第3話 イヤホンからASMRされた

「まずは横になってください」


 彼女から指示されるがままにベッドにダイブする。そして天井を見上げていると、囁き声が響いてきた。

 

「リラックスですよリラックス」

 

「今から耳元で囁きます」


「脳だけどな」


「ASMR中は喋らないでください。雰囲気ぶち壊しですから」


「すまん」


「リラックスですよリラックス」


「はい、ゆっくり目を閉じて私の声だけに集中して」


「ゆっくり……ゆっくり、です」


「今日は特別に耳かきをしちゃいます」


「じゃあさっそく始めちゃいますよ。そっと、ゆっくり、きもちよくさせちゃいますね。カサ……カサ……」


「音を感じてくださいね。カサ……カサカサ……」


「きもちいいですか? ふふ、言葉にならないくらいきもちいいんですね」


「はい、いい子いい子。いい子ちゃんですから、もう少し待ってくださいね。カサ……カサ……」


「……ゆっくり。ゆっくり。リラックスですよー」


「えっ、おねんねしたいんですか? 良いですよ。私の膝でたっぷりおねんねしてください」


「ゆっくり、ゆっくりですよー」


「すぅや……すぅやです」


「…………………………」


「…………………………」


「ふふっ、おねんねしてしまったようですね。特別に頭なでなでしてあげます」


「なーでなーで……。まったく。普段はうるさいのに、随分とかわいい寝息を立てるんですね。もっといたずらしたくなってきました」


「あーあ、もし目の前にいたらほっぺツンツンしてるのに」



「おはようございます」


「あれ? もしかして俺寝てた?」


「それはもうぐっすりでしたよ」


「マジかよ」


 どうやら俺は昼寝をしてしまっていたようだ。今は十三時なので午前中が全て吹き飛んだことになる。罪悪感が半端なかった。


「どうですか? ドキドキしました?」


「まあ少しは」


「遠慮せずベタ褒めしてもいいんですよ?」


 声音だけで調子に乗っていることが分かる。眠ってしまった時点で、心地よい音だったのは事実なんだけどさ。

 しかし素直に褒められない理由があった。


「寝ぼけてたからあんまり覚えてないんだけど……なんか薄っすらビートボックスが聞こえなかった? 気のせい?」


 そう。ピーチクパーチクうるさくて、そんなに熟睡できなかったのだ。

 しかしマインは平然とした口調で、


「ただの空耳ですよ。ASMR中にビートボックスをする訳ないじゃないですか」


 淡々とおかしな点を指摘される。


「それもそうか」


「夢でも見ていたんじゃないですか?」


「夢か……」


 サキュバスから見せられる夢がビートボックスというのは正直どうかと思う。いや、別にエロい夢見たかったとか、そういうのじゃないけどさ。

 せっかくだからね? 一回くらいは見る権利あるだろ。


「えっち」


「まだ何も言ってないけど?」


「鼻息が荒いから分かるんですよ。何百時間一緒にいると思ってるんですか」


「それもそうか」


 俺も息づかいで彼女の心情が推し量れるようになってきたからな。経験の成せる技である。


「で、私がかわいい女の子だと再認識できました?」


「まあ……」


「歯切れが悪いですね。大人しくメロメロになればいいのに。そうすれば直接……」


「直接?」


「何でもないです。とりあえずASMR作戦が有効なことは分かりました。これからは毎晩寝る前に配信してあげますね」


「えっ、毎晩?」


「何がそんなに不満なんですか? ふっふーん、まさか興奮して眠れなくなることを危惧してるんですね? 心配はいりません。睡眠用ASMRも用意していますから」


 イヤホンの向こう側ではほくそ笑んでいるだろうことが想像できたが、正直毎日は勘弁してほしかった。

 ASMRどうこうの問題ではなく、イヤホンをつけたまま寝るという状態が嫌なのだ。

 寝返りを打ったら圧迫されるし、長時間つけていると耳が痛くなってしまうから。


