189話~和解~
真っ暗な部屋。
静まり返った空間の中、時折、瓦礫が崩れるサラサラという音だけが響く。
リッシュは気を失ったままのシリアの横に座り、その寝顔をじっと見つめていた。
整った顔立ちに上品な気品を感じる女性――それがシリアだった。
テトのエルフたちも皆、美形揃いで見慣れてはいるが、
シリアの笑顔には不思議な“癒し”があり、見ているだけで心が和む。
――俺にも、あの笑顔を向けてくれればいいのに……。
シリアの寝顔を見ながら、リッシュは自分だけを毛嫌いする彼女に小さな苛立ちを覚えていた。
確かに、シリアの言う通り、彼は森を守るために侵入者を斬り続けてきた。
だが、それは“古の盟約”のためではなく――母の愛情が欲しかったから。
そんな動機を、シリアからすれば“最も下世話な理由”と感じるだろう。
* * *
どれほどの時間が経っただろうか。
闇の中では時間の感覚すら曖昧だ。
リッシュは、シリアを動かさないよう気を配りながら、静かにその場に座り続けていた。
――ガタッ!!
奥の方で物音がした瞬間、リッシュの全身に緊張が走る。
ゾンビか!?
闇の奥から、数体のゾンビがゆっくりとこちらに向かってくる。
「風よ、切り裂け!!」
リッシュはすぐに風水魔法を詠唱し、複数のかまいたちを放った。
バシュッ! バシュッ!!
鋭い風がゾンビたちを切り裂く。
だが、腕を斬っても首を斬っても動きは止まらない。
上半身と下半身を分けても、這うようにして近づいてくる。
「くそっ……どうやったら止まるんだ!!」
リッシュはシリアを守るため逃げることもできない。
「バクーム!!」
斬撃が効かないなら、風圧で吹き飛ばすしかない。
強烈な風が巻き起こり、ゾンビたちは後方へ吹き飛ばされる。
しかしすぐに立ち上がり、再びゆっくりと迫ってきた。
――俺の魔力が尽きるか、シリアが目覚めるか。
リッシュは覚悟を決め、根比べのように魔法を撃ち続けた。
だが、決着は意外と早かった。
何度もバクームを放ち続けた結果、ゾンビたちの腐った体はバラバラになり、動けなくなったのだ。
リッシュはちらりとシリアの様子を確認し、
ゾンビが吹き飛んだ方へ慎重に歩み寄る。
風圧で体を引き裂かれ、バラバラになったゾンビたち。
それでも完全には死んでいない。
指先がピクリと動き、目がキョロキョロと動く。
「気持ち悪ぃ……。」
リッシュは思わず本音を漏らした。
「ううん……。」
背後から小さく女性の声がした。
リッシュはびくりとしたが、すぐにそれがシリアの声だと気づき、駆け寄る。
「シリア! シリア!!」
優人に“体を揺らすな”と言われていたため、そっと声をかけるだけに留めた。
「きゃあっ!」
シリアが小さく悲鳴を上げ、目を覚ます。
身を起こし、驚いたように後ずさった。
「ここは……どこ!? そこにいるのは誰ですか!?」
――記憶喪失か?
「俺はサリエステールの王子、リッシュだ。」
リッシュは“エルフ”であることをあえて伏せて名乗った。
「リッシュ…… サリエステールのエルフ……。」
しかし、シリアはすぐにリッシュを思い出したようだ。
記憶はあるらしい。
「ここは?」
シリアが真顔で尋ねる。
「魔神イフリートの神殿。俺たちがいた礼拝堂が崩れ落ちたんだ。」
説明を聞き、シリアは思い出したように周囲を見回した。
「血の……臭い……。何かと戦ったんですか?」
表情が険しくなる。
「ああ、ゾンビが数体出てきたから倒した。」
叱られると思い、リッシュはおそるおそる答えた。
「そう……。ごめんなさい。大事な時に気を失っていて……。
そして、守ってくださってありがとうございます。」
シリアは素直に礼を言った。
リッシュは安堵の息をつく。
「い、いや。それより体は大丈夫? 優人が“頭を打ってるかも”って気にしてたけど……。」
リッシュは照れ隠しのように鼻をかいた。
「少しふらつきますが、大丈夫です。
それより、早く優人さんたちと合流しましょう。きっと心配しています。」
「そうだね。」
リッシュが答え、シリアが立ち上がろうとしたその時――
ジャリッ。
「あっ!」
足元の瓦礫に足を取られ、シリアが前のめりに倒れかけた。
ガシッ!
