第6話 校庭の片隅で


かささぎの 渡せる橋に 置く霜の

白きを見れば 夜ぞふけにける

—中納言家持



あの夜、校庭に降りた霜は、

どこか凛として、

それでいて、少し寂しげだった。


君は覚えているだろうか。

教室の窓の下で、白い息を吐きながら、

僕たちは将来の話をした。


「将来って、何歳までのことを言うんだろうね」

君が言った言葉を、

僕は今でも不意に思い出す。


たとえば、三十歳で亡くなった僕の人生に、

“将来”はあったのだろうか。

たとえば、君がこの手紙を読むこの瞬間、

僕の存在は、

まだ“過去”に過ぎないのだろうか。



高校を卒業して、

僕は教師になった。


君が夜の街に出たと風の噂で聞いたのは、

もっとずっと後になってからだ。


けれど、不思議だった。

誰より明るく、優しくて、

人の名前を忘れない君が──


なぜ、自分のことだけを

そんなに遠ざけていたのかが。



あのころ、好きだったんだと思う。


校庭の霜を一緒に踏みしめながら、

「いつか暖かい喫茶店でもやりたいな」って、

君が笑って言った。


本当に叶うと信じてた。


でも──

橋はいつも、誰かを向こう岸に連れていく。


それが「夜」だと気づいたのは、

こうして君に会えなくなってからだった。



この手紙は、君に届かなくていい。

ただ、思い出の奥に

そっと一滴の霜のように残ってくれればいい。


たとえば、今、

あの橋に霜が置かれているように。


たとえば、夜が深くなっていくとき、

君がふと一人きりになったとき、

あの白い霜を思い出してくれたら。


それだけで──いいんだ。



風の郵便局に手紙が届いた夜、

局員は、何も言わずにそれを封じる。



冬の匂いのする夜。

橋を渡る音が聴こえる気がした。


静かに、

ただ静かに、

思い出だけが霜のように

積もっていく。

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