第9話 想い

 リリスは自室で涙を流しながら、一枚の色褪せた写真を手にしていた。笑いながらリリスに寄り掛かるリョウと、それを迷惑そうに、でも嬉しそうにしている若い頃の自分。




 士官学校を卒業したその日に、士官学校の校庭で同期の男子が、面白半分に撮ったポラロイド写真だ。




「どうして、こうなっちゃったんだろうな……」




 ベッドに倒れ込むと、涙を拭う。


――私、軍の最新鋭HATのテストパイロットをするんだ。




 校庭で写真を撮られた後、そう宣言したのを思い出す。あの時はまだ、未来に明るい希望を持っていた。




――お前のテストした機体は、やたら『長距離射撃向き』なんだろうよ。




 笑いながらリョウは返してきた。それに対してリリスは、リョウがテストしたら『ドッグファイト専門』になるだろう、と切り返した。




「士官学校の途中で戦争が始まって、卒業と同時にHATパイロットとして戦場に駆り出されて、何百、何千、何万、何十万の人間の命を奪って、欲しくもない栄誉と名声貰って……」




 何で、こうなったのだろう、もう一度リリスは呟くと、天井の照明灯に向けて、両手を伸ばしてかざす。




「この両手には、もう拭い切れないほど人の血がしみ込んでいる。背中は祓い切れないほど人の魂が圧し掛かっている……。そして、両目はいつも人の命を見据えている……」




 再び、涙が顔を伝う。




「それでも、ここまでやってこられたのは、リョウがいてくれたから……。でも……」




――もう、いない。




 声にならない呟きを漏らす。




――会いたい。もう一度、会いたい……。




 溢れる涙が、感情を膨れ上げる。




「……会ってみよう。何故、あんたがこの道を選んだのかを。何の為に、銀河の全てに敵対する道を選んだのか、それを知るために、そして……」




 写真を軍服の内ポケットに入れ、亡き父が書いた命令書を別のポケットに入れる。そして軍服を身に着けると、少佐の階級章を襟に留める。




「叶わないなら、せめて、この私の手で……」




――それが、パートナーだった、そして幼馴染みとしての私の務め。




 決意に身を固めると、リリスは自室を出る。




「少佐……」


「決意されたのですね?」




 部屋の前で、キリコとアルバートに声をかけられ、リリスは頷く。




「キリコ中尉は大至急、駆逐艦ユニコーンの艦長、フェリアシル・メルブラット・フィンクス少佐に連絡。アルバート少尉は現時点をもって、私の補佐官に任命。司令部に行って、今から言う二人を招集。その後は、試作三番機、要塞攻略用HATハーデスに関する資料を可能な範囲でかき集めてちょうだい」




 リリスは指示を出すと、格納庫の方に向かう。




「少佐はどうなさるのですか?」


「階級がどう変わっても、私はHATのパイロットよ。試作六番機の支援砲撃用HATヘルメスと、十二番機の超長距離砲撃戦闘用HATアルテミスの受領手続きとマニュアルをもらってくる。どっちも開発途中である以上、私にどこまでできるのか、わからないもの」




 リリスの顔には未だ拭えない不安と、そして微かな決意があった。






 駆逐艦ユニコーンの艦長室。




 そこでフェリアシル・メルブラット・フィンクスは怪訝な顔でその報告を受けた。


「リリス・ヒューマン……少佐? ねぇ、ラッセン。あの人、いつの間に戦死したの?」




 当然の反応だ。いきなり『中尉』から『少佐』である。普通なら『名誉の戦死』というものが無い限り、二階級昇進などあり得ない。目の前にいる、自分の副官兼ユニコーン砲撃手のラッセンも戸惑う表情を隠していない。




