第二章:YESの代償

翌朝、五条一真は目覚めると、自分の中で何かが変わったことに気づいた。

時計を見る。午前11時。


「……いつもより30分早く起きたな」


たったそれだけのことで、少しだけ心が軽かった。

だが、頭の隅にあるメモの一文がじわじわと効いてくる。


──全てにYESと答える。


その日最初の「YES」は、ネット通販だった。

「初回限定トライアルの美容サプリ」が目に入る。普段ならスクロールするだけだが、今日は違う。


YES


980円。安い。だが、内心ではわかっていた。

こういうのは、定期購入が罠だ。


「まぁ……YESだからな」


クリック。登録完了。翌月から月額4980円。

──第一の代償、始まる。



午後。家のドアがノックされた。


「NHKでーす!」


五条は小さく舌打ちした。

この手の訪問は、無視に限る。だが、今日は――


YES


「……どうぞ」


テレビは持っていなかったが、契約書に署名した。

集金員は「ありがとうございまーす!」と満面の笑みで帰っていった。

自分がサインした瞬間、彼の態度が“作り笑い”から“本物”に変わったのを、五条は見逃さなかった。


──“YES”は、誰かの利益になる。


だが、自分のものではない。



夕方、旧友・相沢からLINEが来た。


「今夜、うちで鍋パするけど来る?」


YES


数ヶ月ぶりの再会だった。

居間には、大学の頃の友人たちがいた。みんな仕事をしていて、楽しそうに恋バナや職場の愚痴を言っている。


五条は少し肩身が狭かったが、話を合わせて笑った。


鍋が煮立ち、唐突に相沢が言った。


「なぁ五条、ちょっとだけ金貸してくれない?」


──YES


言葉が勝手に出た。

財布から二万円を出す。彼は遠慮したフリをしながら、それを受け取った。


「サンキュー、来月には返すからさ」


その笑顔に、五条は返す言葉を持たなかった。


帰り道、財布は空だった。

夜風が、やけに冷たく感じた。



翌日、スマホに見知らぬ番号からの着信。

躊躇なく、五条は出る。


YES


「お忙しいところ失礼します、投資セミナーのご案内なのですが──」


YES


「ありがとうございます!じゃあ、明日の18時に新宿の──」


──YES


何を言われても、全て「YES」で応じた。


翌日、指定されたビルの会議室。

集まったのはスーツ姿の男女。名刺交換が始まり、資料が配られる。


「年利10%保証、最低30万から」


YES


貯金残高は、あと3万だった。


講師の男が言った。


「今日契約された方には、特別に“成功者限定”パーティーへの招待をお付けします!」


会場がざわついた。五条の手が自然に挙がる。


YES


契約書にサインした。

指先が震えていた。



帰りの電車の中で、スマホに届いた通知を見た。


【残高:97円】


現実が、胸を締めつけた。


──YESだけじゃ、食えない。


けれど、ルールは破れない。

それは“実験”だから。

自分自身を「変える」と誓ったから。


その夜、インスタントラーメンをすすりながら、五条はふと思った。


「なんで、俺だけが……YESの代償を払ってるんだ?」


“YESは奇跡の言葉”ではなかったのか?

他人には笑顔と感謝を。

自分には請求書と孤独を。


──YESは、優しいフリをして、残酷だった。


でも、やめられなかった。

「やめよう」とするその選択肢にも、YESと答えてしまうからだ。



数日後、五条はひとりの男と出会う。


彼は言った。


「……あんた、ずっとYESだけで生きてんのか?」


その目は、何かを知っていた。


「面白い。俺のところで働いてみないか?」


男の名は、久我(くが)。

詐欺と裏取引を生業とする男だった。


五条は口を開いた。


「──YES」


地獄の第二段階が、始まった。

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