③虚無な日々を過ごす千晴

「……虚無だ。虚無虚無プリンだ。」


 夕日が差し込む部屋の中、私はフローリングに直に寝そべって深くため息をついた。

 事務所をクビになってはやくも一週間が経過しようとしていた。25歳すぎると1日がほんとあっという間なんだよね。うぅ、歳は取りたくない。

 世の中は秋の終わりで紅葉狩りがどうのとか、ハロウィンがどうとか、そういう空気感があるらしいけど、この1週間一歩も部屋から出ていない私にはなんの関係もない。

 1LDKの室内はもともと寝て起きるためだけのために借りた部屋だったということもあって、必要最低限の家具くらいしか置いておらずがらんとしてしまっている。

 いや、もともとは推し活グッズを所狭しと飾ってたんだけどね。見るたびにクビになった日のことを思い出しちゃってつらくなるから、解雇翌日に段ボールに詰め込んでガムテープでぐるぐる巻きにして押し入れに封印しちゃったんだ。捨てられないのは……ただの未練かなぁ。


 けど、そんな部屋の中で異様な存在感を放っているのが、壁際に設置したデュアルモニターの最新式ゲーミングパソコンと、その前に鎮座するピンク色のゲーミングチェア。

 もともとは外出自粛期間中に自宅でリモートワークをしたり、動画編集やサムネイル作成で推し活したりするために買ったもので、用途を限定すればここまでハイスペックな買い物をする必要はなかったんだけどさ、でもさ……。


「もしかしたら万に一つの可能性で、家に事務所のライバーを招いて配信をする機会があるかもしれないじゃないか! そのまま『事務所スタッフと突発オフコラボ配信』なんてことが始まってムフフな展開になることも微粒子レベルで存在するかもしれないよねぇ! 備えあれば嬉しいなって昔から言うじゃないか、うん!!!」


 なんて、当時パソコンショップで謎の超ハイテンションを発動しながら一括払いして店員さんに変な目で見られたのを思い出す。そんなわけで我が家のPCは超ハイエンドな配信用ゲーミングパソコンちゃんだ。

 え、それでオフコラボは結局できたかって? ライバーたち全員からLINEブロックされちゃった私にそれを聞くのって酷だと思わない?


 ちなみに、配信用PCのスペックを決めるものはざっくりわけて3要素あって、CPUとメモリ、そしてグラフィックボードだ。


 Live2Dモデルを動かすためのトラッキングアプリと配信用アプリ「OBS」を立ち上げて、あとは雑談配信や低負荷のブラウザゲームを遊ぶ程度、という活動をするだけなら最低限のスペックの10万円程度のパソコンで済むし、最新のFPSゲームを快適に遊びながら、さらに高画質で配信をしようとすれば、30万円以上の高スペックなゲーミングパソコンが必要になってくる。

 私のパソコン? もちろん後者のなかでもハイエンドの機種だとも。


 そんな遠い日のことをふと思い出しながら、地べたに転げ落ちたナマケモノのような体勢で、スマホに映る配信画面をぼんやりと見つめている。


『っというわけで、今日の"FallBoys"対決企画はねぇ、とんでもない罰ゲームを用意してんだ。知りたい? 知りたいだろ?』

『いや、別に……怖いから聞きたくないなぁ。』

『そこは聞いとけよ! 話が進まねえから! ほらこれぇ! 激マズドリンク!!』

『うーわ、アホだ。結局こいつが飲むオチです。この略して"ゲー◯ーズ"。みなさん、見えましたねこれ。』


 コメント:

 草草の草

 アキくんまじ空気読まねえww

 サムネの時点でネタバレしてるしまぁ…

 激マズドリンクって実際どんなもん?


 焦点の合わない瞳に映っているのは、YouTubeのおすすめに出てきた大手VTuber事務所"ハンドレッドナイツ"所属の人気男性ライバーたちの対戦アクションゲーム"FallBoys"配信だ。

 個性的で聞き取りやすい声質、互いの信頼関係が伝わってくる和気あいあいとした雰囲気。ゲームのチョイスもリアクションも安定感がある。コメント欄も賑やかでさすがは大手事務所……85点……♠


「なんだけど、なぁ……。」


 今の私の心には、なんだか遠くの出来事のように感じて、いまひとつ響かない。惰性でスマホの画面をくるくるとスワイプして、いくつかの配信を行き来してみるも、やっぱりどれも同じことでピンとこない。


 この一週間というもの配信以外にも色んな娯楽を試してみた。積んでいたゲームやアニメ、マンガなどにも片っ端から手を出してみたんだけど、どうにも没頭することができなくって、こうして床にウミウシのようにへばりついている。ちっちゃくて可愛いよねウミウシ。実はけっこう好き。

 そんな無気力で自堕落で暮らしが、今日でもう一週間も続いている。あれぇ……? これってもしかして、燃え尽き症候群ってやつ?


「推しの存在しない世界ってこんなにも無色で、味気ないものだったんだなぁ……。」


 立ち上がるのさえめんどくさくて、ずるずると這ったまま冷蔵庫の扉を開いてみたものの、そこにはいつ買ったか思い出せない缶飲料と調味料が数本転がっているだけだった。

 もともと帰宅の頻度が少ないこともあって、保存の効くレトルトや冷凍食品ばかり買い込んでいたんだけど、ここ数日の引きこもり生活で完全に食べ尽くしてしまった。


「冷蔵庫の中身まで虚無……まるで私のいまの心情描写みたいだ。ふっ……。って、カッコつけてる場合じゃないか。いつまでも引きこもってないでそろそろ買い出しでもしないと、流石に腹もペコちゃんで死んじゃう。やれやれ、どっこいしょっと。」


 ひとり言を漏らしながらばたんと冷蔵庫の扉を閉めると立ち上がり、仕方なく出かける支度をする。


「仕方ない、久々に外でも出るとしようか。」


 事務所をクビになった日ぶりに開くクローゼットの扉もどこか重く感じる。

 高校時代から使い続けているジャージの上から、コート代わりのお気に入りの白衣を羽織ると、防寒用のニット帽をかぶって玄関のドアを開けた。冷たく乾いた晩秋の風が鼻をかすめるのを感じる。

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