第7幕 秋葉落ち、再び芽吹く
秋葉含め『Reality』のメンバー4人の初会合となる楽屋、菊水は最後に到着したようだ。
少年のような声を発した背の低い日焼けした女の子は、菊水のもとに駆け寄ると銀紙に包まれた何かを手渡してきた。
そのうるさい動きといきなりの贈答品に少し困惑してしまう。
「え、えっと……これは?」
「遠慮なさらず、これから同期になるもの同士、仲良くするのは当然じゃないですかな?毒なんか入ってりゃしませんって」
同期――菊水はとりあえず贈り物を受け取りつつあたりを見渡す。長いテーブルを囲んで他にも2人の女性が座っていた。それぞれの机にはさっき女の子から渡された銀紙があり、中身がクッキーであることが分かる。
2人のうち1人は菊水のことを転校生を見るような興味深い目つきで見ていた。だがもう1人は、今のやり取りが全く聞こえていないかのようにひたすら本を読みふけっている。クッキーにも全く手を付けていないうえ、夏でもないのにサングラスにマスク姿、服装はなんと和装という異様な風体だ。
明らかに浮いているその姿に釘付けになったのを見て、もうひとりの女性が立ち上がって声をかけてきた。
「ウチ……じゃなかった。俺の方も見てくれないかな、菊水さん」
高い――その背の高さに自然と首の角度が上がる。グループでもっとも長身だった向井をも凌ぐだろう。絹のようなセミロングに左耳のピアス。中性的な顔立ちや声ではあるが、ファッションはあくまで女性のそれだった。まるで漫画から飛び出してきたかのような
と思ったのは一瞬だけだった。彼女は椅子に盛大に足を引っかけて菊水の目の前に前のめりになって転び、しかも『ひゃあっ!』と情けない声を上げてしまった。
しばらくして立ち上がると、体についた埃を払って再び立ち上がる。よく見るとかなりの猫背だ。それでも顔を見上げなければならないのだから相当な高身長には違いないが、もうさっきまでのような目では見れない。
「ライバー名『
そう言って大仰にお辞儀をするが、残念ながら頭に埃が残っているので挨拶は台無しだった。それを見てお菓子をくれた女の子がツッコむ。
「いやー締まりませんな嬉野殿。それにしても国民的アイドルグループとは、
違う、そっちのグループじゃない。危うくそう突っ込むところだった。自分たちのことを全く聞き覚えがない人に会うのは初めての経験だった。
「『
突然差し挟まれた自己紹介により会話が中断される。アイドルの話題が続くのは気まずかったので正直助かったところだった。
思い出したかのように名前だけの自己紹介をした和装の女性は、再び本の世界に戻った。本はタイトルからしていかめしい明朝体で、菊水にはそのタイトルすら読めなかった。
『コーテックス』に来るVtuberと言えば変わり者揃いと言う噂だったが、それに違わない3人だ。同期として果たしてやっていけるか、少しだけ不安になる。
その考えを読み取ったかのように、嬉野と名乗った長身の女性が改めて話しかけてくる。
「ウチ……いや俺は君に興味がある。かつてほどの知名度はないとはいえ、一時代を築いたアイドルがその名を捨ててVtuberになろうなんて、理由が想像つかないな」
口をつぐむ。
すずが扮するであろう『雁来とまり』に直に会いたい、とは初対面の相手にやすやすと言う気にはならなかった。
微妙な空気にしばらく押し黙っていると、今度は千日が口をはさむ。
「嬉野殿。Vtuberの『前世』は詮索無用ですぞ。小生は彼女がここに来た理由には興味ありませんが、アイドルと言うからには歌やダンスを買われて推定倍率2,000倍のオーディションを潜り抜けたんでしょう。そちらのほうが気になりますな。まだマネージャーが来るまで時間があるようですから、歌でも踊りでもどちらでもよいので、よろしければあそこで1曲拝見させていただけませんかな?」
「いいね、どのみちいっしょにレッスンもすることになるし、見ておきたいかな……なんて」
千日は入り口から左奥の扉を指す。その扉の近くの窓を覗くと、小さい体育館のような広い空間が広がっている。3Dモデルの配信に使われるスタジオで、この部屋はその控室なのだ。
