第28話

 今日は初雪が降っている。

 海沿いの町の宿に泊まることになった。ここからは海が見えないけど、すごく安くて、きれいな部屋なんだ。雪の間はここに留まる事になるかもって、みんなが言ってた。この辺りは雪が降ると馬車なんて使い物にならないから。それにこの町には魔物狩人がたくさん住んでるみたいで、すごく安全だってベンが言ってた。

 ジャスティスは寒い寒いと言いながら、もっこもこに着こんでる。何着、着こんでるんだろ。いつもの倍くらいは大きく見える。

 俺は全然平気で、ジャスティスにもらった黒のローブに、襟のあるシャツと薄手のセーターとズボンだけなのに。あとスカーフ。

 窓を開けて、雪を見てたらジャスティスにすごく怒られた。寒いから外行けって。そんなに怒らなくてもいいのに。でもみんな着こんでるし、多分寒くないのは俺だけなんだと思う。

 俺はベッドでゴロゴロしてるメルディのところまで行った。

 ベンに言われたんだ。どこかに行く時はちゃんとメルディに聞かなくちゃいけないんだって。あと、嫌っていうのも良くないって。嘘もついちゃダメだし、メルディに言われたらどんな事でもやらなくちゃいけない。

 開けっ放しのドアから入って、俺はベッドの前にしゃがんだ。

 メルディはすっぽり布団をかぶっている。頭も出てない。

「メルディ、外に行ってもいい?」

「好きにしなよ」

 なんかかなしい。ちゃんと顔を出してくれたっていいのに。こんなもっこりしただけの布団に話しかけたってちっともうれしくない。

 でもいいんだ。メルディは約束通り、一緒にいてくれるんだから。俺、それ以上はほしいって思っても、言わないって決めたんだ。本当はもっと話したいけど、いいんだ。

 俺は部屋を出ようと思って、立ち上がった。

 右腕を引っ張られる。

「待ちな」

 メルディがパジャマのまま、ぼっさぼさの頭を出していた。

「座って」

 メルディは真面目な顔をしていた。

 俺、スカーフちゃんとしてるのに、なんかしたかな? 話しかけてほしくなかったのかな?

 大人しくベッドに座って、メルディを見る。ベッドはメルディの体温で温かかった。

「言いたい事があるなら言いな」

 メルディはそう言って、俺の頬を撫でる。

 あれからメルディは、頭を撫でる代わりにほっぺた撫でるんだ。嫌じゃないけど、くすぐったい。それにちょっとかなしい。本当はいつもみたいに髪を撫でてほしい。でも平気。こんなのなんでもない。一生一緒にいるんだから。

「ないよ、大丈夫」

 俺はメルディに言った。

 メルディは俺の腕を引っ張り、ぎゅっとする。

 真っ白な布団で前が見えなくなる。でも温かくて、メルディの匂いがする。

 これでもだいぶ慣れたと思うんだ。前は突然されたら、泣いちゃったんだ。平気だって分かってるのに、怖くなんかないのに、涙が止まらなくなった。結局、朝までメルディにしがみついて泣いた。

 でも今はもう平気だ。ちょっと胸が苦しくなるけど、目を閉じて、メルディの体温を感じたらしあわせだって思うから。

「何を隠してるんだい?」

 俺は顔を上げた。

 メルディが俺を見ていた。

 ゆっくり顔を近づけてきたから、またあれだって気付いた。

 最近メルディはよくこれをする。俺は左手を後ろについて、ぎゅっと目を閉じた。少し怖い。でも平気。一瞬だから。苦しいけど、メルディがしてくれるんだもん。してくれなくなったら嫌だ。そんなのかなしい。

 口唇に口唇が触れると、いつだって苦しくなる。締め付けられてるみたいに、苦しくて、息が出来なくなるんだ。そして頭が真っ白になる。触れてる口唇がしびれて、力が抜ける。それが少し怖い。

