第35話 どうにでもなれーっ


 とても静かだった。

 ガーゴイルの湿っぽい呼吸音のほかは、ピチョンピチョンと水音が鳴るばかり。

 ファヴもシャロンも、そしてクローも時を止めている。この部屋の中で動けるのはネネユノとガーゴイルだけなのだ。


「グルァ」


 離れたところから様子を見ていたガーゴイルが大きく翼を広げると、ネネユノの頭の高さで停空飛翔した。ネネユノのことを脅威だとは思っていないのか、敵の目はファヴを見据えている。


 ネネユノがクローの時間を止め直したとき、ガーゴイルは弾みをつけるかのように翼をはばたかせた。

 来る。ファヴが殺される。きっと次はシャロンで、その次がネネユノだろう。誰も頼れない。仲間を守れるのは自分だけだ。

 ……でも、どうやって?


「わぁぁぁぁああ!」


 ネネユノは比較的小さな岩を両手に抱え、ガーゴイルに向かって投げた。運良く顔面に当たったおかげで、ガーゴイルの動きが止まる。

 ギギギと壊れたからくり人形みたいに、猿とトカゲを足したみたいな頭がネネユノのほうを向いた。


「うわあああっ! ばか! ばか!」


 もう自棄である。手当たり次第に小さい岩を掴んでは投げ、掴んでは投げる。

 ガーゴイルにダメージが与えられているわけではないが、それでも煩わしく感じたのか、地に降りてゆっくりネネユノのほうへと歩いてきた。

 ネネユノは石を投げては後退し、時間を稼ぐ。


 普通、時魔法の時間停止は永続ではない。半永久的に対象の時を止める術式もあるにはあるが、その魔力消費は甚大だ。魔物が二度も続けてそこまでの魔法を使うことはないだろう。

 だから、シャロンとファヴが戻ってくるのを待つしか――。


「石が! 石どこ!」


 目ぼしい石や岩はもう周囲になく、ネネユノは追いつめられていた。壁の周りには雪が少しあるばかり。何度か雪を丸めて投げてはみたが、石以上になんの意味もない行いだ。


 ガーゴイルが獲物をすぐに殺すのではなく、いたぶるように少しずつ追いつめようとしているのがせめてもの救いと言えよう。おかげで合間にクローのケアができる。といっても、いくらか彼の時間は進んでしまっているのだが。


 他に何か投げるものはないか、と探して目についたのは懐中時計だ。


「……だめだめだめ」


 これがないとクローが死んでしまう。

 ネネユノにとっては両親の形見で、大事な商売道具である。魔術師の杖を作るのと同じ原理で、魔力伝導率の高い素材が用いられているのだ。


 時魔導士は一般の魔術師と違い、専用の武器でなくとも時計さえあれば荒削りながら術を行使できるのが利点であるが……ここに時計はないので、やはりコレは手放せない。


 とにかく、ネネユノは今追いつめられている。どうにかして隙をついて距離をとらなくては。

 再び周囲を見回したネネユノの視界で、何かが光った。


「あ……指輪」


 雪よりはマシだ。

 それに、ファヴも指輪を外せとかなんとかと言っていた気がする、とネネユノは思い出す。これだって母の形見ではあるが。


「もう、どうにでもなれーっ」


 肩が外れそうなくらい力いっぱいに指輪を投げつけた。

 が、ガーゴイルはその指輪を上手にキャッチしてしまった。


「なんてこと」


 当たらないのでは意味がないじゃないかと青ざめたものの、不思議なことにガーゴイルは指輪に興味を持ったらしい。小さな輪っかを、文明に初めて触れた猿のような顔で色々な角度からまじまじと見つめている。


 今のうちだ。今のうちにクローの時間停止を更新し、さらに反対側へ回り込んで岩をたくさん確保しなくては。

 ネネユノはその場を離れ、クローたちのほうへと駆け寄って懐中時計を両手に握り締めた。


「“止まれミ・グヌティ”……あれ?」


 再び、ネネユノの前に大きな魔法陣が現れる。ファヴの魔物化を防いだときと同じ、魔力が溢れる感覚を覚えた。


 なぜ突然淀みなく魔力が溢れ出したのかはわからないが、これならクローの時間停止はかなり長くできそうだ。それに、ファヴとシャロンも救えるのでは!


「“発展せよアナン・ティクシ”……ファヴ、シャロン、起きて!」


 魔法陣から青白い光が放たれる。よく見ればそれらは光の粒となって、シャロンとファヴに降り注いでいた。


「――うからね!」

「――せ、突破口になる!」


 動き出したファヴとシャロンは、お互いの声に驚いて顔を見合わせる。


「えっ、何なに? ファヴさっきまであっちに――あれ?」

「……お手柄だ、ユノ! シャロン、あいつの敵視をとってくれ、岩は俺が!」

「あああんもう! よくわかんないけど了解!」


 シャロンは持っていた岩をガーゴイルへ向かって投げ、一気に走り出す。状況が飲み込めずともファヴの指示に従うのもまた、信頼の証なのであろう。


「ユノ、でかい岩は大体どかした。クローを頼む! それと」

「んんっ?」

「アイツはなんで……いや、魔法を使ってるかわかるか?」

「いま考え中!」

「なる早で頼む」


 ファヴはそれだけ言ってシャロンを追った。

 足元のクローの身体の上には確かに岩はなく、砂利に埋もれているだけの状態だ。これなら体の時間を戻しても大丈夫だろう。生命がまだそこにあることを祈って。


「“戻れジール・ナピス”」


 クローの身体は、見た目の傷だけはあっという間に癒えていく。

 命があればすぐにも動き出すはずだ。だが、もし動かなかったら……。


「ユノ! シャロンが止まった!」

「うぇぇぇ! “発展せよ”!」

「――これもしかして、時間止められてるのねっ? 今気付いたわ、アタシ! ってかファヴが止まってるうううう! 人形みたい、気持ち悪い!」

「嘘でしょ、早すぎる……! “発展せよ”!」

「――ああくそ。ユノ、ガーゴイルの魔法の秘密を見つけるんだ。君が止められたら終わ」


 ファヴの言葉は、またも最後まで発されることはなかった。

 ファヴもシャロンもものの見事に時を止められ、またしてもネネユノとガーゴイルだけとなったのだ。もちろん、ふたりを復帰させることはできる。できるが――時魔法の技術において彼我の力量には大きな隔たりがあり。


 ガーゴイルがファヴに向かって腕を振り上げた。


「やめてぇぇーっ!」

「“切り裂けコープ・セ・モア”」


 ネネユノの右耳すれすれを走り抜けた風の刃が、ガーゴイルの手に切りかかる。大きなダメージにはならないが、ファヴの命は助かったと言えよう。

 ハッとしてネネユノが振り返るとそこには、不敵な笑みを浮かべた魔術師がいた。


「オレ、復活」



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