第6話『こねこ騒動と、商店街の絆』

「……あれ、今、鳴き声しなかった?」


 仕込み中の厨房で、陽菜が耳を澄ます。


「気のせいじゃ……って、聞こえましたね、にゃーって」


 楓もまな板の手を止める。


 ふたりで店の裏手、勝手口の扉をそっと開けると――


「にゃ……」


 そこにいたのは、小さな三毛の子猫だった。

 耳がぴんと立ち、まだ首輪もない。少し痩せていて、毛並みもぼさぼさだ。


「わ、かわいい……でも、どうしよう」

「捨てられたんでしょうか……」


 陽菜は思わずしゃがみこみ、子猫を見つめた。

 彼女の指先に、子猫がとことこ歩み寄ってくる。


「……とりあえず、ミルクあげようか」


 子猫を段ボール箱に入れ、古いタオルで包む。

 店の開店準備をしながら、陽菜は厨房でぬるめのミルクを作って持っていった。


 ミルクを飲みながら、喉をごろごろ鳴らす子猫。

 その姿に、店の常連や近所の人たちがすぐに集まってきた。


「なんやなんや、朝から騒がしいねえ」

 八百屋の林さんが顔をのぞかせる。


「うわ、こねこやん! だれんとこの?」

「多分、捨てられちゃったんじゃないかって……」


「まあまあ、ほら見てこのしっぽ。かわいすぎて誰か連れて帰りそうやなあ」

 林さんは子猫の尻尾を見てにこにこしている。


「子猫か。懐かしいなあ。昔うちでもよう飼うとったよ」

 今度は魚屋の大将が、手に氷のついた木箱を持ったままやってきた。


 そのうち、美容室の若女将・麗子さんも登場。


「まあまあ、いいお客さま。ふふ、楓くんよりかわいいかも?」

「えっ、僕……比べられた!?」


 笑いがこぼれ、ひだまりの裏口はすっかり“猫見物スペース”と化していた。


 けれど、陽菜の表情には少し曇りが浮かぶ。


「このままずっとここに置いておくわけにもいかないよね……」


 子猫はあまりに幼く、ひとりで外を生きていける状態ではない。


「保健所に連絡するのは、避けたいですね」

「うん……」


 そのとき、ふと思い出したのが――商店街の片隅にある、昔ながらの写真館「星野写場」のじいさんのことだった。


「子猫だって?」

「はい。誰か引き取ってくれる人、知ってませんか?」


 星野写場の店内。古い木枠のカメラと、色褪せた家族写真が並ぶ空間で、じいさんは顎に手を当てて考える。


「ふむ……じつはな、こないだ孫が“猫飼いたい”言うててな。娘は反対してたけど、これも縁かもしれんなあ」


 陽菜と楓が顔を見合わせる。


「本当ですか? お孫さん、おいくつなんですか?」

「小学校の三年や。家の事情もちょいと複雑でな……猫がいたら、少しでも笑顔増えるかもしれんと思ってたところやった」


 話はとんとん拍子に進んだ。


 その日の夕方。子猫は、陽菜の手で小さなキャリーケースに入れられ、星野じいさんの家へと引き取られていった。


「じゃあね……元気でね」

「にゃ……」


 小さな声に、陽菜は思わず目頭を押さえた。


「別れ、寂しいですか?」

「ううん。幸せになってほしいだけ」


 その晩、閉店後の店内。


 陽菜と楓はカウンター席に並び、ちょっとした猫騒動を振り返っていた。


「なんだかんだで、商店街のみんなが協力してくれたなぁ」

「はい。あらためて思いました。ここ、あったかい場所ですね」

「そうでしょ。……私、この商店街、大好きなんだ」


 ぽつりとこぼした陽菜の言葉に、楓が静かにうなずく。


「僕も、そう思います」


 そして彼は、少し照れたように続けた。


「それに……陽菜さんがいるから、ってのもあります」


 陽菜は一瞬きょとんとして、でもすぐに笑った。


「それ、告白?」

「えっ、ち、ちが……!」

「ふふ、冗談冗談。ありがとうね、楓くん」


 笑い合うふたりの間に、あたたかな沈黙が落ちる。


 ――この商店街で。

 少しずつ、「ふたりの居場所」が、できてきた気がした。

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