華都に潜むもの

 ──鎮妖府。


 妖や悪鬼の討伐、迷い込む異界の者どもの管理を担う影見ノ国の特務機関。

 叉鬼を束ね、薄暮のごとき者を派遣する権限を有する。


 高い石垣と格子窓に囲まれた館は、昼夜を問わず陰陽師や武士もののふが行き交い、 依頼と報告の声で常にざわめいていた。


 空斎はその一室で、廃寺の一件を官吏へと報告していた。


「──以上が顛末にございます。それと…」


 懐から懐紙を取り出す。中に包まれていた黒い毛を見せると、 場の空気がわずかに張り詰めた。


「……黒羽か」


「捨て置け」


「しかし、奴の思惑が薄暮に知れた場合は...」


「かまわん。たかが半妖一匹に何ができる」


 官吏の声音は冷ややかだった。だが次の言葉は重い。


「それより──都に災いの卦が出ておると神巫かんなぎ様がおっしゃっている。いざとなれば、再びお主に動いてもらわねばならんかもな」


 空斎の眉がぴくりと動き、深く息を吐いた。


「……やれやれ。年寄りを使うのが好きよのう」


 障子越しに、次の呼び出しを告げる声が響く。

 嵐の気配は、もうすぐそこまで迫っていた。


 🐇⚔️


 その男がやって来たのはそろそろ夕餉の支度が始まる頃合いだった。


「おうっ、鼠の嬢ちゃんは居るかい?」


 黒い袈裟を着たゴマ塩頭の坊主だった。太い眉に目の下の深い隈、無精髭、でっぷりと太った狸腹が印象的な連絡役の一人で苦狸庵くりあんと言う。


「火鱗?薄暮と一緒に山に行っているけど。薄暮じゃなく?火鱗に用とは珍しいねぇ」


 肌艶は良いが、ちょっと気怠げな表情で縁側で煙管を燻らせていた瑕月耶かぐやが、怪訝な目を向ける。


「ちょっと街の方で嬢ちゃんの力を借りたくてね。詳しい話は嬢ちゃんが帰ってきてからにするよ」


「どっこいしょ」と瑕月耶の隣に腰を下ろし、腰に下げたひょうたんから酒を飲み始めた。

 良く見ると類もほんのりと赤い。どうやらここへ来る前にも飲んでいたらしい。


「まだ、陽も落ちていないのに良い御身分だね」


「こんなの大陸の白酒と比べたら水と変わらんよ。それに昼間からお盛んなお前さんには言われたくないわな」


 瑕月耶かぐやの背後、障子の隙間から、力尽きた骸が幾つも横たわっていた。


「──不治の病人の安楽死、という事か…」


 苦狸庵が手を合わせ、南無阿弥陀仏と口にした。


「あんたもシてみる♥」


 瑕月耶は唇に笑みを浮かべ、豊かな胸を押し上げる。


「拙僧も命は惜しいでな。遠慮しておこう」


「ざーんねん。あっという間に逝けるのに」


「おぉ、怖い怖い」


 苦狸庵がわざとらしく震えて見せる。

 そのやりとりを遮るように、帰ってきた火鱗の声が飛んだ。


「一体、なんの話よ。薄暮には聞かせらんないわ!」


 籠を担いだ薄暮の姿も見える。相変わらず無表情だが、目だけはじとりと細められていた。

「……またこれ?」と呟いたのを、火鱗は聞き逃さなかった。


「あぁ!もうまた喰い散らかして!一体誰が後始末すると思っているの!」


 家の中を一目見た火鱗が騒ぐ。


「ゴメンね。火鱗ちゃん」


 全く反省する気のない瑕月耶の返事。


「ったく……で、そこの酔っ払いは何をしに来たわけ?」


 火鱗の問いに、狸腹を揺らしていた坊主が真顔に戻り、声を低めた。

 いつも酒臭いが、肝心な場面では外さぬ男である。


「都の一部で、神隠しや拐かしが続いておる。しかも最近消えたのは、次代の神巫と目される巫女だ」


 障子の外を渡る風がざわめいたように思えた。


「寝所から煙のように消え、跡形も残らず……都は今、揺れている。

 ──そこで、お嬢ちゃんの出番というわけだ」


「ふーん……で、その娘を探せってわけ?」


「巫女だけではない。他の行方不明の娘たちの行方も追って欲しい」


「あっそ。それで報酬は?あたしは乞われてここに居るんだからねぇ。正当な見返りがないとね」


 火鱗はここぞとばかりに邪悪な笑顔を浮かべる。


「わかっとるわい! 事が済んだら上と交渉してくれ」


「あと、薄暮も一緒に行くから! あたしの護衛!!」


「ふむ……それについては心配いらん。薄暮には既に指令が出ておる」


 懐から指令書を出して渡すと、薄暮は一読して淡々と呟く。


「護衛? 要るの?」


「要るよ! ちょー要るよ!! あたし熱いのは平気だけど、斬られたら普通に死ぬんだから!」


 薄暮は知っている。火鱗が本気を出せば、里ひとつを炎に包むのは造作もないことを。

 だが、ため息をついて小さく答えた。


「……解った。指令だし」


「やった! 薄暮とお出かけだ♥」


 火鱗は満面の笑みだ。


「おいおい、物見遊山じゃないんだがね……」


 すると、瑕月耶が両手を合わせてニッと笑う。


「なら、私も行こうかしら?」


「「「えっ」」」


「何よ。都に行くんでしょ? なら男も女も選り取り見取りじゃない♥

 ……それに、都の社には昔から縁があるの。少しは役に立てると思うけど?」


「「瑕月耶(さん)!!」」


 二人のジト目が突き刺さる。


「ふむ、幸い月の巡りも良い。悪くない提案ですな」

「でしょう?」


 我が意を得たりと、瑕月耶が勝ち誇るように笑う。


「わかった。瑕月耶嬢の同行は拙僧の権限で認めよう。ただし──喰い散らかして人死にを出すでないぞ」


「失礼ね! 私だって加減ぐらいはするわ」


「どうだか……」


 薄暮が小声で呟いたのは、誰にも聞こえなかった。


 やがて苦狸庵は腰を上げ、懐から編み紐を二本取り出した。


「忘れるところだった。二人にはこれを」


 渡されたのは祝福紐のりつなと呼ばれる、清められた木綿糸を編んだもの。

 庶民は願掛けや厄除けに手首へ巻くが、これはさらに特別だという。


「お狐様の妖力が込められておる。付けていれば幻術で人の姿に見える。耳も髪も、都では目立たんだろう」


「そんな便利な物があるなら、もっと早く出すべき」


 薄暮の冷たいクレームが飛ぶ。


「それを拙僧に言われてもね」


 苦狸庵は肩をすくめて笑う。


「ホント、肝心な時に使えない狸オヤジね!」


 火鱗が茶化すと、場の空気がわずかに和らいだ。


 ──こうして薄暮たちは、魑魅魍魎の跋扈する都へと足を踏み入れることになる...

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