 いつもだったらすぐ放してくれるのに、今日は放してくれなかった。冷たいぬるっとしたのが口に入ってきて、メルディはがっちり俺の頭を押さえる。掴んだ右腕も放してくれない。そもそも力が入らなくて、なんにも出来ない。

 分かんない、怖い。すごく怖いけど、メルディは酷い事なんてしないから、じっとしてなくちゃ。きっとこれもやさしい事なんだもん。逃げちゃダメなんだって、自分に言い聞かせる。嫌じゃないもん、嫌じゃない。

 でも気付いたら、また泣いてた。

 ちゅって音がして、口唇が離れた。

 大きく息を吸って、俺は涙を拭った。

「平気、大丈夫」

 俺はそう言ったけど、メルディは俺の手を放さなかった。

「平気ならなんで泣くの?」

 メルディはそう言って、俺の事をぎゅっとする。

「嫌なら嫌って言いなよ。どうしちゃったんだい?」

 顔を上げると、メルディが俺をのぞきこんでいた。頬をぬぐってくれる。

 温かい体温、肩。大好きなのに、どうしていつもこんなに苦しくて、痛いんだろう。

 本当はメルディだって、もっともっとしたい事がある筈なのに。メルディにも、うれしいって思ってほしい。好きって思ってほしい。メルディの特別な好きでいたいのに。

 この前見ちゃったけど、レイチェルとジャスティスはもっとなんかぐちゃぐちゃやってた。一瞬だったけど、二人して、べったりくっついてやってたの見た。俺、ジャスティス以下? そう思ったら、なんか悔しい。

「ベンに何か言われたのかい?」

 メルディはそう言って、俺の頬をまたゆっくり撫でた。顔が少し近づいてくる。

 またされたらどうしよう。涙、止まらないのに。

「クライブは、これ嫌いかい?」

 メルディが言った。

 怒ってなんかない。いつも通り、やさしくて温かい、メルディの声。怖くなんかない。

 俺は深呼吸してから、涙をもう一度拭って、メルディを見つめた。

 嘘ついちゃダメなんだから、ちゃんと答えなくちゃ。でも、メルディが俺を嫌いになるんじゃないかって思ったら怖い。でもメルディは答えなかったら、きっともっと嫌いになる。

「怖い。分かんないから、怖い」

 俺は答えた。

 メルディは笑った。

「なんだ、嫌われたかと思った」

「どうして?」

「泣くから。そんなに嫌なのかと思って」

 メルディはそう笑った。ほっとした顔をして、俺の手を放した。

「俺、メルディがうれしいなら平気」

 メルディを見上げて、その手を今度は俺が掴まえる。白くて細い手首が温かい。いつもメルディがするみたいにゆっくり引っ張るんだ。

「メルディにも、うれしくなってほしい」

 メルディが真っ赤になった。俺、また失敗したのかな?

「あたいはクライブに無理してほしくない」

「無理なんてしてない」

「ならどうして泣くの?」

 メルディはそう囁く。

「時間なら飽きるほどあるんだよ。ゆっくりでいい。怖いって思ったならちゃんと言いな」

「いいの?」

「いいよ。ゆっくり覚えればいいよ」

 メルディは俺の頬を撫でて、にっこりと笑った。その笑顔にほっとして、涙がまた出て、俺は両手で目をこする。

「でもせめてキスくらいは覚えてほしいかな」

「それ、何?」

 メルディが俺の頬に口唇をくっつける。

 温かくて、じんとする。うれしい。これは嫌じゃない。

「今したよ」

 メルディは少し楽しそうに言う。

「キスは好きだから、口唇をつけるんだよ」

「でもさっき、もっと他の事した」

「あれは忘れて」

 メルディはくすっと笑った。

「またそのうちね」

 なんか悔しい。やっぱり俺、ジャスティス以下だ。まだぎゅってしてくれるやつもなんて言うのか教えてもらえない。でもいい。メルディが好きでいてくれるんだったら。

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