第10話 噂の飴細工

噂の飴細工

 朝早く俺は学校に向かう。特にテストとかではない。ただ、昨日のことで飴が心配だったから。

 教室に入ると飴がいて、俺はバッグを自分の席に投げ捨てて早足で飴の方に向かう。


「飴、飴」


「伊聡君。昨日殴られた?」


「うん。殴られたし、最近遅いからってなんか蹴られた」


「ごめんね」


「違う。飴、お前は、」


「昨日はお父さん酔って帰ってきてね。なんか居酒屋の酒瓶持って帰ってきちゃって、それで殴られちゃった」


「は?」


「えっとね、ほら」


 飴は前髪を上げると額にガーゼが貼ってあり、パッと手を見せるとそこには包帯が巻かれていた。


「ガードした時に手が少し切れちゃってね。でも大丈夫だよ、左手だから。私右利きだし」

 

「違う違う違う、何も大丈夫じゃないだろ」


 俺らは親からされたことを何でも言い合える仲になっていた。しかし、俺は飴の虐待に慣れることは出来なかったし、慣れたくなかった。


「伊聡君、今日は放課後話せるよ」


「そっか、良かった」


 俺らが話していると、まだ早い時間なのにクラスメイトが数人入ってくる。いつもなら来ない時間なのにどうしたのだろうか。何かの委員会か?しかし昨日担任からは何も連絡が無かった筈だ。

 クラスメイト達はこちらを見ると、口元を隠して耳元で少しコソコソと何かを話した後にすぐ出て行ってしまった。


 ああ、まさか。


「昨日のことかな?」


「多分な」


 このクラスの情報網の伝達はインターネットと引けを取らない。昨日のことをもうクラスグループで言われたのだろう。俺も飴もそこに入っているが、多分俺らを抜かしたグループで流されたか、それとも伝言ゲームのように一人一人に流されたか。

 どちらにしろ、厄介なことになってしまった。俺が待てずに飴に駆け寄ってしまったから。こんなことならさっさと助ければ良かった、馬鹿だな俺。しかし後悔してももう遅いため飴とこれからのことを話す。


「飴、これからどうする?」


「何が?」


「余計に嫌がらせが増えるぞ」


「ふーん」


 飴は興味が無さそうに自分の不規則に長い髪を指先で弄っている。


「気にしないのか?俺と飴が付き合ってるとか、裏で手を回してるとか、多分そんなこと言われるぞ」


「私は伊聡君が好きだからね、別に良いよ」


「はぁ…」


 好き。それは恋愛感情ではないだろう。飴はどこか常識が無いと言うか抜けているが、そこも可愛いと思ってしまう俺はもう末期だ。


「でもさ、付き合ってるって勝手に勘違いしてくれたらもっともーっと一緒に居られるね」


「そうだな」


「嬉しいなぁ。私、伊聡君以外要らないから」


「飴…」


「伊聡君以外みんな死んじゃえばいいのに。伊聡君のこと悪く言う奴、伊聡君を邪魔する奴、全員」

 

 飴は砕けて元に戻っていない飴細工の瞳を揺らす。砕けて初めてその虚無に感情が浮かんだ気がする。


「伊聡君、好きだよ」


「ああ」


 俺も。という言葉は飲み込んだ。飴の好きと俺の好きは違うから。

 段々と外が騒がしくなり、俺たちはそれぞれ席に着いた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「御石って流麗月と付き合ってんの?」

 

 昼休みに飴が近くにいない時、クラスメイトに聞かれる。俺は目を伏せた後事実を答える。


「ない」


「だって今学年ですげ~噂だぜ。昨日の放課後、お前と流麗月が教室でアンナコトしてたって」


「あんなこと?」


「だーかーらー!キスだよキッス!」


「はぁ!?」


 俺は思わず声を上げると、周りにいた全員がコチラに注目する。逆に良い機会だと思い俺はわざと声量を上げて話す。


「あのな、これでも俺は議員の息子だ。そんな奴が教室でそんなことしてたらどうなる?父親の株ただ下がりだろ。だから絶対違う。誰だ?それ言ったの」


「え?いやそれは…」


「これは立派な名誉毀損だ。特に、俺の父親は議員だからこういうのはかなり響く。裁判になったら賠償金も一般的な金額よりも跳ね上がるだろうな」


 俺は父のことなんてどうでも良いが、父を案ずる嘘を交えて脅しをみんなにかける。するとみんなはゴクリと息を呑み、主犯格であろう女子達は顔面蒼白だ。


「だからもうあまり広めるな、話すな。これは俺だけじゃない、飴にも言えるぞ。飴の父親は特に今波に乗ってる大物有名人だから俺よりももっと大きい裁判になるだろうな」


 飴のことも言うと、みんなはそれ以降それを口にしなかった。丁度いいタイミングで飴が戻ってくるが、飴はなんだかいつもよりも静かな教室を見渡して俺に話しかける。


「伊聡君、何かあったの?」


「別に」


「ふーん」


 飴は特に何も聞かずにエナジードリンクを飲むが、案の定、もう飲めないと俺に寄越す。俺はそれを受け取り残りを飲み干す。ここのところ毎日飲んでるから中毒になってしまいそうで怖い。いや、もう中毒かもしれないが。


