青灰の地より

不病真人

第一部 龍と男に焔

第一章 覚醒

第一話 灰を喰う

この地では風が吹かぬ。

火を灯せず、鐘も鳴らず、木すらも生えぬ。

ただ、灰が降る。それだけだ。

それを人々は「祝福」と呼び、舌にのせ、肺にいれ、胃に詰めて生きる。


そう名づけられているから、そうしているに過ぎない。

 さっきからこんなくだらないことを言う俺は..

俺は名を持たぬ。いや、正確には捨てた。


 名とは、かつてこの地に在った“龍の名”を借りて付けるものであり、俺にはそれを授ける者がもういない。


いわゆる──孤児だ。



ゆえに、ただ「解体人」とだけ呼ばれてきた。


捻りもなければ、誇りもない。ただの呼び名だ



 十と八の歳から、俺は“神龍の肉”を解いて生計を立てた。名の如く、龍はこの世の神だ。

  ……だったものだ。


 神は、もう死んだ。 


だから人々はその死骸に群がり、血を吸い、骨を削り、脂を焚いて、いつまでも明かない夜をしのぐ。そうしなければならない。

 俺の仕事は、灰を降らせる、そんな“神の死骸”からとりわけ食える部分を選り分けること。故に解体人、か

仕事の半分はこれ。


けれど、あるとき触れた感触に、思わず動転した。

それはあまりに眩しかった。


手で隠そうとするが、無駄だった。


 神は光に似ていた。

皮膚は光を反射する金属のように冷たく、

それゆえに発光しているかのように見える。


叩けば金属のような音を返す。

切り裂けば、音が増す。


「骨が音を帯びているのか」と驚いたのは、最初のことだった。

骨の中は空洞が多く、音を反響させる構造になっていた



 俺は鳴り響くその肋、その骨、その音へ向かって、斧を振るい続けて砕く、砕く、砕く、砕く、

砕く。

 砕く。

砕く、砕く、砕く。

砕くそのたび、耳の奥で「讃歌」のような振動を聞く。

 だが、いつからか――それが「呻き」に変わった。

だから俺は、いつも自分に問いかけている。

今も、こうして。そうだ

 ──本当に、これは死骸か?


 ある夜のことだった。

俺は、神の眼窩から降る灰を眺めていた。


そこに、ひとひらの灯があった。


誰かが、火を点けたのだ。


この地では風が吹かぬ。

だからこそ、火を灯すことは禁忌だった。


火は──記憶を呼び起こす。


忘れることこそが、この地における生の術であるにもかかわらず。


 俺はその燈に近づいた。

そして、見た。


ひとりの女が、神の眼窩にのしかかるようにして、かすかな火を掲げていた。


 眼のない神の頭蓋に、灯りを点す――それはまるで、神を再び目覚めさせようとするかのようだった。


 「おまえは誰だ」

俺が問うと、女は言った。

「まだ、名を持たない」


 その声は、燈の火のように儚く、降り注ぐ灰のように重厚だった。

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