第31話 戦闘中の罠回避が無理なのはわかるけど!


 ネネユノとクローがナイフの飛んできたほうへ視線を巡らせると、ファヴがゴブリンを相手にしながらふたりを見ていた。

 さらにちょっと挨拶でもするかのように左手をあげる。余裕がありすぎて心配になるほどである。


「すまない、クロー。手が滑ったようだ」

「ようだ、じゃねぇよファヴ! なんてことしてくれんだよ俺のエリンちゃんだぞ!」

「このゴブリンたちを片付ければ、ネネユノが直してくれるかもしれないぞ」

「おっしゃまかせろ!」


 気が付けばファヴが相手をしていたゴブリンの数は激減しており、通路の隅にお世辞にも綺麗とは言えない緑色の山ができあがっている。


 ファヴは剣の腕よりも魔物に関する知識や戦略・戦術策定センス、それにヒトを見る目を買われて月侯騎士団の団長に就いた人物だ……とはシャロンの言だ。

 しかしそれは月侯騎士団の中での話であって、一般的には十分バケモノレベルの強さなのである。ゴブリンごときが何匹いようと相手になるはずがなかった。


 そしてこのパーティー随一の火力を誇るクローも、やっと戦闘態勢に入ったらしい。何もないはずの空中から引っ張り出した杖を、シャロンが相手をする後方の群れへと構えてみせる。


「“爆ぜろクァ・プシム”」

「きゃっ! ちょっとぉ、そんな威力高い魔法使うなら先に言ってよね!」

「ちゃんと魔防結界も張ったろ!」


 シャロンのそばで小規模の爆発が起こる。小規模といっても、この狭いダンジョンの中では普通使わないような大きさだ。

 魔術の威力は術者のさじ加減ひとつで変わるが、ギリギリを攻めるのはクローの悪い癖とも言えよう。


 そんな中、ネネユノはもう安心だと胸をなでおろした。

 彼らの実力は十分に知っているし、ゴブリンを相手にヒーラーが必要になる機会もそう多くはないはずだ。

 ……ここが罠だらけのダンジョンでなければ。


「ユノ、解呪を頼む!」


 そう声をあげたファヴの首には確かに赤い線が走っていた。しかも1本ではない。パっと見て3本……つまり最低3度は罠を踏んだということである。

 これだけの数の敵と戦えば、仕方ないと言えよう。シーフのように罠を発見できるわけではないし、かと言って罠を踏まないようにその場を動かない、というわけにもいかない。


「うゎ。ちょっと時間かかるかも。戦闘終わってからまとめてじゃ駄目ですか!」


 ネネユノはまだクローのように、複数の魔術を同時に行使できない。ファヴを解呪する間に誰かが怪我をしても治してやれないということだ。

 だが呪いならばすぐに何かあるわけではない。アカロンだって、優に1時間以上は人間の姿のままだったのだから。


「俺もそう思っていたんだが、これを見てくれ」


 ファヴがゴブリンをまた1匹切り伏せてから、右手の袖をまくった。そこにはまるで獣のように黒い毛がもっさり生えていたのである。かろうじて人間の腕の形を留めてはいるが、五指の爪もまた獣のように長く、そして鋭くなっていた。


「なに、それ。なんですか、それ!」

「わからない。わからないが、重ねて呪いにかかると進行が早くなるのではと考えている」

「んな悠長に分析して……。わかりました! わかったからもうそれ以上踏まないでよ!」


 というネネユノの言葉が終わるより早く、ガコンと音をさせてファヴが罠を踏んだ。


「ああああああああ」

「すまない、わざとでは――」

「言ってるそばから尻尾生えてるじゃんんんん!」


 ファヴの腰のあたりからふわふわの黒い尻尾が飛び出している。

 犬だ、絶対に犬だ。

 一瞬だけネネユノの頭に犬化したファヴの姿が思い浮かんだが、首を横に振ってその想像を掻き消した。そんな一瞬のぼんやりでファヴの左腕までもっさりしてきたのだ。もう躊躇っている暇はない。


 深呼吸をして懐中時計を両手で包み込む。魔法はイメージが大切だ。魔術はそのイメージを論理的に組み立てること。イメージが鮮明であるほど魔術の威力も上がる――とクローが言っていた。


「“戻れジール・ナピス”」


 予想以上に抵抗が大きい。

 ファヴの身体は今、呪い4つ分の変化が起こっている。ネネユノはその変化に抵抗し、身体の時を戻さなければならないのだ。必然、必要な魔力量も多くなる。

 今のままでは拮抗するばかりで、なかなか元に戻せない。


「魔力を……体内の魔力を隅々まで意識する……。両手のひらに集める……」


 耳にタコができるほどクローから繰り返し言われたことだ。

 魔力量は多いのに出口が狭い。出口を広げるのが一番だが、それができないなら圧力をかけて勢いよく押し出せ、と。

 ネネユノが魔力の流れに一層集中したとき、真後ろで嫌な気配がした。ファヴが叫ぶ。


「ユノッ!」


 振り返るとそこにはひときわ大きなゴブリンがいた。ネネユノが見上げるほどの大きさだ。手には棍棒を持ち、胸当てを装備するなど他のゴブリンとは明らかに様子が違っている。

 目が合うと、ニヤリと笑って棍棒を振り上げた。


 大丈夫、ファヴがどうにかしてくれる。そう信じるしかない。ネネユノは悲鳴をどうにか飲み込んで自分の魔術に集中する。


 ――ガコン。


 間近で、罠を踏む音がした。

 次いでネネユノの襟首が乱暴に引っ張られ、放り投げられた。床に全身を強打し、懐中時計を取り落とす。さらに懐中時計とは違う、硬質な金属音がカンと響いた。


「指輪が」


 ネネユノの指にはまだほんの少しだけ大きかった指輪、両親の形見が転がり落ちたのだ。

 いや、今はそれどころではない。


「ファヴは――!」


 獣になっていた。

 かろうじて二足歩行ではあるが、全身が硬い毛におおわれ、口もとマズルが伸びて牙をあらわにしている。5本目の罠を踏んだのだ。だから急激に魔物へと転化してしまった。彼はもう――。


「グルァ……!」


 違う。

 ファヴの視線はゴブリンにのみ注がれており、ネネユノを守るような立ち位置を崩さない。彼はまだ彼のままだ!

 ネネユノは飛び起きて懐中時計を拾った。


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