嬉野と千日は菊水を檻の中の珍獣を見るような目でじっと見つめた。どんな芸を見せてくれるのか、という面持ちだ。正直あまりいい気分ではない。
とはいえ――菊水はしばらく3Dスタジオを見据える。確かに普段の配信においては彼女たちのキャラは強烈な武器かもしれない。自分にはない武器だ。なら自分はアイドルらしく、歌や踊りで行くしかない。ここで対等以上にやっていけることを証明してみせる。
「OK、このクッキー代ってことで」
菊水は千日から受け取ったクッキーを口に運んだ。
菊水は更衣室で準備していたシャツとジャージに着替え、3Dスタジオで準備運動を終える。スマホのセットリスト(セトリ)からある曲を選んで再生ボタンを押した。
空間にサイバーなイントロが大音響で流れ始めた。
最初の音から早速ステップを踏み始める。スタジオの入り口付近からそれを眺めていた千日は素早く反応した。
「これは雁来とまり殿の初のオリ曲『Rewrite』……振付けまで完コピですと……?」
そう、選んだのはすずが『雁来とまり』として出した初のオリジナル曲。菊水はこれを踊った動画を送ることでオーディションの動画審査を通過した。
曲はアップテンポなEDMを基調としながらも二胡などオリエンタルな音も組み合わせた難解な曲で、キレだけでなく柔軟さも高いレベルで要求される難しい振付けだった。この振付けも『雁来とまり』の創作だという。自分が踊れるようになるまで何週間もかかった。
だがこれを踊れないということは許せなかった。彼女と対等な立場で並び立つ。その目標を達成するための前提として、彼女に出来ることは自分でもできる、これを周囲にも、そして自分にも示すことが大切だと言い聞かせながら練習した。
「これは雁来殿と共に踊れるライバーが見られるかもしれませんな……どう思います嬉野殿」
千日が興奮した様子でまくし立て、嬉野は何とも言えない表情で菊水の踊りをじっと見据えていた。そしてここに来てから本ばかり読んでいた玉鬘も、初めて本から目を離した。そして、透き通るような声で呟く。
天つ風 雲の通ひ路吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ
「和歌か、いい趣味だね、玉鬘さん」
「僧正
玉鬘と嬉野のやりとりは、菊水の耳には入らなかった。
最後のサビが近づいている。体に全神経を集中させた。すずの歌声に、自分の動きを調和させる。
Rewrite 情けない自分
Rewrite かよわい姿
Rewrite 過去の約束
塗り替えろ すべて捨て去り
生まれ変われ 新たな自分へ
サビを終え、アウトロに入ったところで菊水は最後のジェスチャーとして、右手で手招きのポーズをとる。すずがこの挑発のポーズをとったのを見て、菊水はこれを自分への挑戦と受け取った。なら、お返しするのが礼儀というものだろう。
「はあ……はあ……」
――最後の一音を終え、に菊水は息を荒げつつしゃがみこんだ。オーディションの時よりもう少しうまく踊れただろうか。
その様子を見て駆け寄ってきた嬉野が菊水に手を差し出した。
「すごいね、菊水さん。正直、アイドルがあの曲を踊れるとは思ってなかった。こりゃ自分の活動方針も考え直さないといけないかな……ダンスはそこそこ自信あったんだけど」
菊水は肩で息をしながら嬉野の差し出した手を取った。
「ふぅ……ありがとう、嬉野さん。お礼ついでに、一つお願いしていい?」
嬉野は『どうぞ』と柔らかい声で応じた。
「私もここではVtuberだから、『前世』の名前は使わないで」
「……それは……ごめん」
菊水は呼吸を整え、はっきりした声で言った。
「菊水未来改め、コーテックス『Re-in-Carnation』所属『
『秋葉あゆみ』――この新しい名前でVtuberとして成功して、すずの前に胸を張って戻る。8年前の告白の返事をもらうために。それが、今の目標だ。
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