第一話  大剣聖、王宮に入る

 私が家出を敢行したのは十二歳の時だった。あと半年もすれば成人の儀式を受けるというタイミンングだったわね。


 成人の儀式を受けると貴族の子女は大人扱いになる。そうすると結婚の準備のための教育が本格化し、社交において結婚相手探しが始まるのだ。


 貴族、特に貴族令嬢にとっては結婚は重大時である。いや、それは庶民にとっても重大事件である事は確かだけど、貴族の場合は結婚する当人以上に、家にとっての重大事なのだ。


 結婚というのは家同士が結び付くチャンスである。もっと言えば目上のお家、高位の家と関係を近付ける絶好の機会なのだ。


 もちろん、あまりにも家柄が離れ過ぎていれば結婚は難しくなるけど、それでも身分低い家の令嬢が愛の力で障害を乗り越えて高位貴族に嫁いだ例はままある。


 なので貴族令嬢はなるべく高位の、身分の高い貴公子に見初められる事が期待されている。そのために幼少時から貴族令嬢は出来るだけ魅力的な淑女になれるよう、教育を施されるのだ。教養、芸術、ダンス、お化粧、立ち振る舞いなどなど。


 もちろん私も嫌という程仕込まれたわよ。私はロレイラン侯爵家唯一の娘だったからね。それはそれは期待され、幼少時から厳しく教育されたのだ。


 正直、嫌で嫌でたまらなかったわね。


 私は生来、非常に活発なタチで、外で遊ぶのが大好きだった。お屋敷の庭園に出て走り回るのが好きだったのよ。馬に乗ったりチャンバラをしたり、時には噴水に飛び込んで泳ぐのなんかも大好きだったのだ。


 その私がお部屋でお勉強とかお稽古とかを延々とやらされたのだ。お母様は厳しかったからね。時には椅子に縛り付けられてまで、教育教育お稽古お稽古の毎日だった。大概うんざりしていたのだ。


 そして十三歳の誕生日が迫ってきた。十三歳。成人という事は結婚が可能になる。嫁入り先探しが本格化するのだ。そうなれば今よりも、もっともっと厳しい教育が待っているに違いない。


 今のうちは外で遊ぶ事が許されているけども、成人したら「そんなはしたない事はもう許しません」とお母様が言い出すに決まっている。


 そしてお茶会や夜会などの社交まみれになって、お見合いも繰り返しやらされて、おそらく侯爵令嬢の私は同じ侯爵家か、下手すると王族に嫁いで、より堅苦しい生活を強いられる事になるだろう……。


 ……やってられるかー!


 私はキレた。ブチ切れた。そんな生活、そんな人生とても我慢出来ない! 私は決意した。全てを捨て去って新たな人生を手に入れる事を決意したのだ。


 私はある夜、お屋敷からの脱走を決行した。動き易いブラウスとスカート、ブーツに身を包み、ポケットに数個の宝石を忍ばせただけで部屋を抜け出し庭園を駆け抜け、鉄柵を乗り越えて王都の街へと走り出したのだ。


 ……無謀? まぁ、そうね。今考えると無謀で危険でとんでもない事だったとは思うわ。でも、きっとあの時に戻っても、やっぱり私は脱走を敢行すると思うけどね。


 私は街を走り、以前に場所を聞いていた、昔家で働いていて私を可愛がってくれていた老庭師の家を尋ねたのだ。


 ロブスというその七十歳近い庭師は、それはそれは驚いていたわね。慌てて家に帰るよう説得してきた。


 でも私がガンとして帰らないと主張すると、ため息を吐いて、落ち着くまではいても良いと言ってくれたわ。


 私は棲家を確保すると、宝石を古物屋に行ってお金に変えた。侯爵家保有の宝石なんだからかなり高価な品だったと思うんだけど、足元を見られて大した額にはならなかったわね。多分盗品だと思われたんだろうね。確かに家から盗んで来たんだしね。


 私は手に入れたお金を半分ロブスに渡し、半分で身の回りの物を整えた。平民女性の着る服を古着屋で揃えて、そして防具と剣を手に入れた。ロブスは何をするつもりかと肝を潰していたけどね。


