異世界パン屋の経営事情 ~妾になれと迫られたけど、寡黙な彼とパンで戦います~

ヘイミンクラゲ

第1話 異世界転生-1


「わぁ!美味しそうに焼けましたね!」


 

 私は生徒の皆さんに、問題なくクロワッサンが焼き上がっていることを伝えた。

 


「水野先生のおかげです!凄く美味しそう! 」


 

 いつもご贔屓にしてくださっている生徒さんは、満面の笑みを向けてくれる。この瞬間が大好きだ。

 

 ここはショッピングモールに居を構える、大手料理教室の花丸クッキング。和洋中の料理のレッスンや、スイーツ、パンのレッスンを行っている。私はパン担当のインストラクターだ。

 

 生徒のみなさんは大抵パン好きだが、パンを一から作るのは初めて、という方がほとんど。

 だからこそ、ふっくら焼きあがった瞬間の喜びは大きく、感嘆の声を上げてくれる。私は、そんな生徒さんの笑顔を見るのが、たまらなく嬉しい。この仕事をしていて、一番やりがいを感じる瞬間だ。

 

 すると、焼き上がったクロワッサンを前に、生徒のみなさんはスマホを片手に撮影会を始めた。

 

 うん、わかる。

 自分でクロワッサンを焼けたら、そりゃ感動するよね。私も初めて焼けたときは、夢中で撮っていたっけ……

 

 そんな中、一人の生徒さんから質問が飛んできた。


 

「水野先生はパン屋さんにならないんですか?」


 

 耳にタコができるくらい、何度も聞かれた質問。

 本当は、あまり触れてほしくないんだよな……

 聞かれる度に、過去の辛い気持ちが蘇ってくる。

 私は、作り笑顔で、いつもの答えを返した。


 

「私はお店を持つより、みなさんとお喋りしながらパンを作れる、この仕事が好きなんですよ〜。だからまた来てくださいね」

 

 半分は本心で、半分は嘘。

 

 そんな返答に生徒さんは「先生なら素敵なパン屋さんになれますよ! 私、毎日買いに行きます! 」と笑顔で答えてくれた。

 

 本当は自分の店を持ち、みんなを笑顔にすることが、小さい頃からの夢だった。だから、パンの専門学校にも通ったし、有名ベーカリーにも弟子入りした。

 だけど、本場仕込みの職人の技術に臆してしまい、逃げるように辞めてしまった。

 

 あんなに好きだったのに、あんなに憧れていたのに。なんで私は、いっときの感情で逃げてしまったんだ。

 あれから三年は経とうというのに、未だに逃げ出した自分を責め続けている。


 夢に背を向けた私が、パン職人となり、店を構えるなんてできっこない……

 

 そう思い、他の道を探した。だけど、小さい頃からの夢が尾を引き、すがるようにこの会社で働いている。

 

 入社当時は、逃げ出してしまった悔しさから、暗い気持ちが続いた。だが、方法は違えど大好きなパンを通じてみんなを笑顔にできている。それが心の支えとなり、今までやってこれたのだと思う。

 

 こんな私を慕ってくれる生徒さんには感謝しかない。


 ふと、時計を確認すると、レッスン終了時刻まで、あと二十分を切っていた。


 

 (そろそろ、終わりの準備をしないと……)


 

 私は軽く手を叩き、生徒さんに呼びかける。



「みなさ〜ん、そろそろ片付けを始めましょう! パンが冷めたらラッピングしましょうね」



 友達にかけるような間延びした返事とともに、生徒のみなさんは片付けに取り掛かった。

 教室の中には、クロワッサンの香ばしい匂いと、あたたかな笑い声が広がっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る