聖印のジェムリア

神貴 雅太(かみき まさた)

第1話 大きなアケリの木の下で

流れる雲を目で追って、透き通った青空をぼーっと眺める。


あの大きな太陽がアケリの木のところまで来たら僕は家に帰ることができる。

そう。僕はこう見えて仕事中なのだ。

歩くのが苦手なマルモ達を獣から守って安全に飼い主たちの家まで帰さなくてはならないという大事なお役目があるのだ。


今年はアケリの花がたくさん咲いている。あと数か月したらたくさんの実がなるだろう。

赤くてふっくらとしたアケリの実。マグばあさんの作ってくれるタルトは絶品だ。

たくさん収穫して持っていってあげたら、またアケリのタルト作ってもらえないかな。

収穫するときには、もちろんその場で腹いっぱいアケリの実をほおばるんだ。とれたてのアケリは最高に美味い。果汁が口の中にあふれることを想像したら涎が出てきてしまった。だって、僕は育ち盛りの8歳のなんだもの。ちょっとくらいつまみ食いしたって許されるよね?


いけない、いけない・・・。ついつい妄想でにやけてしまった。誰にも見られていなくてよかった!


でも、今年はたくさんのマルモが産まれたし、冬を越すためのチーズやバターもたくさん用意できるだろうってセレじいも言っていたっけ。まん丸でふかふかなマルモの毛で温かく寝られるし、出稼ぎでも高く売れるって言っていたから、今年の冬はゆっくり豊かに過ごせるのかな?あ、干しアケリもたくさん作れそうだな。暖炉でセレじいと二人でマルモのチーズをヤックの肉に乗せて、デザートに干しアケリ。うーむ。最高の冬だなあ。


ついつい食べ物のことばかりを考えてしまう。僕ってばお腹すいちゃったのかな…

意地汚い男はノクに嫌われちゃうぞ!っと、自分のほっぺたをぺちぺち叩いて喝を入れる。


その時、盛大にぐ~っと少年の腹が鳴った。

遠くの方を見ると、村の辺りから煙が一筋上がっているのが見えた。

ぼちぼち、夕ご飯の支度が始まっているのだろう。セレじいが今日は肉を買ってくると言っていたので育ち盛りの少年は期待に胸が膨らむ。

少し早く帰れたら、マリさんの調理の手伝いもしようと少年は思った。


父母がいない少年にとってマリさんは母親のような存在でもあった。

決してセレじいと夫婦というわけではないのだが、セレじいを慕ってそばにいてくれている感じ?少年にはそこんとこ、よくわからないのであった。

セレじいは少年の本当の祖父であるらしい。

そして、不思議と皆に好かれていた。セレじいの周りには調理上手なマリさんはじめ、手先の器用なダイス、僕の兄貴分で勉強や運動を見てくれるロックがいた。

本当に。子供の僕から見て、どういう環境なのかはよくわからないけれど「村ぐるみで子供を育てているいいところなんだぞ!」と、マリオが自慢していたので、きっとここは良い村なんだろうなって思う。


なぜ思うだけなのかというと、僕はこの村から出たことがないのだ。

この山間部の村は、どうやら「隠れ里」と呼ばれる部類にあるらしい。

ごくごくたまに、迷い人が来るのだが、その人がここが伝説の隠れ里なんですね。と驚愕していたのはいい思い出だ。実際、伝説でも何でもない。僕らは普通に生活しているし、特別隠れているつもりもない。ただ、田舎なだけなのだと思う。


そもそも、隠れているとしたら、なぜ、何から隠れているのかは知らないし「自然と調和」という大義名分は良いとして、天候次第でとてもきつい冬を越さなければいけない年があることを考えると、さっさと村を開いて交易?ってやつをしたらいいのにな。と思う。


だって、前に迷い込んできた人を村で歓迎してもてなしていた時にその人から聞いた話では、1日も歩いた距離に大国があるらしいんだ。

それは、リュミナース大陸一のヴァルグランド帝国っていうらしい。

そんな帝国というところと交易できたらきっと村はもっと潤うだろう。

セレじいや近所のマグばあさんに、きれいな服を着せてあげたいなあと思うけれど、まだ子供の僕にそこまでの発言権はないってわかっている。


ま、本音でいえば、僕が愛情込めて育てたマルモの毛皮のコートが大都市でも人気になってほしいなあっていう僕の承認欲求なんだけどね!


そんなとりとめのないことを考えていたが、平和な日常に飽きているからそう感じるのか、さっきから時間はほとんど経過していないようだ。

太陽がアケリの木にかかるのはもう少しかかりそうだが、空腹に耐えられなくなった少年はマルモ達を集めて帰り支度をすることにした。


少年は草笛と棒でマルモ達を集め、山を下り始める。


村の方に下っていると何やら香ばしい香りが鼻につく。

何のにおいだろう?木が焦げる良い香り。何か燻製でも作っているのかな?

ダインが昔、魔獣の肉を持ってきたとき、こんな感じで燻製を作っていたなと思いだす。


はやる気持ちを抑えきれず、早歩きになるが、先月産まれたマルモが転んでしまうのでなかなか早く帰ることができない。

少年は「うーん。かわいいやつめ」と独り言をつぶやく。

今は、お前の可愛さもいいけど、食欲が抑えられないんだよなあ。

と、転がるマルモを立たせてやる。キュウっとかわいい声でマルモが鳴くのをにっこり眺めて、少年は村への旅路を急ぐ。


村の入り口でマルモ達を小屋へ戻し、少年は納屋の水道で手を洗う。

一日の労働を、無事に事故無く終えることができた安堵感で、家路へと急ぐ。

2ブロック先の林を曲がると村の入り口が見える。

少年は走ってその角を曲がると



村がなくなっていた



立ち上る煙の筋、燻製のような臭い。

少年は叫ぶでも、泣くでもない、ただ立ち尽くしていた。

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