酔いどれの老剣士

 楼門を潜った薄暮達。


 そこは華都の心臓部――絢爛たる都の大通りであった。

 香の煙が白く棚引き、屋台からは焼き栗や甘酒の香ばしい匂いが漂う。絹衣を纏った商人が声を張り、舞を披露する芸妓が人垣を作り、武士たちの甲冑が陽光を跳ね返す。華やぎと喧騒が渦を巻き、三人を呑み込んでいった。


 薄暮は、そんな雑踏を気にも留めず、スタスタと人を掻き分けて進んでいく。

 後を追う火鱗と瑕月耶が顔を見合わせた。


「薄暮。どこに行くの?」


「屯所。苦理庵が、そこに行けば衣食住は保証されると言っていた」


「それって、どこ?」


「知らない」


 あまりに堂々とした返答に、火鱗と瑕月耶は足を止めて目を丸くする。


「それで、一応聞くけど、場所が分からないのにどこへ行くつもりだったの?」


 薄暮は大通りの果てにそびえる白亜の天守を指差した。


「あそこ」


 天子の居城。


「恐らく、あそこに行けば誰か教えてくれる」


 火鱗は頭を抱える。

「──お姉ちゃんは、逆に捕まっちゃうんじゃないかなぁ…と思うよ」


「何故?」


「何故って…」


「私のような可憐な女の子が上目遣いでお願いすれば、大人は、特にオヤジは大抵の願いを聞いてくれると瑕月耶さんから教わった」


 ジトーっとした目で瑕月耶を射る火鱗。


(ちょっと! 何てこと吹き込んでるのよ!)

(いやー、つい…)


 火鱗に迫られ、瑕月耶の目が泳ぐ。


「そ、そんな所より、あたいの古い馴染みがいるからさ、そっちに行かない?」


「瑕月耶の知り合い? それって何年前? 生きてるの?」


「失礼ね! って……確かに何年前かしら…」


 火鱗に続き、薄暮のジト目も容赦なく突き刺さる。


「大丈夫だって。死んでも死にきれないヤツだから。兎に角、行ってみましょっ♥」


 🐇⚔️


「景虎、生きてる~?」


 瑕月耶に連れられて辿り着いたのは、都の外縁にある広大な屋敷。敷地内には道場らしき建屋も残り、母屋も庭もキチンと手入れはされている。だが、人の気配はない。華都の華やぎから一転、ここだけ時間が止まったかのようだった。


 瑕月耶は勝手知ったる家のようにズカズカと上がり込み、道場の引き戸を開け放った。


「誰だ!やかましい!!」


 酒精の匂いと共に、酒焼けしたガラガラ声が飛んでくる。


「うわっ、酒クサっ!!」


 酒瓶が転がる上座に寝そべっていたのは、骨と皮ばかりに痩せた老人。だが、鋭い隻眼と刻まれた刀傷が、彼がただの酔っ払いではないことを物語っていた。


「老けたな景虎。世に鳴らした剣の使い手も、寄る年波には勝てないか…」


「何だ、随分と無礼なヤツだな!」


「何? あたいの顔を忘れたのかい?」


「人をボケ老人扱いするな!これだから最近の若いもんは…」


 ぶつぶつ呟きながら瑕月耶の顔を覗き込む。


「んー、どこかで見た覚えがあるんだが……誰だったか…」


「ボケたか景虎。あたいだよあたい。瑕月耶だよ」


「かぐや……瑕月耶……」


 老人はモゴモゴと名を繰り返すと、不意に瑕月耶の胸元へと手を伸ばした。


「おお、確かに瑕月耶……」


「アンっ♥ って、何すんだい!」


 スパンと扇子が老人の頭を打ち付ける。景虎は「ぶべっ!!」と妙な声を上げ、そのまま壁際まで吹き飛んだ。


 火鱗が思わず突っ込む。

「ちょっと瑕月耶、やり過ぎじゃない?」


 薄暮は呆気に取られて目を瞬かせた。だが当の老人は、すぐに平然と戻ってくる。


「痛たたたっ! お前! 年寄りは労わらんか!」


「大丈夫よ。コイツはこれぐらいじゃ死なないから」


「全く、五十年ぶりだと言うのにつれないのう」


「五月蠅い、くたばり損ない! その手癖だけは昔から変わらないんだから」


「お前もな……久しぶりじゃな、瑕月耶」


 景虎はニヤリと笑んだ。その隻眼には、未だ消えぬ剣士の炎が宿っていた。


「薄暮、一体何者なんだろうね、あのお爺さん? カグヤとあれだけ親しいって事は昔の男かな?」

 火鱗の冗談めかした言葉に、返事がない。


「薄暮?」

 振り返ると、薄暮の顔に玉のような汗が浮かんでいた。


「こ、このご老体……まさか紫乃婆の……!」


「あら、気づいちゃった?」

 瑕月耶が肩越しに振り返り、意味深に笑う。


 景虎の隻眼がギラリと光った。先ほどまで酔いに濁っていた瞳が、獲物を見据える鬼のそれへと変わっていた。


「ほう、このお嬢ちゃんが今の相方か?」


「まだ仮だけどね♥」


 薄暮の顔色は絶望に染まった。


「剣鬼と呼ばれる程の達人……都で悪を斬り伏せ、鬼よりもなお強き者〈叉鬼マタギ〉と畏れられた人物……紫乃婆の師匠がいると聞かされていた……」


「紫乃婆って、薄暮の師匠だよね。師匠の師匠って事?」


「その通りよ。説明は要らないわね」


 瑕月耶が頷く。


「薄暮の言う通り、こいつが初代【叉鬼】――源景虎よ」


「──と、いうわけでよろしくな。お嬢ちゃん」


 景虎はニヤリと笑った。その隻眼に、未だ衰えぬ剣士の炎が宿っていた。


 ──が、


「否、先ずは再会を祝して飲むか!お前達も飲め!飲め!」


「──まだ九つの鐘も鳴ってないんですけど…」

 火鱗があきれたように呟いた。


⬜︎後書き

「九つの鐘が鳴っていない」

午の刻、正午に九回鳴らされる鐘の音の事。

要するに、まだ午前中という意味。

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