 私は家出した時から「冒険者」になるつもりだったのだ。


 冒険者とは主に人里の周囲に出没する魔物を退治する職業である。魔物が増えると農業にも交易にも差し障りがあるので、魔物をやっつける冒険者は重要な職業なのだ。


 私は冒険者の話を使用人や出入りの職人に聞いていて、以前から憧れていたのよ。剣と魔法と知恵と勇気で偉大なるドラゴンにも立ち向かう。まるで子供の頃に聞いたおとぎ話みたいじゃない? 私は冒険者になりたくて家出をしたのだと言っても過言ではない。


 冒険者になるには魔力が大事だ。魔力がないと魔物は倒せないからね。その点では私は有利な筈だった。なぜなら、貴族は平民よりも高い魔力を持っているのが普通だからね。まして私は侯爵令嬢。子供の頃に魔力を計った時も神官様が驚くような魔力量を記録していたのだ。


 これならきっと冒険者でやっていけるわ! 剣術もご令嬢教育で少し習ったしね! 私は革鎧を身に付け片手剣を振り回しながら、意気揚々と冒険者ギルドへと向かったのだった。


 ……いきなり跳ねつけられた。年齢制限で。十三歳以下は登録不可だったのだ。私は怒って、受付で散々ゴネたのだけど決まりは覆らなかった。ガッカリだ。


 しかしギルドの人は代わりに、訓練所を教えてくれた。冒険者の訓練所ね。そこでは見習い冒険者の教育をやっているらしい。そこを紹介してくれたのだ。そこは会費さえ払えば未成年でも通ってもいいのだとか。


 私はもちろん入所を決意したわよ。どうせ成人までは二ヶ月くらいだったしね。その間の生活費は仕方がないからロブスの家の近くの工房でお手伝いをして稼ぐ事にした。


 正直、いきなり冒険者に登録出来なくてよかったわよ。なにせ私は魔物の種類も弱点も戦い方も知らないのに魔物退治に出ようとしてたんだから。あのままだったら王都を出た所でブルーウルフとかブルースライムとかにやられて終わってたかもね。


 訓練所では魔物の種類生態、出没する場所、弱点や有効な戦い方、そして魔物を倒した後に手に入るものを詳しく教えてくれた。そして実戦向きの剣術とか防御方法とか、魔法も教えてくれたわね。残念ながら私は魔力はあるけど魔法には向かないと言われたけどね。


 そこで出会ったのが魔女のルミネースだった。


 私と同じ歳だったルミネースは、この時まだ見習い魔法使いだった。真っ赤な髪と黄色い瞳の背が高い女の子。


 私と彼女は訓練所で一緒に教育を受けている内に親しくなり、それでパーティを組んで一緒に旅に出る事にしたのだ。訓練所にはそういう風にパーティメンバーを見つける場所という意味合いもある。


 訓練を受け始めてから半年後、私は晴れて冒険者免状をギルドから交付され、一人前の冒険者となって、ルミネースと一緒に王都の外に飛び出したのだった。


 正直最初は大変だったわよ。


 私は侯爵令嬢。ルミネースは魔法学校出身で二人とも世間の事を何も知らなかったからね。一応は訓練所で平民世界の常識も色々教えてはくれたんだけどね。


 それでもまぁ、何度も何度も騙されたわよ。依頼を果たしたのに報酬をすっぽかされるなんてしょっちゅうだった。置き引き引ったくりは日常茶飯事。道具は預けたら転売され、いい宿があると言われてうかうかと付いて行ったら売春宿で、客を取らされそうになったこともある。


 最初はブルーウルフ一頭倒すもの大変で、それが十頭になった時にはルミネースと二人で一晩中山の中を逃げ回ったわ。スライムに窒息させられそうになったりゴブリンの罠に嵌められて断崖から落とされ掛けたり、大蝙蝠の巣に入り込んで三日三晩戦い続ける羽目に陥ったこともある。


 そんなこんな初心者冒険者の誰もが経験する困難を乗り越え、他の冒険者集団と組んで幾つかの討伐を経験するうちに、私もルミネースもすっかり逞しくなった。もう武器屋のおっちゃんに粗悪品掴まされる事も買取屋に魔物から切り取った素材を売ろうとして買い叩かれる事もない。市場で買い物する時は誰よりも安い値段で売らせる自信があるわよ。


