第五話 予兆⑤

帝国暦1014年10月14日昼前

フジシマ子爵領領都アスカ

領主屋敷 アコウ・フジシマ


 古い紙と僅かなほこりの匂いが漂う執務室に、カーテン越しのうららかな朝日が差し込んでいた。

 朝の気配を残すひんやりした空気が少しずつ暖かくなってくる。

 

 ここ数年、厳しい寒さが続いていたから、こんな温かな朝は久しぶりのような気がする。

 

 兄のカガセは、大きな紫檀の机に肘をつき、眉間にしわを寄せ、マキシマ少佐からの封書を前に考え込んでいる。

 

 近頃、この思い詰めたような表情を見せることが、とみに増えたと思う。親父が生きていた頃はもう少し余裕もあったのだが。

 

 背負っているものの重さ、命の重さと言えば理由にはなるだろう。

 だが、僕には兄が、武人として斯くあるべしという、得体の知れない亡霊に取り憑かれているように感じられた。

 「せねばならぬ」という思考は、容易く人を縛り、追い詰めるのだ。


「アコウ、読んでみてくれ。お前の意見が聞きたい」


 今でも兄は僕の意見を求めてくれる。

 何回か商人たちの思惑を当ててみたり、バーミステラ家の動きを先読みしたりはあったけど、今思えば責任のない立場からの、気楽な意見だったと恥ずかしくなる。

 

 ソファから立ち上がり、兄が差し出した封書を受け取る。

 

 兄がこれだけしかめっ面をしているということは、まず辺境伯絡みだろうなあ。西辺境伯は、シンウィとの戦にはほぼ関わってこないので、東の陰険爺さんがまた何か仕掛けてきたんだろうな。


 あそこはシーカイ爺さんといい息子のツァオドンといい、ろくなことをしない。強欲黒幕ジジイと、「自分のやることは絶対正義」の過信ボンボンという害悪親子だ。

 

「あー、やっぱり東ですか」

「分かるか?」


 兄が呆れたように首を振っている。


 マキシマ少佐からの報告を最後まで読んでみる。

 一読した限りではシンウィ軍にバーミステラ兵が派遣されていたのは確実と思えた。

 

 ただ、バーミステラ兵と思われる捕虜を尋問したところ、供述の方向性がバラバラで、意図が読めないという記載が気にかかった。

 

 曰く、東辺境伯出身の傭兵である。曰く、シンウィ兵だが指揮官からバーミステラ兵を騙れと言われた。はたまた、バーミステラの偉いさんだから、解放しないとひどい目に遭うぞ、などという供述もある。


 これは、おそらく情報撹乱だろう。

 人は信じたいものを信じようとする。それを補強する情報を重視し、全く方向が違う情報が出ると惑う。

 

 そう考えると、練度の高い部隊による威力偵察という線が浮かび上がる。魔導部隊、見られたかな。

 

「兄上、これは試されましたね。隊商たちに紛れ込ませた『鷹の目』からは、東の爺さんも魔導兵器をいくつか購入したという知らせもありますし」


 シンウィ兵を盾にして、魔導兵器の威力やうちの運用方法を見極めようとしたんだろうなあ。

 ところがシンウィの芋泥棒が早々に潰乱したので、巻き込まれたというところか。

 

「そうだろうな、おそらくその通りだろう。シンウィを当面動けなくするための魔導使用だったが、少し裏目に出たようだな」


 目を閉じて、腕を組み思索にふける兄。

 しばらくそのまま彫像のように身動きしなかったが、考えがまとまったのか口を開いた。

 

「今回はシーカイはこれ以上動かないと思う」


 僕の思考は兄のそれをなぞっていたようだ。意見が一致する。

 

「僕もそう思います。魔導兵器を危険と考え、先手を打とうにもツァオドンがやらかしたせいで、東辺境伯の領内は緊張が高まっています。下手に徴兵すると、そのまま叛乱軍になりかねません」


