第三十八話 二人の深夜散歩④

ピンポーン


ガチャ、とドアが開く。お母さんはゆっくり駆け出してくる。

「どこ行ってたの…?心配したんだよ」

その目には焦りが見える。涙が滲んでいるようにも見えた。

「…………公園」

言えなかった。空のことは絶対に言ってはいけないと思った。

「取り敢えず中入って」

よそよそしい態度が逆に足を重くした。母親は、アタシの部屋の前に立つ。

アタシは渋々、二階の台所で手を洗う。後から母親は付いてきた。

「あ、いた」

すみれはすぐに目をそらし、自分の部屋に戻っていく。

重い声がアタシの耳にのしかかる。

「まず、なにしにいったの?男?」

悔しいけど、母親の予想は間違ってない。

「………一人で、夜風にあたりに」

一つ、嘘をついた。空を盾にはしたくなかった。

「何してたの?」

「………ベンチに座ってた」

フランクフルトの包み紙はこっそり土に埋めてきた。

「なんで?」

「………」

正解なんて無かった。誘われたから?アタシが逃げたかったから?どちらも母親からすれば間違いだろう。

「ねぇ、なんで?なんで答えないの?」

「………」

アタシは激しく頭を回転させる。けど、正解は思いつかなかった。

「なんでか聞いてんだよ!」

母親は距離を詰める。

「……ごめんなさい」

絶対に、言いたくなかった。これ以上空に嫌われたくない。

勝手なエゴだけど、これだけは守り抜きたい。

蹴りが飛んでくる。アタシは痛みに負けてしゃがみ込む。

「なんで?!なんでこんな事したの?!」

蹴りは躊躇無く、足と腹を傷みつける。

髪を掴まれ、頭を引っぱかたれる。

声は、永遠とアタシの耳に響く。何度も金切り声で叫んでいた。

(でも…お母さんは悪くない。今回は絶対に、アタシが悪い)

いつも通り、満足するまでの辛抱だ。アタシは頭をぼんやりさせる。痛いのも、耐えてしまえばいい。全部アタシが悪いんだから。


『苦しんでるって、思うんだよね。…未咲ちゃんは、苦しんでる気がするんだ』


空の笑顔が脳内をちらつく。


『……洗脳だよ。そんなの』

空の真剣な眼差しが、アタシの頭から離れない。


(なんだ…間違ってないじゃん。空の言ってたこと)

アタシはぼんやりとする意識の中、確かにそう思った。

(間違ってたのは…アタシの方だ)

母親はアタシの足を引っ張り、力ずくで階段の前まで引きずりこむ。

「分かんないから教えてよ?どうやってでていったの?早く立って!!」

そう言いながら胸ぐらをつかみながら急かすように太ももを蹴る母親は、猿より凶暴に見えた。

アタシはようやく、決心がついた。顔を上げて、息を吐くように声を出した。


「お母さん、アタシね_____死のうとしたの」


空を守るためなら、どんな嘘でも突き通す。

母親は数秒黙り込み、吐き捨てるように言った。


「死ねよ。死ねばいいじゃん。勝手に。自分勝手に」


(………これは、度を越えたってことで、良いわよね…?)

アタシは、静かに涙を流し、フラフラと立ち上がる。

母親がアタシの胸ぐらを離す。

アタシは、階段に背を向けたまま足を踏み外した。


(………わざと踏み外すのって、怖いな)


世界がゆっくりに見える。


ジェットコースターで一番高い所ににいる時みたいだ。


足場が、何処にもなかった。もう、立てなかった。


全身が、激しい痛みに襲われる。


アタシは無理やり、視界を真っ暗にした。





(痛い……)

頭がズキズキと痛む。意識がなかなかはっきりしない。まだ夢の中を泳いでるみたいだ。

アタシは、ゆっくりと目を開ける。

(……ここ、病院?)

まぶしい照明がゆっくりと、意識を起こす。どうやらさっきまで夢を見ていたらしい。

しばらくそのままでいると、看護師に声をかけられる。目だけ動かすと、慌てて医者を呼んでいるのが見える。


「……意識はありますか?自分の名前は分かりますか?」

「はい…神崎未咲です」

どうやらアタシは一日近く眠っていたらしい。頭を強く打った影響だと医者は言った。そしてもう一つ、大事な損傷を知らされた。

(骨折、ねぇ…)

アタシは長座位になって、自分の足を眺める。包帯巻きにされた右足は、ギプスで固定されている。

「一週間は入院だね。深夜は視界が暗いからね。ちゃんと電気つけて階段は下りるんだよ」

「…はい」

どうやらアタシは『転倒事故』という扱いになったらしい。

(まあ、本当のことを言われても困るし、何も口出しするつもりはないけど)

そんな事をぼんやりと思っていると、母親が病室にやって来た。

「…もうこんな事、しないでね」

「…うん」

幾分か素直なお母さんとアタシは、お互いに口数が少なかった。

「次こんな事しても、もう入院代払えないから」

「…分かってる」

(今回は見逃してあげるってこと…ね。逃げ出した事も、わざと踏み外したことも)

「……これだけ、聞いても良い?」

アタシは、何の期待も乗せずに言葉を続けた。

「どうして、怒るときに暴言を吐いたりするの?

