第16話 夜明けを待つ者たち

「白の塔」へと続く長い道のり。

エメは血色のドレスをまとったまま、囚人として歩いていく。コルヴスがその半歩後ろを影のように従う。すれ違う者は皆恐怖に顔を伏せ、その異様な行進から目を逸らした。


白の塔へと繋がる大階段の踊り場で、エメは美しい鉢植えに目を奪われた。重たい秘密を抱えるように、項垂れて咲く妖艶な花。その花弁の内側はオパールの宝石のように、虹色に輝いていた。


(…この花、どこかで。お母様の手帳で見たことがあるような…)


しかし、背中にコルヴスの冷たい視線が刺さり、立ち止まることを許さない。エメは再び前を向き歩き出す。


やがてたどり着いた白の塔。

その最上階は、全てが真っ白な大理石で作られた美しい円形の部屋だった。しかし、そこにはベッドと小さなテーブル以外何もない。

心を殺すには十分すぎる部屋だった。


「妃殿下、今おいくつになられましたか」


塔の記録をパラパラとめくりながら、コルヴスが事務的に尋ねる。


「…十六です」


知っているくせに。わざと聞くのだ、このコルヴスという男は。


「ほう…十六でございましたか。花も綻ぶ良いお歳だ」


コルヴスはエメに一瞥もくれず、さらさらと何か書き入れていく。そして美しい詩を詠むかのように、静かに言葉を続けた。


「…皮肉なものです。その花が罪を知る前に、罰によって陽の光を見ることがなくなるとは。実に不平等ですね、人の一生とは」


コルヴスはそう言うと、エメが隠し持っていた「毒の手帳」を手品のように取り上げてしまった。


「…っ!返して…!」


「いけませんね、このようなものを隠していたとは。妃殿下が、自らの愚かさを反省し『誠意』をお示しになるまで、ここでお過ごしください。…王子は、寛大です。」


彼はその感情のない瞳でエメの全身をじろりと観察したが、まさかその見事に結い上げられた髪の中に最後の希望が隠されているとは、思いもしなかったようだ。


扉が重い音を立てて閉ざされた。

冷たい大理石の床の上で、エメは一人、膝を抱えた。


恐怖。絶望。自らの未熟さへの後悔。


母の形見を奪われた彼女は、深い喪失感に打ちのめされていた。涙がとめどなく零れ、膝に顔を埋める。エメはコランダムに来て初めて、泣いていた。

そっと自らの髪に手をやり、奥深くのムーンストーンを指先で確かめる。その確かな感触がエメに思い出させた。繋がりはあると。



エメが白の塔へ幽閉されたという報せは、すぐに城の水面下で動く者たちの元へと届いた。

書庫で働いていたイリスは噂を耳にし、血の気の引いた顔で本を床に落とした。自分の渡した情報が彼女を窮地に追い込んでしまったかもしれない。イリスはその罪悪感に唇をかみしめた。


そして、コランダム城下に潜伏していたカイのムーンストーンが反応する。石はひどく冷たい。エメの言葉は聞こえない。

かわりに彼が見たのは、真っ白な壁。真っ白な階段。真っ白な扉。


(なんだ…?どこに、いるんだ…?)


一層冷たさを増す石は、エメが自由を奪われ完全に孤立したことを伝えていた。

カイは衝動で走り出しそうになるのをこらえ、一度潜入した城塞の中を必死に思い出していた。



その夜、コランダムの城下町。

忘れられた礼拝堂の地下室で、イリスはエメと接触する方法をたった一人で探していた。そこは『夜明けを待つ者』のささやかな隠れ家だった。


同じ頃。

カイはフードを深く被り、城下に溶け込みながらエメと再会したあの夜の記憶を手繰り寄せていた。コランダム城は、城全体が黒曜石で覆われたように黒かった。その中で、不釣り合いに白い建物があったことを思い出す。象牙のように白い、空虚な塔。…まさか、あそこにいるのか。


(あの隠し扉を知っていた女…イリスとか言ったか。あいつなら何か知っているかもしれない。だが、どうやって接触する…?)


イリスは古い設計図の一枚に釘付けになっていた。「白の塔」の真下を通る、忘れられた古代の「地下水路」。危険すぎる。だが、これしかないかもしれない。彼女は隠れ家を後にした。

一方、カイもまたその研ぎ澄まされた感覚で、城の歪みを辿っていた。偽りの雨を生み出している、あの禍々しい紋様。その力の流れが不自然に淀んでいる場所がある。彼は吸い寄せられるように足を速めた。


城下の最も古い地区にある、苔むした古井戸。

その暗がりで二つの影が鉢合わせになった。


「誰だ!」カイが獣のように低い声で威嚇する。


「そっちこそ!」イリスも毅然と言い返した。


一触即発の空気の中、イリスが掲げたランタンの灯りが、カイの顔を照らした。そして息を呑んだ。二人はお互いに見覚えがあった。


沈黙を破り、カイが問うた。


「…あんた、あの時の女だな。何者だ。なぜ、俺たちを逃した」


イリスは臆することなく、真っ直ぐにカイの瞳を見返した。


「あなたこそ、何者なのですか。お伺いしたいことが山ほどあります」


「…奇遇だな、俺もだ。お前、ただの下働きじゃないだろ」


鋭い視線がぶつかり合う。

―――龍と蜘蛛の出会いだった。

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