リッシュがすかさず抱き止める。
「大丈夫!? やっぱり少し休んだ方がいいんじゃない?」
「いいえ、体は大丈夫です。
でも……光一つ差し込まない暗闇で、バランスが取りづらいみたいです。」
シリアはそう言って、何かを考え込む。
……そして、ふと尋ねた。
「リッシュさん、何で見えてるんですか?」
「えっ?」
リッシュはきょとんとする。
確かに光の風水はまったく存在しない。
だが彼にとっては、闇の風水が強いだけの空間。
光が無いので色彩ははっきりしないが見えている。
「シリアは……見えないの?」
「ええ……。」
「そっか。じゃあ、仕方ないな。」
そう言うと、リッシュはシリアを立たせ、手を取った。
「えっ?」
シリアが驚いて手をほどく。
「お、おい。暗くて見えないんじゃないの?」
「み、見えなくても歩けます!!
あなたの服を掴んでもいいですか?」
うつむきながら言うシリア。
リッシュは小さくため息をつき、服を掴ませて歩き出した。
* * *
暗い通路は冷え込み、孤独を感じさせる。
物音はなく、響くのは二人の足音だけだった。
「さっきのゾンビ……造った術師が近くにいるのかな?」
リッシュは警戒しつつ、専門家であるシリアに尋ねる。
「術師がいる可能性はあります。
ですが、人が出入りした形跡がありません。
私の考えでは、術師は生きてはいるものの、この地下遺跡にはいないと思います。」
「なるほど。」
リッシュは少し安堵する。
カツン…… カツン……。
足音だけが寂しく響く。
気まずい沈黙。
話題を探しても、考え方の違う二人には共通点が少ない。
下手なことを言えばまた怒られる――そう思うと、余計に何も出てこない。
そんな時だった。
「色々と……すみません。」
「ん?」
突然の謝罪にリッシュは振り向く。
「あなたがサリエステールのエルフというだけで、酷いことを言ってしまいました。
優人さんや綾菜さんと一緒にいるのだから、悪い人ではないとは思っていたのですが……。」
リッシュは歩みを止め、シリアの顔を見た。
彼女は思いつめたような表情をしている。
「シリアの言う通り、俺は森に入った人間を殺してきた。
それは事実だし、責められても仕方ないと思ってる。
でも、言い訳をさせてもらうなら、俺たちエルフには“森を守る義務”がある。
それは、自分たちの棲みかを守ること。そして、世界樹の薬草を守ることでもある。」
静かに語るリッシュの言葉に、シリアは黙り込んだ。
少し間を置いて、彼女は口を開く。
「私は……裕福な家で育ちました。」
リッシュは再び歩き出しながら耳を傾けた。
「両親は二人とも高名なジハドの司祭で、毎日のように私を家に残して布教に出ていました。
私はいつも家で留守番。だから、家にあったジハドの聖書を読むようになったのです。」
「両親と一緒にいられなかった幼少期、俺と似てるね。」
リッシュの一言に、シリアは優しく微笑んだ。
「ジハドの聖書は3つの章からできています。
1つ目はジハドの教え。
2つ目は司祭の心得。
そして3つ目が、ジハドの神話の章です。
私は神話の章が大好きでした。
勇敢なジハドの戦いの話を小説のように読んでいました。
いつの間にか、私は神話の中のジハドに恋をしていたんです。」
リッシュは思わず言葉を失った。
――聖書の神に恋をする、か。
「ジハドはいつも勇敢で、弱き民のために戦いました。
アニマフランツの赤竜王アムステル討伐の時には、サリエステールのエルフと戦ったのです。
エルフたちは逆風を起こして船を妨げ、地震を起こして足場を奪い、植物を使って襲いかかりました。
ジハドが“堂々と戦え”と叫んでも、彼らは姿を見せず、遠くから攻撃を繰り返したのです。」
「それは当たり前だ。
大人十人でも持てない大槍を片手で振るうジハドに、正面から挑むなんて馬鹿げている。」
リッシュが笑って返すと、シリアも思わずクスッと笑った。
「でも、小さかった頃の私は“エルフは卑怯者だ”って思ったんです。
エルフの祖だった古代獣オウレも姿を見せない……。 オウレやエルフほど嫌いなものはなかった。
まだ堂々と戦ったアムステルの方が立派だとさえ思ってました。」
「アムステル様は、ジハドの一撃を受けても血を流さなかったらしいな。」
リッシュが笑うと、シリアがむっとした顔をする。
「アムステルが異常なんです。
ジハドと真正面から戦って無事だなんて……どんな化け物かと思います。」
リッシュは小さく笑い返した。
「リッシュさん。」
突然、シリアがリッシュの服から手を離した。
「ん? どうした?」
「服を掴むの、疲れちゃいました。……手を繋いでいただけますか?」
シリアは恥ずかしそうに手を差し出した。
「かしこまりました。」
リッシュは微笑み、シリアの手を取る。
そして、見つけた登り階段をゆっくりと上りながら、
二人は暗闇の中を進んでいった――。
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