「ねぇ伊聡君」


「なに」


 飴は俺の隣に来て俺にしか聞こえない音量で話す。耳に息がかかってくすぐったい。他の男子なら気を失ってしまいそうな、喜びで蒸発してしまいそうなシチュエーションだが生憎俺はそんなのに興味は無い。


「来週のテスト、今度こそちゃんと取らないとヤバい?」


「そうかもな」


 前回のテストは俺でも初めて取った酷い点数だった。それでも100点の教科はあったし学年一位だけど、それはただ単にみんなが出来てなくて運が良かっただけだ。

 飴は俺から離れると透き通った声で、普通の音量なのにクラス全体に通る声で言う。


「頑張ったらご褒美あげるよ」


「……………は?」


 静寂を保っていた水面に一滴の水滴が落ちて一気に波紋が広がるような、そんな状況が今俺のクラスで起こった。飴が発したその言葉に男女問わず全員がコチラに注目する。俺は開いた口が塞がらず、だらしない表情をすることしか出来ない。


「何でもいいよ、何か買いたい物とか、何かして欲しいこととか、何でも」


「………あのなぁ、」


 俺は飴を諭そうとする。こんなことは軽々しく言ってはダメだと、何をさせられるか分からないから気をつけろと。そう言おうとしたが、飴は俺の言葉に被せて喋る。


「でも君は真面目だからなんだかんだ理由をつけて断ると思います」


 飴は悪戯っ子のような顔をし、人差し指を立てて顔の近くで魔法を唱えるかのようにくるくると回す。ああ、バレてるな。


「ねぇ、この学校は廊下にテスト結果が張り出されるでしょ?だから今回のテストは誰が1位なのかが私にも分かります。逆に言うと、嘘が付けません」


「はぁ、」


 俺が抜けた返事をすると、飴はまた俺に寄って耳元で子供騙しのように妖しく囁く。




  「君以外にも、これを言ったらどうする?」




「――――は?」


 俺はボヤボヤとしていた頭の霧が一気に晴れる。他の奴にも、コレを言う?ご褒美をあげると?

 脳がまだこの事象を処理しきれていないのに飴は俺から離れてまた通る声で言う。


「一位の人に、何でもしてあげる。君以外の人にも」


 それを宣言したときみんなは一斉に目を見開き、女子も男子も一気に欲に塗れた瞳になる。


「何でも買ってあげるし、何でもしてあげる。先生が最近テストの結果が悪いって嘆いてたから。どう?君は乗る?君が乗らなくても私は提案を撤回しないし、実行するよ」


 妖しく笑うその顔はクレオパトラみたいな掴みどころが無い溜息が出そうな美しさだ。クレオパトラ見たことないけど。俺はそれに見惚れどこか違う世界に飛ばされるが、俺は自分を叱咤してどうにか現実世界に戻る。


「お前…‥!!」


 俺が飴を睨みつけると、飴はそれが狙いだったと言わんばかりに口元を狐の面ような弧を描く。その顔でさえ異様な甘い香りを纏って俺をクラクラとさせ、どこかイケナイところへ誘ってくる。


「さて、改めて聞こう。君はどうするの?御石 伊聡君」


「乗る!」


 俺は食い気味に宣言すると、周りの奴らもワラワラとコチラに寄ってくる。飴の近くには男が群がり、俺は舌打ちをした後飴を自分の方に引き寄せる。


「俺も!誰でもいいんでしょ、流麗月さん!」


「良いよ、女の子も」


「えー!私新作コスメ欲しい!」


「じゃあ私は服買いたいなぁ」


「え、本当に何でもいいの?何でも?俺本当に何でも言うよ?」


「良いよ」


 飴は自分の美貌を十分に振り撒き使いこなし、飴を目の敵にしていた女子までを魅了する。その姿は父親である流麗月晶にとても似ていて血の繋がりを感じざるおえない。いつもの飴らしくないその行動と言動に吐き気に近い違和感を覚えながら、俺は飴の肩を掴んで抱きしめるような形になる。


「飴、お前…」


「頑張ってね、伊聡君」


 俺のすぐ隣で飴はそう微笑み、わざとらしく自分の長い髪を耳にかける。その白い指を食い千切ってしまおうか。そんな激情に襲われるが何とか理性を保ってやり過ごす。


「お前、放課後逃げんなよ」


「逃げないよ」


 そんなやりとりをしたが、皆自分の欲望と飴の妖艶さに当てられ何一つ耳に入っていないようだった。


 午後の授業はいつもみんな眠くて大半がふて寝してしまうのに、今回は全員起きていた。担当教師は熱心とも取れるその姿勢に感動はせず、逆にその異様な光景にどこか怯えた様子で授業を進めていた。


 

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