の妻です」
息を呑む気配が、電話越しにも伝わってきた。
「あら、奥様…!どうかなさったの?」
「単刀直入にお伺いします。雄大は今、お店に?そして、隣には『ななちゃん』という女の子が座っていませんか?」
私の静かな問いに、由紀恵さんは言葉を詰まらせた。その沈黙が、何よりの答えだった。
「…奥様、ご存知でしたのね…。雄大さん、最近ちょっと浮かれてて、私も少し気になっていたのよ」
その言葉に、私は救われたような気がした。彼女は、私の敵ではない。
「ええ。それで、由紀恵さんにお願いがあるんです。今夜、ななちゃんの代わりに、私がヘルプで入ることはできませんか?」
突拍子もない申し出に、由紀恵さんは絶句した。
「そんな…奥様、何を…!」
「ご迷惑はおかけしません。ただ、事実をこの目で確かめたい。そして、少しだけ、彼に現実を教えてあげたいんです。お店のルールには従いますから」
私の声に宿る尋常でない覚悟を感じ取ったのか、由紀恵さんはしばらく考え込んだ後、深く、長い溜息をついた。
「……わかったわ。ななには、私がうまく言って下がらせる。奥様、お店の裏口からいらっしゃい。誰にも見られないように」
「ありがとうございます、由紀恵さん」
電話を切り、私は再びクローゼットの前に立った。
今度は、ゴルフ場へ向かった時のワンピースではない。もっと体にフィットする、黒いタイトなドレス。胸元が少し大胆に開いた、私が今まで一度も袖を通したことのない一着だ。口紅は、血のように赤い色を選んだ。
赤い点の行く先は、わかった。
あとは、その終着駅で、私が引導を渡すだけ。
さあ、雄大。
あなたの知らない女が、今から、あなたの隣に向かうわ。
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