 戦闘力も経験を積んでどんどん上がった。私は魔力が高く、魔力を剣技に乗せて戦えば、弱い魔物は一太刀で消滅させられるようになったし、強力な魔物にもダメージを与えられるようにもなった。


 魔力の大きな冒険者は貴重なのである。魔力が弱いと強い魔物は倒せないからね。なので同じく大きな魔力を持つルミネースと私は、冒険者の間で次第に注目を集め、大規模な討伐にも呼ばれるようになっていった。


 こうして私は一人前の冒険者になり、王都から少し離れたイーファスの町にルミネースと一緒に部屋も借りて、この五年間冒険者として楽しく刺激的な日々を過ごしていたのだった。


 ……それがまさか、実家に見つかって連れ戻されてしまうとは……。戻って来る気なんてなかったのに……。これからの事を思うと、私はちょっと嘆きとため息が止まらなくなってしまうのだった。


  ◇◇◇


 王太子妃候補として王宮に入るまで二ヶ月あいだがあった。


 私はその間に冒険者ギルドとルミネースに手紙を書いて「しばらく冒険者としての活動は出来そうにない」と伝えた。お母様にお部屋をびっしりと監視され、全く逃げ出せそうになかったのだ。それに、逃げ仰せても冒険者ギルドに手配が回ったらお終いである。冒険者ギルドは王立の組織だから侯爵家からの問い合わせには嘘がつけまい。私が冒険者をやっていると実家にバレた時点で詰みなのである。


 冒険者ギルドからは事務的な了承の(ただ、行間からは「一体何をしでかした!」と怒るギルド長の顔が浮かんだけど)手紙が届き、ルミネースからは「だからあれほど言ったじゃないの! バーカバーカ!」と私を詰る手紙が届いた。彼女は私の王都行きに反対していたのだ。


 いずれにせよ、ギルドにもルミネースにもどうしようもない。私は仕方なくお母様が張り切って呼び寄せた教師陣によって、五年ぶりのお嬢様教育を力一杯施されたのだった。泣きそうである。


 なにしろ私はこの五年間、男が八割を占める冒険者の世界で剣を振り回して生きてきたのだ。そこにはお作法だの優雅だのそういうものはどこにもなかった。お酒を呑めば男どもと肩を組んで歌を歌うような世界なのである。


 それなのに男性の手を取る前にはカーテシーをして、それから優雅に微笑みながら右手を差し出しなさい。なんて世界に戻れと言われても……。正直馴染めなさすぎて参ったわよ。本気で何度逃げ出そうかと思ったか知れない。


 逃げ出さなかったのは機会を伺っていたからだ。強い魔物と戦う時にはただ遮二無二突撃するのではなく、「待つ」事が大事だ。相手の隙を窺い弱点を突くのだ。ただ逃げ出しても連れ戻されてしまうだろう。だから私は大人しく教育を受けながら、機会を待っていたのだ。


 ……もっとも、教育期間中には結局その「機会」は訪れなかったんだけどね……。


 二ヶ月のスパルタ特訓の末、とうとう私は王宮に王太子妃候補の一人として送り込まれたのだった。


 王都の西北に聳え立つ王宮。高い尖塔がいくつも天に向かって伸びる様は、王都のどこからでも見える。その威容は平民視点で見るとあまりにも大仰で、厳つくて、近寄り難い。実際、平民は何の用もないなら王宮に近寄る事などない。


 その王宮に、私は跳ね橋を馬車で渡って入城したのだった。実家でさえ抜け出すのは困難だったのに、こんな堀に囲まれ高い塀に囲まれた王宮からはちょっとやそっとでは抜け出せないわよね。


 私は馬車の中でため息を吐く。とりあえず王太子妃候補として大人しくしているしかなさそうだ。そして機会を待つのだ。


 私はピンク色のスカートの裾を摘んで、粛々と馬車から降りた。王宮の車寄せは馬車が同時に五台は停められるくらい広大で、大理石の石畳は水を撒かれてしっとりと湿っていて、大きく開かれた大扉の左右には制服姿の使用人が二十人くらい、ズラッと並んでいた。


