第4話 退役願い

 一ヵ月後。




 地球連邦軍総合病院ニューヨーク支部。リリスは頭と数箇所の関節部位に包帯を巻いた状態で、自分の主治医に頭を下げた。




「もう良いのかね? リリス中尉?」




 医師の言葉にリリスは頷く。作戦成功と、たった一機での一個師団壊滅は、リリスの階級を一つ上げ、先日見舞いに来たキリコは任命証と勲章を一つ持ってきた。




「少し痛みますが、それでも、動くことに関して支障は在りません。無駄に入院費をかけるのも気が引けますし……」




 実際リリスの怪我は大した物ではなかった。一ヶ月前の戦闘時、一瞬の戦慄がリリスの身体中を駆け抜けた。頭で判断するよりも速く、機体の全武装をパージし、全エネルギーをバーニアに廻した。その反動で強く頭を打ち、関節の全てが悲鳴を上げた。その一瞬がリリスの怪我を軽傷で済ませたといって過言ではない。




「それで、先生。リョウの方はどうなんですか?」




 リリスの言葉に医師は視線をリリスから逸らした。




「リョウ少尉は除隊扱いになるだろう。君はこの程度で済んだからいいが、彼は違う。特に脊髄の損傷がはげしい。人工脊髄の移植で日常生活自体は何の支障も出ないだろう。だが、激しい運動や、ましてHATの操縦など無理だろう」




 それでも状態を述べるのは、医師としてよりも、リリスに現実を教えるためだった。




「そう、ですか……」




 顔を落とすと、重傷人病棟の方に足を向ける。




「面会は、大丈夫ですよね?」




 陰で曇らせたままの顔で声を出す。




「構わんが、彼にとって、今は言葉を出すこと自体が苦痛だという事を忘れないでくれ」




 医師の言葉を背中で受け止めながら、重い足取りでリリスは動き出した。




 病室の前に辿り着くと、リリスは軽く自分の頬を叩き、極力平静な表情を作り、病室のドアをノックする。




「調子はどう、リョウ?」




 優しく声をかけるリリスを確認すると、リョウは首を僅かに横に振った。




「ま、あれに巻き込まれて、全治半年なんだから、自分の強運に感謝しなさいよ」




 その言葉にリョウは小さく頷く。今のリョウにとって『それ』がどれだけの重労働であっても、リョウはリリスの前ではそれを苦痛に見せまいとしていた。その姿にリリスは僅かに何かを振り払うように首を振ると、微かな笑みを浮かべる。




「早く治さないと、私に撃墜数で追いつけなくなるわよ?」




 リリスはそこまで言うと、ベッドの横にある椅子に腰を下ろし、傍にあったリンゴの皮をむき始める。




「食べるでしょ? 食べやすいように小さく切るけど」




「た、の、む」




 かすれた声で言うリョウに、リリスは一瞬だけ哀しそうな笑みを浮かべると、小さく切ったリンゴを小皿にのせ、フォークで刺すと、リョウの口元に運ぶ。




「特別大サービスで、私が食べさせてあげるから、早く良くなりなさい」




 そう言うリリスの表情から、陰が消えることは無かった。






 リリスは病室から出ると、大きく溜息を吐いた。




「あれ、リリス中尉……? リョウ少尉のお見舞いですか?」




 不意にかけられた聞き覚えのある声に、リリスは慌てて姿勢を正した。




「えっ? あ、キリコ少尉……」




 リリスは馴染みのある顔に、急いで笑顔を作る。




「はい、キリコ・ナナセです」




「あ、敬礼はいいわよ。私服なら、あなたはプライベートで来ているんでしょう?」




 敬礼しようとするキリコを制すると、リリスはゆっくり歩き出す。




「はい。同期の友人が一人、先週の戦闘で重傷を負ったので……」




 もう見舞いの方は終わりましたけど、と付け加えると、キリコはリリスの後ろを追うように歩き出した。




「リョウ少尉の様子はどうですか?」




 おずおずと尋ねるキリコに、リリスは歩を止めると、キリコの方に顔を向ける。




「多分、精神的には良くないわね。医師の方の話だと、人工脊髄の移植で、一般的な日常生活には支障がない程度までは回復するそうだけど、HATに乗るなんて不可能だという話よ」