…人の髪を引っ張るの?」

「……暴言を吐いてるつもりはないの。お母さんはあれを暴力だとも思ってない。そう育ってきたから、そう育ててるだけ。抑えようと思っても、抑えられないの。未咲には分かんないかもしれないけど」

久し振りに名前を呼ばれた感動と、変わらない答えに、アタシは涙を流していた。

「泣かないでよ、病院で。恥ずかしい」

「………うん」

アタシはティッシュを手に取り、涙を拭く。

もう一度寝る姿勢を取ると、母親はため息を付いて病室を出ていった。

病院食は思いのほか量が多く、食べるのに一苦労した。


ガラガラガラッ


数時間後、勢いよくドアが開く音がした。誰だろうと目をやる前に、聞き馴染みのある声が聞こえた。

「未咲ちゃん!!」

「……空」

私は、作り笑いをしようとした。

でも、出来なかった。

そのかわりに溢れたものは、涙だった。

まだ、五時前だ。下校時間を考えると、よっぽど急いで来たのだろう。

「大丈夫…じゃないよね。学校で先生が言ってて…未咲ちゃんの家の近くの病院、調べてあたってきたんだ」

「相変わらず凄い行動力ね…いつか女風呂でも覗くんじゃないの?」

泣きながら、軽口を叩いて笑う。空も予想外の返答に、豆鉄砲を食らったハトのような顔をしていた。

「…ふはっ、そんなわけ無いじゃん!僕、法律だけは守るよ!」

「法律上補導される時間に誘ったくせに…」

「あれはグレーゾーン!アウトじゃないからオッケー!」

「どーだか…」

「現に僕は普通に帰って寝たし…いや、めっちゃ心配で寝れなくて学校で睡眠学習する羽目になったけど」

「それは悪かったわね…アタシもちょっとどうかしてたわ、あの時は」

「どうかしてたっていうか、僕の発言が良くなかったんだなって…後悔した。だから朝、翼に聞いてみたんだよね。どうして僕の家に来てくれたのって」

「…なんて言ってたの?翼は」

「『空は俺の家庭を知ってたけど、俺と友達になってくれたから』ってさ!…僕、昔の方が人に寄り添えてたのかもね。今みたいに、僕の主観をそのままぶつけたりなんか、しなかったかも」

「…アタシは、空の言ってる事が正しいと思ったわ。目が覚めたのよ。…色々あって」

「……聞いても、良い?何があったのか」

空は真っ直ぐアタシを見つめた。心配と、後悔が混じった瞳は、いつもの空より一層弱く見えた。

「……バレちゃったの。夜に出かけた事。それで怒られちゃって。空の言ってたこと、正しいなって思って」

アタシは一瞬躊躇い、口を濁らせた。

(きっと空は、アタシの事が理解できない。

…でも、それでも良い)

「わざと、階段から落ちたの。目の前の鬼から逃げ出したくて」

「………それで、足が」

空はアタシの右足に目を見やる。その表情は、今にも泣き出しそうな表情をしていた。

「……ずーっと鬼に捕まってたけど、今回だけは逃げ切れた気がするわ。空のフウラ?さんには敵わないと思うけど」

「………」

空は言葉を失っていた。その代わり、ゆっくりとアタシの右足に手を伸ばす。

空が触れた所は、少しズキズキと痛みが伴っていた。動かさなくても、骨折は多少の痛みを感じるらしい。

「…僕には、こんな事しか出来ないけど」

そう言いながら、手で優しくギプスを撫でる。

ズキズキした痛みがスーッと自然消滅していく。

(………痛みが、引いた?)

「…僕さ、実はおまじないが使えるんだよね!」

「……おまじない?魔法の間違えじゃないのかしら」

アタシは結構真剣にツッコむ。もしそれが本当なら、空は超能力者ということになる。

「いーや!『おまじない』だよ!魔法なんて都合の良いもんじゃないからね!」

「おまじないの方が成功率が低いってこと…?」

「んー、まあ、そういうことでも良いよ別に!そんな事より、明日も来るね!毎日来るね!S〇itch持って来るね!」

「病室では静かにして欲しいんだけど…」

「イヤホンも持ってくるね!!」

(いや、そういう事じゃ無いのだけれど…)

これ以上言っても無駄だと、アタシは呆れる。

その日は空が帰るまで、学校での出来事を聞いた。

ふと、空が窓に手をかけた。

「今日は、月が綺麗だね。未咲ちゃん」

空につられて、アタシも窓の外を眺める。雲一つない夜空は、月の光だけが輝いていた。

「ホントね…。綺麗…」

(こんな風に綺麗って思えたの…いつぶりかしら)

純粋に感動する出来るほど、今までは心の余裕が無かったのかも知れない。

「じゃあ、また明日!」

「…またね、空」

(やっぱり、踏み出して良かった…)

誰かと長く話す時間は、あっという間に溶けていく。

時計は、夜の八時を指していた。

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