「いえ、本日付けで昇進、だそうです」




 報告をそのまま上官に伝える。そして、フェリアシルから差し出された手の平に報告書を渡す。同時にフェリアシルの身体にかかっていた毛布がベッドに落ちる。




「HAT乗りの佐官って何人いた?」




 冷たく冷え切った言葉にラッセンは一瞬だけ目を泳がせる。泳がせたのは単純に目のやり場に困ったからで、言葉をかわそうとした訳ではない。何せ、目の前の上官は衣服の類を全く身に着けていない。それでも報告をした時は、まだ毛布が身体にかかっていたから気にしてはいなかった。が、自分の手から報告書を受け取った瞬間、毛布が滑り落ちた。つまり、今、目の前にいる上官は全裸の上、その事に全く気付いてないのだ。




「ふぅん……ファウスト参謀少将の命令か。ま、この基地で基地司令と艦隊司令の頭を飛び越えて……なに目を逸らしているの、ラッセン?」


「少佐……できれば何か羽織っていただかないと、その、男としては眼福ですが……」




 ラッセンの言葉にようやく、フェリアシルは自分の格好に気付いた。




「……!」




 声にならない悲鳴を上げ、毛布にくるまり、顔を真っ赤に染める。それでも、報告書を手放さず、目の方もそれを見ている所はさすがというべきだ。




「……なになに? 詳細はリリス少佐の口から聞く事? 艦に積み込むのは……」




 そこまで言って、凄まじいまでの声を上げる。




「これ、護衛用HATが一機もいないじゃないの!? いくらリリス少佐が優秀なパイロットだからって、たった二機、しかも片方は『骨』じゃない!」




 骨、とは全く組み立て上げられていない、パーツ状態のHATを指している。




「最新鋭の試作機とか言っても、直衛無しで任務やれって言うの!? 誰よ、こんな無茶な指令出したの!」


「ですから、ファウスト参謀少将です」




 ラッセンはきっぱりと言う。




「そんな事はわかっている! それと、本艦に転属命令? キリコ情報中尉にアルバート情報少尉……あとはイワン技術中尉とミツル軍曹? 誰、こいつら?」




 フェリアシルの言葉に、ラッセンは手帳を取り出す。




「キリコ情報中尉は元第一遊撃艦隊旗艦イクスプローダーのオペレーターです。主にクリムゾン・エッジの専属オペレーターをしていたそうです。この間の参謀定例会議で退役願いが受理されて、このアフリカに来ていますね。来た時の階級は少尉です。アルバート少尉はファウスト参謀少将の秘書官です。こちらもこの間まで階級は准尉でした」




 おそらく、聞かれる事をあらかじめ把握していたのであろうセリフに、フェリアシルは満足そうに頷く。




「両名とも本日付けでの昇進です。イワン技術中尉は試作機の両方に携わっていますね。ミツル軍曹は両機の武器調整が主な仕事だと聞いています」




 淡々と読み上げるラッセンに、フェリアシルは面白く無さそうに唇を尖らせる。




「そういう態度は、私の前以外ではなるべく出さないようにしてください」


「ん? なに? 妬いているのかなぁ? ラッセン君は?」




 いきなりくだけた口調に変わるフェリアシルに、ラッセンは大きく溜息を吐く。




「士官学校の頃からの悪い癖ですよ、少佐。仮にも士官学校を総合成績歴代一位の首席で卒業し、最年少で駆逐艦の艦長をやっている、ご自分の立場というものを、もう少し真面目にお考えください」


「だぁってぇ……」




 唇を尖らせて言葉を一旦切ると、小さく言葉を漏らす。




「私がこの立場にいるのは、九割以上、フィンクス家の家名とミョウジン財団のお金のお陰と言ってもいいじゃないの」




 尖らせたままの口に、ラッセンは軽く唇を重ねる。




「これで我慢してください。で、いかがなさいます? 一応、先任少佐としての拒否権は存在しますが?」




 ラッセンの行動に満足したように、満面の笑みを浮かべると、少しだけ考え、頷く。




「いいわ。私もファウスト参謀少将に借りはあるし、死んだという理由だけで借りを踏み倒す程、私は落ちぶれてもいない」




 それに、とフェリアシルは小さく息を吸い込む。




「この任務をこなせば、私が自分の手で得た『栄光』とかが貰えるんでしょ?」




 そこには自分自身に対する、絶対的に自信の満ちた瞳があった。


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