第19話 王様の暴挙


 ネネユノとファヴは従者の案内のもと謁見の間へ向かったが、到着するなり場所の変更が告げられた。国王陛下の私室へ向かえと、扉を守る衛兵が言う。

 しかし、そちらへ向かう途中で別の従者がやって来て、やはり庭へ来いとのこと。


「陛下は本当に気まぐれでいらっしゃる」

「気まぐれ……?」


 溜め息に交じってこぼれ落ちた言葉にネネユノは戦慄する。

 平民が貴族の悪口なぞ言おうものならひどい目に遭うと聞く。だと言うのにこの国で一番偉い人を相手に何を言っているのか。


 言葉に気を付けなくていいのかと問おうとして、諦めた。言葉を発するだけの余分な酸素がないのだ。すでに歩くだけで息があがっている。

 旅の疲労と転移装置による魔力酔いに加えて、城の中をせっせと歩かされているせいに違いなかった。


 呼吸を整えようと深く息を吸ったところで、ファヴに腰をつかまえられる。いつものようにネネユノを小脇に抱えたのである。


「グェー」

「変な音が出たな」

「タイミングが良くなかったです」

「次は気を付けよう」


 ネネユノが疲れを感じるといつもこうやって運ぶのがファヴという男だ。

 観察力は素晴らしい。素晴らしいが、まさか城内でもコレをされるとは思わなかった。通り過ぎる人々の視線を避けるように、ネネユノは両手で顔を覆う。


 しばらくすると踵が大理石を叩く硬い音が聞こえなくなり、代わりにチピピと鳥の合唱が響き始める。風が汗ばんだネネユノの肌を撫で、緑の香りが顔を覆う手をすり抜けて鼻腔をくすぐった。


 庭についたのなら下ろしてほしいという気持ちと、城の庭はきっと広いに違いないからもう少しこのままでいたい、という気持ちがぶつかり合って現状維持を選択。

 初夏の風と心地いい振動に身を任せていると――。


「ファヴ。女性の運び方じゃないよ、それは」

「陛下。こちらにおいででしたか」

「……は?」


 陛下という呼び掛けに驚いて顔から手を離し、正面を見上げると……そこには口ひげを蓄えた壮年の男性がいた。身体は細く、薄汚れた上下に前掛けをして、革の手袋を装着している。

 庭師である。どこからどう見ても庭師。


 王様はどこだと周囲を見渡すも、屈強そうな衛兵が数名いるばかりで偉そうなジジイはどこにも見当たらない。目が合った庭師はニッコリ笑ってネネユノに手を振った。


「王様どこ……」

「あははは。儂が王様だよん」

「だよん?」


 ファヴはネネユノを下ろすと、右腕を胸の下に、左腕を背中に回しながら大きく音を立てて左足を右足に揃える。姿勢も真っ直ぐでかっこいい。恐らくこれが月侯騎士団の敬礼というものなのだろう。

 ネネユノはその気迫に「はわわ……」と圧倒されるばかりである。


「ファヴ・ファレス、ただいまイコニラ雨林より戻りました」

「うん、お帰り。あっちにお茶を用意したから、座って」


 やはり全然王様っぽくない。威厳をどこかに置いてきてしまったのかもしれない。

 それでも衛兵たちの目は鋭いし、ネネユノは借りてきた猫のごとく小さくなってファヴの後ろをくっついて歩く。


 こんなに不安でいっぱいのときにはいつも、懐中時計をパチパチいじるのが癖になっているのだが……今日は客室に置いてきた。そうは見えなくとも武器には違いなく、国王陛下の御前に持ち込んではいけないとファヴに諭されたからだ。

 手持ち無沙汰の手がファヴのジャケットの裾を握る。


 自称王様は歩きながら手袋と前掛けを外し、手に持っていた鋏と一緒に従者に預けた。

 手入れの行き届いた薔薇園の一角に石造りの東屋ガゼボがあり、中央のテーブルにはお菓子がたくさん並んでいる。他にカップが3対、ティーポット、それに砂時計。完全にお茶会である。

 王様は陶器のポットを手に取ってネネユノのほうを向いた。


「これね。お茶が入ってる」

「は、ハイ」

「茶葉を蒸らしてて、お湯はすごく熱い。すこぶる熱い」

「はぁ」

「それを、こうします! そーい!」


 投げた。

 なんと自称王様は熱々のお湯が入ったポットをネネユノに向かって投げつけたのである。


「ええぇぇっ? と、“止まれミ・グヌティっ”!」


 ネネユノは両腕で頭をかばいながら叫ぶ。

 するとテーブル上の砂時計が青白く光り、放物線を描くポットが宙に留まった。その隙にファヴがネネユノを自分のほうへと引き寄せる。


 時間停止はほんの刹那のことで、熱々ポットはネネユノの頭があったであろう場所を通過して、東屋の外へと転がり落ちた。

 流れ出た水に湯気がたつ様子はない。水である。すごく水。熱々じゃない。


「わはははっは! すごいな!」

「ななななん、な、なに?」


 呵呵かかと笑う自称王様にネネユノは目を白黒させるしかない。

 ファヴは呆れた様子で深く溜め息をついた。


「あまり驚かさないでやってください」

「いやしかしこれで全部わかった。ファヴの言う通り、正真正銘、時魔導士の生き残りだな」


 言いながら王様はふたりに座るよう手で椅子を指し示し、ネネユノとファヴは勧められるままに椅子へ腰掛ける。

 と言ってもネネユノは用意された席ではなく、ファヴにくっついて隠れるように小さくなっているのだが。驚かされた野生動物の心を開くのは容易ではないのである。

 従者が新しいポットを持って来て、3つのカップに紅茶を注いでいった。


「時魔法は誰でも使えるものじゃあない。時間に干渉する能力は遺伝するとされ、術式とともに親から子へ受け継がれるのが普通であった。が、時代とともに時魔導士たちはその数を減らし、今や絶滅したと言われておる」

「絶滅、ですか……?」


 そう語る王様の表情は先ほどまでの気のいいおじさんではなく、すっかり王の風格を漂わせている。

 ネネユノは混乱し通しで、彼の話を十分に理解できない。ただ目の前のマカロンに目が釘付けになるばかりだ。


「時魔導士の特徴はやはりその専門性につきる。時間に関連する魔法しか使えず、しかし杖のような武器を必要としない。いや、魔法を発動する触媒という意味では必要か。この砂時計のようにな」


 差し出された砂時計は、お城の備品らしくピカピカで高級そうである、という以外に特徴のない、いたって普通の砂時計であった。


 しかし国王の言う通り、この砂時計は時間停止の際に青白く光ったのだ。それこそ、ネネユノが普段持ち歩く懐中時計のように。それが武器足り得た証左と言えよう。

 ネネユノはしばらくの間、受け取った砂時計を眺めたりひっくり返したりしていたが、テーブルに戻してからゆっくりと口を開いた。


「マカロン食べていいですか」


 難しい話は甘味を食べてから。と神話にも書いてあるのだから仕方ない。



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