第一話:影に染まる人生
山の奥深く。常に白い霧が立ち込める谷合に、その里は隠れるように存在していた。
どの地図にも記されず、外の者が知ることは決してない……――――影の集落。忍びの血が代々受け継がれる場所、それが【
俺はその家に生まれた長男。物心ついた時から、自分が背負わされているものの重さを知らされ続けてきた。
「跡継ぎとして当然の務めだ」
「お前が恥をかけば、一族が笑われる」
「できぬなら、死ね」
冷たい声と共に振り下ろされる拳。竹刀のように鋭い叱責は、肉体だけでなく心をも容赦なく削いでいった。
母はいつも父の傍らに立ち、伏せた瞳の奥で感情を隠したままただ沈黙を貫いていた。息子が殴られる音が響いても、顔を歪めることすらない。
その沈黙こそが、幼い俺には何よりも残酷に思えた。
忍びに名は不要……――――そう教えられた。名を持たぬということは、存在を刻まれないということだ。
己を証すものなどどこにもない。人ではなく道具として、使い捨てられるために育てられているのだと早くも悟っていた。
だからこそ、俺は自分の人生を呪ったのだ。
「……勝手に期待すんなじゃ。
全部、お前らが勝手さ決めた事じゃろ」
思わず口にした反抗の言葉は、即座に鉄拳で返ってくる。畳に叩き伏せられ、頬に血が滲み視界が揺らぐ。
だがその痛みの奥で、心はただ一つの叫びを繰り返していた。
(俺は……道具でねぇ。人間じゃ)
仲間と呼べる者もいない。同じ修練場に立つ子らでさえ、互いに蹴落とし合うだけの関係。
兄弟姉妹なども居らず、里の誰もが敵だとしか思えなかった。人に背を向け、心を閉ざし孤独を抱える日々。
だが、それでも夜は訪れる。山の上から強い風が吹き、谷を覆う霧が一瞬だけ裂ける夜がある。
雲間から覗く月明かり……――――それだけで奇跡のように思えた。誰にも見られぬ闇の中。
俺はその夜だけ、声を殺して泣いた。
強さとは何か。忠義とは何か。
命を懸けて守る価値とは、どこにあるのか。
誰も答えを教えてはくれない。俺には聞く相手すらいなかった。
答えを求める心を持つこと自体が、許されぬような場所。
けれど……――――。
そんな俺の世界に、小さな灯が差し込む日が来た。
従妹の鈴。俺に人の温もりを思い出させた存在だ。
そして、くノ一見習いの如月。凛とした瞳を持ち俺を人として扱ってくれた存在。
名もなく生きてきた俺は彼女たちとの出会いを通して変わった。この物語は、血と呪いに縛られた日々の中で【影の子】だった俺に芽生えた……――――温もりの記録だ。
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