濁る飴細工

第7話 似ている飴細工

 目的地は学校から遠いところだった。タクシーの料金を見ると結構値を張っていて、コイツは毎日この額を朝と夕方払っていると思うと怖気に近い寒気がした。

 タクシーから降りると前には豪邸があった。大きな豪華な門を重そうにギギギと開け、俺はソイツに着いていく。


「本当にいいのか?」


「良いよ。今日お父さん帰ってこないから」


「母親は?」


「死んだ」


「は?」


「お母さんは、死んじゃった」


俺は口を紡ぐ。まさか亡くなっていたなんて思わなかった。

 確かに、テレビとかでも奥さんの話は出てきてなかった。気まずい俺を置いてソイツは白の大きな玄関の扉を開けて家の中に招く。父親は帰って来ないと言ってはいたが念の為靴は持って家に上がる。

 リビングはとても大きくて、一種のパーティーホールみたいな感じだった。俺はソイツの自室に行き手当を受ける。白のベースに金色の装飾がついたエレガントな引き出しから救急箱が出てきた時は驚いたが、ソイツは当たり前の様にテキパキと俺を手当てしていく。


「よし出来た」


「ありがとう」


俺が素直に感謝を述べると、ソイツはすぐに救急箱を片付ける。よく片付いている部屋だなと思う。とても広いのに物が少ないから余計に広く見えてしまう。


「じゃあこれで」


「あ、待って」


ソイツは財布から何枚か紙幣を取り出して俺に手渡す。数えてみると5万あった。


「は?」


「タクシー代。ここから君の家がどれだけ離れてるかわからないから。足りなかったら私に言って。その分渡すから」


「いやいや…」


 タクシー五万ってかなりの距離だぞ。それにそんなに遠くないし。その金額に俺は億劫になってその場を動けない。


「まだ居る?」


「いや…」


そろそろ帰らないと本気でヤバいだろう。いや、どっちにしろ今帰っても殴られるか。そんな考えをしていたら、不意にソイツが口を開く。


「君は、私と似てるかもね」


「は?」


コイツは急に何を言い出すんだ。俺は顔を顰めるが、反対にソイツは薄く笑う。


「また、学校で話してね。御石君」


「ああ…」


俺は力ない返事をする。今度こそ家を出ようとドアノブに手をかけたとき、下からガチャリと音がする。


「あ?」


「えっ、な、なんで。今日は帰ってこないはずじゃ、」


ソイツは急に青ざめて慌て始める。俺を招いたと言ったら確実に怒られるだろう。俺は部屋から出るのをやめてソイツに話しかける。


「俺はいないほうがいい。タイミングを見て出るから」


「わ、わかった。は、早く隠れてっ」


俺は部屋のクローゼットに押し込められる。そこには服が何着かかかっており、どれも高級そうな服ばかりだった。俺は荷物を抱えて息を潜めていると、外から足音が聞こえガチャリと部屋のドアが開く音がする。多分、流麗月晶だ。


「おい」


「お、お父さん、お帰りなさい。ど、どうしたの?今日は帰ってこないんじゃ…」


少し怯える様なソイツの声は途中、何か鈍い音にかき消される。その代わり、ウッとソイツの呻き声が聞こえてくる。


「帰ってきた。それくらいわかるだろ」


「ご、ごめんなさ、」


謝罪の言葉が終わる前、また鈍い音が響く。何回か響いた後、コホコホと咳き込む声が聞こえる。


「何、俺が悪いの?ごめんなさいって、俺が何したって言うんだよ!!」


「ちが、ごめんなさい!ごめんなさい!」


外で何が起こっているか分からないが、俺はこの感じを知っている。





 暴力を受けている、この感じを。





「だからウルセェよ!!」


 体を蹴る音、骨が軋む音、呼吸が苦しくなる声、全てが俺の耳にダイレクトで伝わってくる。耳を塞いでしまいたいのを必死で堪え、何とか正気を保って耳を立てる。


「あーイラつく。みんな黙って俺に従えばいいのにさ、これが良いとか、あっちのほうが良いとかさぁ!しったこっちゃあねぇんだよ!!」


流麗月晶は的外れな怒りをソイツにぶつけている。


「ごめんなさい!もうやめて下さい!」


 ソイツはガラスのような声で叫ぶが無慈悲にも理不尽な暴力は止まず、数分間ずっと嫌なことが部屋に響いていた。


「はぁ…もういい、後で俺の寝室に酒持って来い。度が高いやつな」


「はい…」


流麗月晶は謝罪も何なくそれだけ言うと、乱暴にドアを閉めて出ていった。暫くして俺はそっとクローゼットのドアを開ける。


「おい…」


「……………行こ」


ソイツはボロボロな体を動かして俺の手を取る。俺は1人で大丈夫だが、ソイツのボロボロな姿を見たら何も言えなかった。ソイツはズルズルと足を引き摺りながら俺を玄関まで送る。

 帰り際、俺はソイツに話しかける。


「なぁ、」


「大っ嫌い」


ソイツは俯いたまま吐き捨てる様に言う。


「みんなみんな、お父さんのことすごくかっこいいって言うけど、あんなのの何処がいいの?あんな人、私は大っ嫌い」


「そうだな…」


俺もその気持ちが分かる。俺だって、父が大っ嫌いだから。


「君も、私と同じだね」


「は?」

 

ソイツはゆっくりと顔を上げて哀しそうに笑う。

 

「君も、同じだよ。すぐに分かった。ああ、この子も似たような子だなって」


俺は唇を噛む。俺は分からなかった、何も。ただ蝶よ花よと育てられた奴だとばかり思っていた。それが悔しくて、憎い。


「学校で、また私と話してくれる?」


「ああ」


「えへへ、嬉しいなぁ。約束ね」

 

ソイツはボロボロの顔で不器用な笑顔を張り付けると、また足を引き摺りながら家に戻っていく。その背中が余りにも小さくて、俺は晴れない気分のままタクシーで帰った。

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