第1話 その声、だれの声ですか?
世界が回っていた。
ぐわんぐわんと、そりゃもう猛烈に。
階段の天井が左から右へ流れ、視界の端で電車の発車メロディがにじむ。
頭がぼんやりしていて、頬に触れるコンクリートの冷たさだけがやけにリアルだった。
「……う、ぅ……」
目を、ぱちぱちと瞬かせる。
視界がぼやけたまま、重たい頭をなんとか起こす。身体が……だるい。あと、なにかが重い。胸のあたりが、やけに。
(……なんか、さっき派手にぶつかったような……)
階段の中腹。通学ラッシュの駅構内。
自分がどこにいるかはわかる。だが、身体の感覚がなにかおかしい。
しかも――
「なっ……なによこれぇえええええ!!!!!」
突然、脳天を突き破るような怒鳴り声が響いた。
妙に低くて透き通った、けれどどこか威圧感のある男の声。すぐ近くで怒ってる。いや、怒鳴ってる。うるさい。近い。というか――
……俺の声だ、それ。
(えっ、ちょ、まって、俺、今叫んだか!?)
思わず目を向けると、階段の少し下、制服のブレザーがやけにダボダボな男子生徒が立っていた。
眉間に皺を寄せていて目はキツく、顔色が悪い。
……というかなんか見覚えがあるぞ?
目を開けて、ぱちぱちと瞬く。
……え、俺?
…………
………………………………いやいやいや、あれ、俺だ。
(……え?)
思わずそっちを見る。そこにいたのは――どっからどう見ても俺の姿をした男だった。
いや正確には、俺の顔をした“誰か”が変な表情で立ち上がっていた。
目を剥き口をわなわなさせ、眉間に深い皺を寄せた“ソイツ“はまるで「今すぐ焼却炉に突っ込んでくれ」みたいな顔であたりを見回していた。
「え、なにこれ? どこよここ!? 駅!? なんで地べたに!?!?」
低く響く俺の声で、信じられないものを見るように自分の両手をまじまじと眺めている。指を一本ずつ曲げ伸ばし、手の甲を裏返し、今度は袖の中に手を突っ込んで前腕を触る。
(待って待って待って待って、情報過多!)
しかもソイツ――明らかに女の口調で喋ってる。
情緒不安定っつーか、明らかに動揺してるっぽい。
なんだこのカオス。俺は誰だ。お前は誰だ。
っつーか、なんだこれ!!?
そう思っていたら、自分の手が視界に入る。
白くて細くて、なんか……ネイルの形、めちゃくちゃ綺麗なんだけど!?
漣は慌てて駅舎の窓ガラスに顔を寄せた。
そこに映っていたのは見知らぬ――いや、どこかで見た覚えがある――金髪碧眼の超美少女。
白磁のような肌に整った鼻筋、まるでアニメから抜け出したみたいな完璧すぎる顔面。
(……だ、誰だこの美少女!? 俺!? いや俺じゃないだろ!?)
しかも胸元を見下ろせば、ブレザーの生地を軽く押し広げるほどの豊満な曲線がこれでもかと主張している。
男子校で二年間、女子とすれ違うことすら稀だった俺にとって、それは現実感よりもむしろSF感の方が勝っていた。
「…なに…これ……」
その手が自然に動いて、リボンのついた胸元に触れ――
指先が、ふにっと、柔らかい感触に沈み込む。
「…………」
一瞬、思考が止まった。
「…………え、なにこれ。なにこれ。なにこれ!? 胸!?!? あるの!? ついてるの!?!?」
確認のためにそっと両手で触る。もう一回。
「……うおおおおおおおお!? ちゃんとある! ちゃんと! ある!!!」
重い! 柔らかい! 動くたびに揺れる!
なにこれ、俺の知ってる平面じゃない!
その時――”俺“がこっちを睨んだ。
「ちょっ……っ!! なに触ってんのよ、変態!!」
「はっ!? ち、ちがっ……っ、俺の意思じゃねえから!! っていうかこれ、俺のじゃねえし!! 勝手にくっついてきたんだって!!」
「アンタの意思じゃないなら、なに!? 自動で揉むタイプの男なの!?」
「だから俺の身体じゃないんだってば!!!」
「じゃああんた誰よ!!!!」
「いやそもそも! お前こそ誰なんだよ!? なんで俺の顔して怒鳴ってんだよ!??」
「それはこっちの台詞よ!!……っていうか、私の顔……そっちにあるの、なんで!? ちょ、え、マジで意味がわかんない……!」
「俺だってわかんねえよ……! でも、ぶつかった瞬間から記憶あやふやで……で、起きたらこうで……」
思わず、叫び返していた。
怒鳴り声の中で、お互い息が切れて、ようやく言葉が止まる。
ぜぇ、はぁ、ぜぇ。
……そして、ようやく静かになった空気の中、
俺たちは、ゆっくりとお互いをまじまじと見た。
そこにいたのは――俺の姿をした怒れる謎の変質者と、
明らかに女子高生の格好をした、パニックな俺。
「………………」
……そしてようやく、冷静になって気づく。
「……俺、“私”って言ってた?」
「……アンタ、“俺”って……」
「……え、これって……」
「入れ替わってる……?」
「入れ替わってるううううううううう!!!!!!!!」
再びの絶叫。今度はふたりでハモった。女声と男声で綺麗にハモった。
駅構内の騒がしさの中、俺たちの叫びだけが世界から完全に浮いていた。
そして、制服のリボンが、胸の上でひらひら揺れた。
――なにこれ、マジでどうすんの俺。
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