「ツァオドンか。あいつはなぁ……」


 バーミステラの次期当主の話が出ると、少し緊張が緩む。


 僕ら兄弟が、ツァオドンと顔を合わせたのは、兄が襲爵の挨拶で東辺境伯の領都ルーファス=キャピティスを訪問した時だった。

 

 沈鬱で息苦しい領都に似合わず、明るくて快活な男だった。

 自信家で自己を疑わず、良かれと思ったら吟味することなく、すぐに口に出していた。

 

「僕が思うに」というお決まりの台詞が出ると、周囲の部下たちに緊張と諦めが走っていたのを記憶している。


 にこやかな笑みを浮かべながら、朝令暮改を繰り返す。

 自分の思いつきが形にならないと「なんで」と、淀んだ瞳で尋ねる。 陽気で無能で努力家な権力者。そのくせ、裏側に尋常ではない闇を抱えている──そんな男だった。

 

「まあ、この点だけはあのジジイに同情します。あのボンボンを見ていたら焦りたくなる気持ちも理解できますよ」


 実際、次期当主殿は読めない要素ですから。次に何をしでかすか予測できないというのは、なかなかに悩ましい。

 そういう意味でいえば、次期当主殿の頭に爺さんという重しが乗っているのはむしろありがたいと思える。

 

 兄はまたしても何か考えているようだ。

 

「あまり、ツァオドン頼みというのも問題があるな。もう少しバーミステラが動けないように足枷を付けておきたい。──マンダレーとスカルドゥ、焚きつけるか」


 マンダレーとスカルドゥ。

 

 いずれも東辺境伯家の南側に位置する子爵領だった。

 煽るには、いい選択肢だと思う。

 

 あの二家はどちらも東辺境伯の寄子なのだが、とにかく仲が悪い。その原因はというと、天空神教の経典をめぐる、些細な解釈違いが原因というのだから──まったく笑えない。

 

 そして、これまた細かい領境争いで、騒動を起こしては寄親であるシーカイ爺さんに泣きつくという問題児たちだった。


 東辺境伯家にしても、西のゴルドシュタイン家に対する多数派工作という利点がなければ、とうに見限っていたに違いない。

 

「そうですね、火種には事欠かない連中です。スカルドゥから衣類と塩を買うことにしましょう。食料と交換がいいですね。あとは、マンダレーに取引の内容を流してあげれば、勝手に山賊になってくれると思います」

「よし、それで行こう。『鷹の目』に手配を頼む」


 僕はしっかりと頷く。どうやら多少は兄の役に立てたようだ。

 昔からこの兄は頑固というか、要領の悪いところがあって、一緒にやんちゃをしても、親父やお袋に叱られるのはいつも兄だった。

 

 しかも、嫡男だからと進んで責任をひっかぶる傾向があった。

 責任はとっても手柄は取らない。僕がたまに何か良いことをすると、カガセ兄さんは必ず嬉しそうに、両親に伝えているのを見た。

 尊敬できる兄なのだが、その不器用さが歯がゆいときもある。


「話は変わるのだが、最近西からの隊商に何か変わりはないか?」

「なにかありましたか」

「ここしばらく、アウグスト殿からの書状の内容がな。かなり露骨に服従を迫るようになってきた」


 西側の隊商から上がった報告を思い返すが、不審な情報はなかったはずだ。ただ、交易量の統計は減少傾向だったか。

 それと、西側に限ったものではないのだが、貴族間の紛争に帝国が介入する頻度が明確に減っていた。

 

 帝国の消極的姿勢を見て、機を見るに敏な雷公が攻勢を掛けてきた可能性は十分にある。

 

「あの、強引な熊殿ですから。隊商からの報告には変事を知らせるものはないのですが、帝国のちょっかいがないと見切ったら、決断するかもしれません」

「うむ。それを考慮した方策を練らねばな。まず、帝国議会への働きかけを強めよう」


 黒い戦雲が、澎湃として地平の彼方から沸き起こるのを感じる。

 

 あの叢雲に巻き込まれた時、フジシマは、どうなってしまうのだろうか。

 不意に足元が崩れていくような気がして、僕はただ立ち尽くしていた。

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