冬枯れの王子を溶かすまで

カナサキイオ

第1話 王女の地図

ベリルに雨が降らなくなって、どのくらい経つだろう。

玉座に座る父の顔は、ベリルの大地そのもののように、乾き、疲弊しきっていた。


「……単刀直入に言う。お前を、コランダムの王子、ルビウス殿に嫁がせる」


死刑宣告のような言葉だった。


―――ルビウス。


豊かな水に恵まれ、周辺国を支配する、あの忌まわしきコランダムの王子。

王女エメは強く拳を握りしめ、食い込む爪の痛みでかろうじて正気を保った。


「援助の条件だ。断れば民が飢え死にする」


「……それは、犠牲になれ、と」


「そうだ」


父の目はとうに死んでいた。この国は、王自らが戦うことを諦めている。

ならば、とエメは思った。

わたしが、行くしかない。


「わかりました。その縁談、お受けいたします」


安堵の表情を浮かべる父に彼女は静かに続けた。


「ですが、一つだけわがままをお聞き届けください。旅立ちの日まで三日の猶予を」


その予想外の言葉に、父が訝しげな顔をする。


「三日…? 時間を稼いで、どうするつもりだ」


「…心の準備が必要ですの。それだけですわ」


その言葉に、父は何も言わず、ただこくりと頷いた。


謁見の間を出たエメは、逃げるように自室へと戻った。

扉を閉め、泣き崩れてしまいそうになるのを必死に堪える。

彼女は呼吸を整えると、長い栗色の髪をきゅっと編み上げ、部屋の奥へと向かった。そこにはベリルとその周辺国の地図が貼られていた。地図には無数の赤いピン。

その印は、村々に雨が途絶えたという知らせを耳にする度、彼女が自らつけたものだった。

エメは、まるで不治の病のように国土を蝕んでいるそれを、睨みつけるように見つめた。


しかし、その印はある一点でぷつりと途絶えていた。

コランダムとの国境線。


(…不自然だわ。まるで、見えない壁があって、雲がそれを越えられないでいるかのよう…)


父や大臣たちは、これを「天災だ」「自然の猛威だ」と口を揃えて言った。

だが、彼女にはそうは思えなかった。

国力が衰えゆっくりと死んでいくベリルと、豊かな水の都コランダム。

長く抱いていた疑念が、確信に変わりはじめた。


(この目で、確かめなければ。)


エメは顔を上げた。そのエメラルドの瞳には、もはや悲しみの色はない。

静かな闘志の炎が宿っていた。


部屋を出たエメは、侍女のモルガに告げた。


「身分を隠せる、一番粗末な服を用意して」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る