 介添人のお母様と二人、エントランスホールに入る。呆れるほど広く呆れるほど天井が高い。ドラゴンの巣穴のようだ。違うのは絢爛と装飾が光り輝き、十数個のシャンデリアが燦々と輝いて明るい事。昼間から明かりを灯すなんて贅沢なと思ったんだけど、どうやら蝋燭ではなく魔力の灯りのようである。


 二階に上がっていくつもの部屋を抜ける。たくさんの鏡があってピンク色のドレスを纏った私の姿が何度も映った。……似合わない。ちょっとがっかりしたわよね。


 私は蒼い髪なのだからピンクなど似合わないと思うのだ。こんなファンシーな色のドレスは金髪フワフワな髪の娘が着るべきだ。でも今日は王太子殿下へのアピールなのだからとお母様に無理やり着せられたのである。


 お母様はやる気十分だけど、私はまさか自分が王太子妃に選ばれるとは全然思っていなかった。自分が冒険者だからという訳ではない。単純に自分の容姿の問題だ。


 私は蒼い髪とグレーの瞳を持ち、顔立ち自体は「まぁ、可愛い方じゃない?」とルミネースが言うのだから悪くないのだと思う。


 ただ、私は背が小さい。かなり小さい。そして身体に女らしい凹凸もない。全然ない。おかげで子供に、男の子に間違えられる事多数。同い年のルミネースと並んで歩いていて「弟か?」と言われたことは数知れず。


 その私がこんなピンクのドレスを着ていると、なんというか、本当に成人前の子供にしか見えないのだ。ちょっとガックリしてしまうわよね。まぁ、冒険者に容姿は関係ないけどさ。小さい方が魔物の懐に飛び込み易くて良いわってもんなんだけど。


 こんなチンチクリン女を王太子殿下が選ぶわけがないでしょう、と言いたい。お父様もお兄様もお母様もそれくらい分かるでしょうに。


 今回王宮に集められた王太子妃候補は、我がロレイラン侯爵家と負けず劣らずの高位貴族ばかりらしい。家柄は有利には働かないのだ。なら、後は容姿がものを言うという事になるだろう。


 実際、王太子様との顔合わせが行われるホールに集まったご令嬢方は、感心するような美女ばっかりだったわよ。


 集まった高位貴族令嬢は私を含めて五名。


 ブロンドの髪に碧眼。長身の女性はアスハイヤン公爵家ご令嬢のイェリミーシャ様。


 紺色の髪に黒い瞳の清楚な雰囲気の方はルグレード侯爵家ご令嬢スフシーヌ様。


 亜麻色髪がクルクルした髪型のあの方はシャスヤード侯爵家のミキリール様。


 茶色髪のちょっと気の弱そうなお方はバイゼベン伯爵家のルーミウス様。


 一応事前に顔と名前は覚えさせられたから合ってると思うんだけど。……しかしそれにしても……。


「少なくない?」


 私は首を傾げてしまう。だって、王太子妃候補でしょう? 将来の王妃様候補でしょう?


 それなら希望者がもっと大勢殺到してもいいと思うのだ。それは、家柄や年齢で絞らているのだとは思うけども、それでも王国には貴族が何百家とあるのだ。伯爵家以上でも何十家もあるだろう。家柄と年齢が王太子殿下に釣り合う娘はもっともっといてもいい筈だである。


 それがたったの五人。解せぬ。そういえば王太子殿下は十九歳になってようやくお妃様選びを始めたという話だったわね……。


 私が真相に近付きつつあったその時。


「おいでになりました」


 と王宮の侍女が言って、私は慌ててドアの方に向き直り、お腹で手を組んで頭を深く下げた。


 ドアが開いて誰かが入って来た気配がするが、頭を下げたまま動かずに待つ。ドアが閉まって入ってきた目前で人物が足を止める。


「楽にするが良い」


 というお許しがあって、私はようやくゆっくりと頭を上げた。


 そこににこやかに笑いながら立っていたのが、我がシャスバール王国の王太子殿下であるロイルリーデ様だった。


 ……これはびっくりだ。私は思わず目を瞬いた。これはびっくり。何というか、ものすごい美男子だ。


 銀色の髪は艶やかで、水色の瞳は切れ長。色の薄い頬は滑らかな輪郭を描き、真っ直ぐな鼻は程よく高い。背丈も高く、体付きも引き締まって精悍だ。濃い青のジャケットと純白のズボンも大変にお似合いである。


