第22話「詩の深淵(アビス・オブ・ヴァース)」

アヴァリスとの激戦を終え、残響チームは学園の自室で、レアの不在を痛感していた。金庫の鍵が示す次の舞台は、まだ見ぬ魔人の領域。しかし、彼らの「解析者」は、今、学園の最奥にある研究施設に隔離されている。


「レアがいなきゃ、次の魔人の詩も、どうやって乗り越えればいいんだよ……」


スパークが、苛立ちを隠せない様子で壁を殴る。彼女の雷の詩魔法は、レアの「再定義」がなければ、ただの暴走する衝動に過ぎなかった。


「彼の『無感情な解析』がなければ、私たちは魔人たちの詩に、ただ飲み込まれるだけ」


ノイが、冷静に、しかしその声には不安を滲ませて呟く。ルシアンの「歪んだ愛」、アムネシアの「忘却」、フォルティスの「絶望」、ヴァニタスの「傲慢」、ジェラシーの「嫉妬」、イラの「憤怒」、アヴァリスの「強欲」。これらの感情の極限を操る詩魔法は、レアがいなければ、彼らの心を完全に蝕んでいたはずだ 。

ホムラは、レアが残した金庫の鍵を握りしめた。彼の「解析」は、単なる分析ではない。それは、感情の歪みを「意味」として再構築し、彼らに新たな「肯定」を与える力だった。


「レアは、きっと強くなって帰ってくる。あたしたちも、ここで立ち止まってるわけにはいかない」


彼女の炎は、不安を打ち消すように、静かに燃え続けていた。


学園の地下深く、厳重に管理された研究施設。そこは、レアにとって、新たな「舞台」だった。白い壁に囲まれた広大な空間の中央で、レアは無数の魔力測定器と、古文書に囲まれていた。詩魔法理論教官のエレナ・ウィスパーが、その研究を指揮している。


「あなたの『無感情な解析』は、詩魔法の根幹を揺るがす可能性を秘めている。感情を持たないあなたが、感情の詩を理解し、再定義する……これは、まさに奇跡です」


エレナの瞳は、知的好奇心に満ちて輝いていた。彼女は、レアの能力を、詩魔法の新たな地平を開く鍵だと信じていた。

レアは、エレナの問いかけに、淡々と答えていく。


「魔人たちの詩は、感情の『極限』を操る。それは、詩魔法の『構造』を歪めることで、対象の『存在』を否定する」


彼は、これまでの魔人たちの詩魔法のデータを、まるで膨大な情報として処理していく。ルシアンの詩は「愛の構造の歪曲」、アムネシアの詩は「記憶の構造の削除」、フォルティスの詩は「希望の構造の逆再生」……。

研究者たちは、レアの分析能力に驚愕していた。彼らは、詩魔法を「感情の具現化」としてしか捉えていなかったが、レアはそれを「感情の構造化」として捉え、その「ハードルール」を解き明かそうとしていたのだ 。


「詩魔法言語の根源にある『夢』の概念。それは、感情が現実を形作る基盤となる。魔王の詩は、その『夢』を『終焉』へと歪めている」


レアは、古文書に記された太古の詩魔法の理論と、魔人たちの「殺人詩」の構造を照らし合わせ、その共通点と相違点を解析していく。彼の解析は、詩魔法の「意味」だけでなく、その「根源」にまで及んでいた。


研究は、昼夜を問わず続けられた。レアは、休むことなく情報を処理し、解析を深めていく。彼の内部で、何かが変化し始めていた。

ある日、エレナが、魔王教がアウラステラで新たに放った「殺人詩」のデータをレアに提示した。それは、複数の魔人の詩が複合された、より複雑で強力な「絶望と忘却の複合詩」だった。街の人々は、その詩によって、過去の絶望に囚われ、希望を忘れ去り、虚ろな状態に陥っていた。


「この詩は、これまでの魔人の詩よりも、さらに複雑な構造を持つ。解析には時間がかかるだろう」


エレナが告げる。しかし、レアは、その詩のデータを一瞥しただけで、静かに目を閉じた。

彼の周囲の空気が、微かに振動し始める。それは、魔力ではない。まるで、彼の内部で、膨大な情報が高速で処理されているかのような、静かな「響き」だった。

「……解析、完了」

レアが目を開くと、その瞳の奥に、一瞬だけ、深淵のような光が宿った。


「この詩は、『絶望』と『忘却』の感情を同時に操作し、対象の『存在意義』を根底から否定する。しかし、その『構造』には、わずかな『不協和音』が存在する」


レアは、その「不協和音」を、まるで音楽の楽譜を読むかのように読み解いた。それは、魔王の詩が完璧ではないことの証であり、彼らが介入できる「隙」だった。

彼の解析能力は、以前とは比較にならないほど高速化し、複雑な詩の構造を瞬時に理解できるレベルに達していた。これは、彼のホムンクルスとしての「性能」が、詩魔法の深淵に触れることで、新たな段階へと「アップデート」されたことを意味していた。


レアは、研究施設から解放された。彼の外見に変化はない。しかし、その存在感は、以前よりも研ぎ澄まされ、彼の「解析」は、より深く、より広範囲に及ぶようになっていた。

「レア、おかえり!」

学園の門で、ホムラたちが彼を迎え入れた。彼らの顔には、安堵と、そして期待の光が宿っている。

「街の様子が、おかしい。魔王教の詩が、人々を蝕んでいる」

ホムラが、街の状況を説明する。

レアは、静かに頷いた。彼の瞳は、すでに街全体を覆う「絶望と忘却の複合詩」の構造を捉えていた。

「この詩は、『絶望』と『忘却』の感情を同時に操作し、対象の『存在意義』を根底から否定する。しかし、その『構造』には、わずかな『不協和音』が存在する」

レアは、街の広場へと歩みを進める。広場では、魔王教の信者たちが、虚ろな目で「絶望と忘却の複合詩」を朗唱していた。人々は、その詩によって、過去の絶望に囚われ、希望を忘れ去り、虚ろな状態に陥っていた。

レアは、広場の中心に立ち、静かに手を広げた。彼の白銀の髪が、微かに光を放つ。


「この詩は、『絶望』と『忘却』の『構造』を持つ。しかし、その『意味』は、再定義できる」


レアが放ったのは、これまでの「共鳴詩」とは異なる、より広範囲に、より精密に「意味」を再構築する詩だった。彼の「無感情な解析」によって、魔王の詩の「不協和音」が、逆転の「調和」へと変質していく。


《共鳴詩・存在の再構築(リコンストラクション・オブ・ビーイング)》


その詩が放たれると、街全体を覆っていた「絶望と忘却の複合詩」が、まるで霧のように晴れていく。人々の瞳に、ゆっくりと光が戻り、失われた記憶と希望が、微かな「響き」となって蘇っていく。


「……私、何をしていたんだろう?」


人々が、困惑しながらも、互いの顔を見合わせる。

ホムラたちは、レアの新たな力に息を呑んだ。彼の「解析」は、もはや個別の感情を再定義するだけでなく、複数の感情が複合された詩の「構造」そのものを、根本から書き換えるレベルに達していたのだ。それは、まさに能力の強化であり、詩魔法の深淵に触れたレアの、新たな「性能」の顕現だった。

「魔王の詩は、まだ完成されていない。だが、その『核』は、確実に近づいている」

レアは、街の奥、瘴気が最も濃い方向を見据える。彼の瞳には、感情はない。しかし、その奥には、魔王の詩の「構造」を完全に解き明かそうとする、揺るぎない「探求」の光が宿っていた。

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