 リリスの口調は果てしなく暗い。




「生きているだけで、それだけでも良しとしなくちゃ、そう思う自分もいる。でも、本心から言うなら、あの人と一緒にHATを駆り続けていたい……」




 ゆっくりと歩き出しながら、リリスは言葉を選ぶ。




「グラビティ・ボム。高重力の物体を光速に近い速度で回転させることによって、人工的な小ブラックホールを一時的に生成する……。よくもまぁ、考えつきますね」




 キリコはそこまで言って、あわてて口に手を当て、すみません、とリリスに向かって頭を下げる。




「いいのよ。それに、こういう事は覚悟していなくちゃ、軍人はやっていられないわ」


「……あの、リリス中尉……?」




 傍から見ても無理をしているとわかる笑みに、キリコは言いにくそうに口を開いた。




「何?」


「退役願いを出されたというのは本当ですか?」




 キリコの言葉に、リリスは少しだけ考えるように首を傾げると、僅かに頷く。




「どうして、ですか……?」


「ま、いろいろ気の滅入る事が多かったからね、ここ数ヶ月」




 その疑問に込められた意味を理解すると、リリスは差し障りのない言葉を選んだ。




「人間だから、疲れてしまう事もあるから……」




 そこまで言うと、通り過ぎそうになったジュースの自販機に手を伸ばし、スロットにカードを差し込む。




「何、飲む?」


「え……?」


「コーヒーでいい?」




 答えに窮しているキリコに向かってそう言うと、答えを待たずにボタンを押す。




「少し、愚痴に付き合ってもらう、そのお礼」


「あ、すみません……」




 微笑みながら、紙コップを差し出すリリスと、それを慌てて受け取るキリコ。




「いいわよ、礼なんて。さっき言ったみたいに、愚痴に付き合ってもらう、その先払いなんだから」


「愚痴、ですか?」




 オウム返しに言うキリコに、リリスは頷く。




「退役願いを出したのは本当。正式に受理されるのは今度の参謀定例会議の後だから、二ヶ月後ね。それから一年半の予備役に入って、ようやく退役。予備役の間にする希望はトライアルにしておいたわ」


「トライアル? 新型HATのテストパイロットですか?」




 キリコの言葉にリリスは静かに頷くと、そばにあった長椅子に腰を下ろす。そして自分の横に座るように指示をするかのように、自分の右側のスペースを軽く叩く。




「失礼します」




 キリコが自分の横に座るのを確認して、リリスは天井を見上げる。




「私がファウスト少将を嫌っているのは知ってる?」




 まるで友人に話しかけるように、くだけた口調で話しかけるリリスに、キリコは逆に恐縮しながら首を横に振る。




「ま、オペレーターのあなたに言ってもしょうがないけど、私たちHAT乗りにとって、ファウスト少将は融通の利く、良い上官なのは認めるし、参謀少将とシリウス方面軍総司令という立場から、打ち出される作戦は戦局に大きく影響を与える事も多い」




 そう言うと、一口、コーヒーを含む。




「でも、その作戦で一番負担を強いられるのは、私たちHAT乗りなのよ、実際……」


「閣下がそれだけHATに期待をされているという事ではないのですか?」




 キリコがそう弁明をする。




「期待と、酷使するのとは違うわよ。確かにシリウス連合軍のHATは地球連邦軍ヴァルハラを始め、手痛い打撃を与えてくれたし、あのコンセプトは『凄い』の一言では片付けられないわね。宙間戦闘機を上回る旋回機能、航続距離、そして武装換装ウェポンセレクトシステムで作戦に併せた武器の変更。どれをとっても、奇に照らした、そして合理的な兵器よ」




 リリスの顔がまた天井に向けられる。それに釣られた様にキリコは天井を見上げ、再び視線をリリスに向ける。




「リョウも言ってた。HATは局地戦やゲリラ戦には有効だし、都市攻略から要塞攻略作戦にまで、幅広く使える高性能の兵器だって。その意見に私は賛成だし、少将もそれは考えていると思う」


「そうです! 特に中尉たちのクリムゾン・エッジは私たち第一遊撃艦隊の誇りです! だから、この間だって……」




 つい声の大きくなるキリコは不意に寒気を覚える。気付けば、自分に向けられるリリスの瞳が恐ろしく冷たい光を放っているように感じた。




「だから、何?」


「え……?」




 闇の底から響くような呟きに、キリコは小さく息を呑んだ。




「あなた、もしかして、この間の聖堂騎士勲章の事を言ってるの?」




 冷たく、鋭い声にキリコは肩を震わせる。




「そんな物、貰うだけ迷惑よ。要らない名誉を背負わされて、余計な期待をかけられて、より過酷な戦場に放り込まれる。そうなれば、更に多くの『死』と背中を合わせるだけになる。今までがそうであったように、ね」




――だから、私は勲章なんていらない。




 他のパイロットが聞けば激怒しそうな小さな呟きに、キリコはその重さを感じた。




「それで、トライアル希望、ですか?」


「ホント言うとね、私は戦争なんかより、そっちの方が良かったの。でも、戦争は始まってしまったし、その辺は軍を就職先に選んだ以上は、しょうがないと思って割り切っていたつもりだったけど……」




 リリスはそこまで言うと、後の言葉を飲み込むかのように、紙コップに残っていたコーヒーを飲み干した。

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