 ……私も他の皆様も(介添人の母親含め、みんな呆然と見とれている。それは私も含め皆様、儀式で王太子殿下を見た事くらいはある筈だ。しかし、こんなに間近で見た事がなかったために、彼がこれほどの美男子だとは気が付いていなかったのだろう。


 そもそも王太子殿下は夜会に出てくる事がないため、幻の王子扱いされていたのだそうだ。王太子殿下が十九歳という、貴族としては珍しくいくらい高い年齢まで、婚約者もお決めになっていなかった理由の一つがこれである。


 そしてもう一つ理由があったのだが、それはこの時、この中では私だけが知らない事だったのだ。


 とりあえず私は、この五年間には出会う事がなかった、花が飛び散るような美男子に感心する事しきりだった。へー。男にもこんな種類の奴がいるのねという感じだ。


 何しろ冒険者の男どもは背景に荒波が飛び散るような連中ばかり。筋肉命、力こそパワー。肉だ酒だガハハハ! みたいのしかいなかったからね。たまに入ってきた細いのは早々に死んじゃったし。


 王太子殿下はニコニコと笑って私たちを見ていたが、突然、とんでもない事を言い始めた。


「ふむ、君たちが私たちのお妃候補か。ご苦労様。それでは話し合って、誰が私の妃になるか決めてくれないかな」


 は? もちろんご令嬢、お母様たち全員が目を点にする。しかし王太子殿下は悪びれもせずに続けた。


「正直、誰を妃にしたらいいか私には分からないんだ。どうしても結婚しなきゃいけないらしいからするんだけど、私には選べない。だから君たちで決めてくれ」


 ……はー? 唖然呆然である。


 なんという無責任な発言か。私はもう呆れ返ったのだけど、私の他の女性はゲンナリとした顔はしているけどさして驚いてはいなかった。


 そう。これが王太子殿下がこの年齢になるまで婚約なさっていない理由だったのである。


 つまり、王太子殿下は年頃になっても女性に全然興味を示さなかったのだ。かと言って男色というわけでもないらしい。


 どうも他人、人間に興味がないようなのだ。彼が尋常ではない興味を持っているのは人間以外の存在に対してだったのである。


 私は「なんだコイツ?」と呆れてただけなのだけど、既に王太子殿下の事情を知っていて、それでも尚且つ、王太子妃に立候補してきた四人は顔に青い縦線を入れながらも笑顔を浮かべていた。さすがである。


 なるほど。こんな王太子殿下では求婚者が少なくても無理はない。どう考えてもお妃が愛される未来が見えないもの。貴族の結婚が家同士の都合で決められると言っても、限度がある。誇り高い高位貴族令嬢が「君を愛するつもりはないよ」とまで言われて結婚を受け入れる筈がない。


 ここの四人には余程の事情があるのだろうね。権力を狙うお家の強力な推進があったか、本人が王太子妃の地位に余程の拘りがあるか、美男子である事は疑いない殿下に惚れているか。そんな感じではなかろうか。


 私? 私は王太子殿下の事は何も知らなかったし、そもそも自分が王太子妃に選ばれるわけないと思ってるもの。員数外よ員数外。


 王太子殿下があの調子なので場のテンションはダダ下がりで、顔合わせの後に絢爛豪華なホールで行われた宴は、お葬式か! って雰囲気だったわよ。


 何しろ私も王太子殿下の前に出て名乗って口上を述べ、スカートを大きく広げてカーテシーをしたんだけど、王太子殿下はニコニコ笑って頷くだけで一言も下さらなかったからね。


 チンチクリンの私にだけかと思ったのだけど、いずれ劣らぬ美女揃いの他の候補の方々にも同じような塩対応。イェリミーシャ様なんかは必死に話し掛けていたけど、全然相手にして貰えていなかったわね。