 ――もし彼女が目の前にいたら、そんな心配はいらないのに。


 一瞬そう考えたところで思いっきり頭を振る。


「ダメだ」


「まあまあ、何事もモノは試しですよ。とりあえず初回トライアルコースだけでも! ね?」


「はぁ……分かったよ」



「キャンドルライトとかあります?」


「あると思う?」


「この非モテ男性が。最近同人誌を見る時は事前に私が起きてるか確認してますけど、別に返答してないだけで普通に丸見えですからね。ナイスバディなお姉さんのイラストが丸見えですから。えっち。変態。この年上好きが!」


「なあ、ちょっと睡眠用ASMRにしては火力高すぎないか?」


「ふふんっ、私という完璧な女性がいながら、二次元の誇張された胸なんかに欲情するのが悪いんです」


「ごめん、悪かったよ」


「ふんっ、分かればいいんです」


「でもあんまり調子乗るなよ? 俺がいないと漫画の続きすら読めないことを理解してるよな?」


「ごめんなさい調子に乗りました。だから続きは! 来週発売のアマ天の続きだけはどうかこの通り!」


「分かればいいんだよ」


 はぁ……これから先どうやって同人誌を読めばいいんだろう。と、頭を抱えつつもベッドに横になる。


「ゴホンっ! 気を取り直して睡眠用ASMRトライアルコースを配信しますね」


「ああ」


「何もせずリラックスしていてください。そのまま眠っていただけると助かります」


 俺は彼女の言葉に従い、力を抜いてだらんとする。そしてイヤホンから流れてくる音声に集中することにした。


「リラックスですよーリラックス」


「はい、ゆっくり目を閉じて私の声だけに集中して」


「ゆっくり……ゆっくり、です」


「今日は特別に頭を撫でちゃいます。一週間頑張って登校したご褒美です」


「なでなで、なーでなーで」


「なーで、なーで」


「はい、いい子ですねー。ご褒美にもう少しなでなでしちゃいます」


「なーで、なーで。いい子、いい子」


「ゆっくりですよー。ゆっくり……」


「ゆっくり、おやすみなさい」


「………………………………」


「………………………………」


「もう眠ってしまいましたか? あんなに昼寝したのにダメダメですね。心配で目が離せません」


「でも安心してください」


「また明日もあなたのそばにいますから」


「あなたが寂しくならないように」


「ずっと……ずーっとですよ?」


「だから安心して眠ってください」


「はい、いい子いい子」


「………………………………」


「あ、そうだ。一つだけずっと伝えていなかったことがあります」


「今から少し真面目な話をしますね」

 

「実はこうやって誰かに語りかけたのは秋人さんが初めてじゃないんです」


「私は何人もの人に語りかけました」


「だけど誰からの反応もなくて、声すら届いていないようで」

 

「やっぱりダメなんだ。ずっとこのまま一人で封印されたままなんだって」


「そう思って諦めそうになった時だったんです」


「秋人さんに出会うことができたのは」


「だから秋人さんと出会えたのはきっと運命なんです」


「ふふっ、運命だなんて自分でもおかしなことを言っている自覚はあります」

  

「でも私、こう見えて結構乙女なんですよ?」


「普段は何でもないように振る舞ってますけど」


「お風呂に入ってる時は結構ドキドキしてます」


「トイレだって本当は気が気じゃないんですよ?」


「でも」


「すやすやと眠っている時が一番ドキドキして」


「ついイタズラしちゃくなっちゃうんです」


「だってこんなに無防備なんですよ?」


「ほっぺをぷにぷにしても、頭をなでなでしても一切抵抗できません」


「私の思うがままです」


「………………………………」


「あーあ、直接触れ合えたらよかったのに」


「こんな気持ちにさせたのは全て秋人さんです」

 

「責任、取ってくださいよ?」

 

 