 華やかであるべき宴が沈痛な雰囲気に包まれてしまったわよ。私は全然王太子殿下と結婚する気はないから良いけど、他のやる気満々の皆様は気の毒でしかなかった。


 私たちお妃候補はこれから王太子殿下の婚約者が決まるまで王宮に滞在することになっているんだけど、肝心の殿下があの調子では、本当に四人でくじ引きでもして決めた方が手間なくて良いんじゃないかしらね? 殿下も一応結婚する気はあるみたいだし。


 私はそんな事を思いながら、最初の挨拶以外は王太子殿下に近付きもせずに(お母様はしきりに行けと促していたけども)、さすがは王宮料理人が作ったという感じの美味しい料理を頂き、冒険者生活では滅多に飲めない高価なワインをパカパカ飲んでいた。


 その時、悲鳴が上がった。


「きゃー! 魔物よ!」


 むむ? 私は鋭く反応した。魔物が王宮内に? しかし魔物によっては突然人里に湧いて出る事もあるので、あり得ない話ではない。あんまり強力な魔物ではないとは思うけど。


 私が思わず駆け寄ると……。


 そこに浮いていたのは白くてふわふわした毛玉みたいな奴だった。確かに魔物だけど。


「なんだ。ケサランパサランじゃん」


 ケサランパサランは魔物は魔物でもただ浮いて空気中の魔力を集めるだけの無害な存在だ。確かに人里にも頻繁に湧いて出るが、何の危険もない。


 ただ、魔物は魔物なので怖がる人は怖がる。実際、見た目はただのフワフワした可愛らしい毛玉だというのに、広間の皆様はパニック状態になっていた。


「いやー!」「きゃー! あっちいって!」「誰か! 衛兵! 早く!」


 大騒ぎである。私は呆れてしまった。こんなの、平民の町では子供が蹴っ飛ばして遊ぶ程度の魔物なのに。


 しかし、人々を脅かす魔物を退治するのが冒険者の仕事ではある。私は頷いて進み出るとふよふよ浮いているケサランパサランの前に立ち、ピッと手を払った。


 それだけでケサランパサランは黒い粉となって消滅した。


 魔物に許容量以上の魔力を流し込めばダメージを与えられる。私なら、ケサランパサランくらいなら触っただけで消滅させられるのである。


 こんなのは討伐の内に入らないから無料にしてあげるわよ。と私は思いながら周囲を見回したのだけど。……皆様なぜか顔を引き攣らせて固まっていたわね。


 ……あ。私は今、冒険者じゃなく貴族令嬢なんだった。お嬢様は虫ケラに出会っても驚いて失神するほどのか弱い生き物なのだ。魔物を叩き落とすなんてもっての外だったのである。


 あー、やっちゃったなぁ。これはお母様激オコ案件だなぁ。と私は内心で頭を掻いていたんだけど……。


 その時不意に近くで大きな声が響いた。


「すごい!」


 驚いて振り返ると、そこに銀色の目を丸くして輝かせ、頬を興奮に好調させている美男子がいた。間近にいた。


 思わず硬直する私にお構いなく、その銀髪のイケメン、皇太子殿下は、私の手をはっしと握り、舐め回すように見ながら叫んだ。


「い、一体どうやったのだ! 魔物を一瞬で消滅させたぞ? というか、女性なのに魔物が怖くないのか? 触れるのか?」


 矢継ぎ早の質問に、私は思い切り引きながらも、一応は答えてあげた。


「ま、まぁ、慣れていますので。別に魔物なんて怖くありませんよ」


 迷宮の主人でもレッドドラゴンでも怖くなんてありませんよ。何しろ私は冒険者。大剣聖ですからね。


 私の返答に、王太子殿下は身を震わせて感動していた。私には何が殿下の琴線に触れたのか、全然分からない。手をギュッと握られ、間近から美男子極まるロイルリーデ様に間近から見詰められ続け、さすがに私もドキドキしてきた。……が。


「そうか! 君も私と同じ『魔物マニア』なのだな!」


 と言われて「はぁ?」っとなってしまった。


 ……これが私とロイルリーデ様の、ファーストコンタクトである。

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