 それから毎日ASMRをされるようになった。拒否しても脳に直接語りかけてくる時点で回避のしようがない。それにマインの声を聴いていると何だか心が落ち着いて、ぐっすりと眠ることができるのだ。ASMRのおかげである。


 強いて問題点を挙げるとすれば、たまにラップやビートボックスが聞こえることだろう。しかしまあ、おそらくそれは気のせい。そう信じることにしているので何の問題もなかった。

 さて、そんな生活を一か月ほど継続していたある日のことだった。


「最近気づいたんですけど」


「うん?」


 マインは何か引っかかった様子で尋ねてくる。


「睡眠用ASMRって、眠くなるだけでドキドキはしませんよね?」


「まあ……そうだな」


「それじゃあ誘惑にならないじゃないですか! 私の魅力にドキドキしてもらうことが重要なのに、リラックスして眠ってしまったら元も子もありません」


「確かに」


「何が確かにですか! 気づいていたなら言ってくださいよ! 完全に作戦は失敗じゃないですか!」


 彼女はガタンと項垂れる。渾身の作戦が失敗して酷くショックを受けているのだろう。


「やはり秋人さんお気に入りの同人誌を参考にするべきでしたか」


「やめてくれ」


「でもそうでもしないと欲情しませんよね? 私のことを女性として見てくれないですよね?」


「いや欲情って……」


 したことがあるかと問われれば「ない」と即答するだろう。


「もう出会ってから三か月も経ってるんですよ。流石に自信をなくしてきました」


「サキュバスなのに?」


「サキュバスだからってみんなモテモテとは限らないんですよ。魅了が使えなかったらただの人間と同じですからね。大切なのは人間力です」


「色々と大変なんだなぁ」


「大変ですよ本当。もうこうなったらR18版を配信する必要がありますね。早速準備に取り掛からないと!」


「その件なんだけどさ」


 俺は頬をかきながら、イヤホンの向こう側に提案する。


「ASMRはもうやめにしてほしい」


 最近ずっと考えていたことだ。もう十分だと。これ以上は必要ないのだと。


「そんなに気に入らなかったんですか?」


「いや、そうじゃなくて」


「じゃあ何がダメなんですか! 私ですか? 私の魅力がないからダメなんですか?」


「そうじゃなくて!」


 俺は普段より声を張る。そして一度深呼吸をすると、ゆっくりとその言葉を口にした。


「もうASMRはいらない。わざわざそんなことをする必要はないから」


「はい?」


「なあ、マイン」


 再度深呼吸。それでも心拍数は上昇していき、顔が熱くなるのを感じながらも、俺は初めて出会った時に彼女から伝えられた言葉を、そのまま返すように口を開いた。


「俺さ――好きなんだよ」


 そのままは無理だった。なんだか気恥ずかしくて、今更な感じがして。ど直球に言葉を紡げなかった。


「す、すすすすす好き⁉︎」


「あ、好きって言っても、興奮とか欲情は全然しないからな? 女性としての魅力も全く感じないし、ただの友達みたいな感覚だから」


「ば、バカにしてるんですか!」


「それでも……」


 俺は一度目を閉じる。これまでの三ヶ月を振り返ると、もはや彼女のことしか思い浮かばなかった。顔も見たことがなく、直接会ったこともない彼女のことしか思い浮かばない。


 重症だった。きっと病院に行っても治らないくらい、俺の脳みそは彼女に侵食されているのだろう。


「もう少し一緒にいたいと思ったんだ」


「もう少し?」


「いや、ずっとかな。こんな生活がずっと続けばいいのにと考えている自分がいる。あーやっぱ今のはナシ。こんな形じゃなくて直接会いたい。会いたいんだよ俺は!」


 言葉を続けるうちにだんだんと熱が増してくる。同時に彼女に対する想いも燃え上がっていって……、


「マイン――好きだ」


 俺はついにその言葉を口にした。

 

 

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