第49話 転ばぬ先の療育――“ポンコツ枠”だった私と、成長した娘へ
発達障害があっても、人はちゃんと成長する。
……と声を大にして言いたいのだけど、その“ちゃんと”がくせ者で。
何も手を打たずに成長するってのは、つまり「転んで学ぶ」ということ。
しかも、うっかり骨折レベルで転び続ける。
私の場合、つまずくたびに自己肯定感がすり減って、最後にはゼロどころか「マイナス突入!」の赤ランプがピコピコ点滅。
そしてそれが、よりによって思春期。
社会人になると、今度は「信用」を失っていくフェーズに突入する。
一度「ポンコツ枠」に分類されると、どれだけ心を入れ替えても、見えない履歴書の欄にでっかく「再犯あり」と刻印される。
家族ならまだ関係の修復は望める。
でも社会では、一度貼られた「ダメ人間」ラベルは、湿気にも強い最強の糊で剥がれない。
特に、とっつきにくい自閉傾向タイプ――つまり私のような人――は、一度こじれると取り返しがつかない。
だから今、声を大にして言いたい。
もし子どもに発達の傾向があるかもしれないなら、ぜひ、療育を。
療育って、「矯正」とか「訓練」ってイメージがあるかもしれないけど、違う。
「転ぶ前に転び方を知る練習」とか、「靴に滑り止めをつけてもらう」とか、そんな感じ。
それだけで、ビクビクする頻度が減って、自分を否定せずにすむ。
私の娘の場合。
3歳児健診のちょっと前、保育園の先生に肩をトントンされて言われた。
「お母さん、ちょっと気になることがありまして……」
出ました、発達グレー判定。
そこから療育に通い始めて2年。
専門家に囲まれて、遊びながら少しずつ訓練。
指摘されたのは活舌。
実は娘、発音が悪くて会話にならなかった。
でも扁桃腺の削除とアデノイドの手術をしたら、みるみる会話が成立するようになった。
運動会で堂々と走る姿を見たときは、本当にびっくりした。
……かっこいいじゃん。
(ここでちょっと思った。「もし私も吃音を軽くする何かがあったら……」とかね。)
さらに5歳になっても療育は続いた。
4歳のときは読み書きゼロ、2歳向けドリルすら拒否。
でも「視覚優位」と聞いて、お風呂にひらがな表を貼ったら――不思議なくらいすんなり覚えた。
「しゃべらない子」だったのが嘘みたいに、難しい言葉も文脈で使えるようになった。
療育の先生に「困っているのは本人です。関わり方を変えれば人生はずっと楽になりますよ」と言われたのも、大きかった。
私は安心し、迷わず水泳とボルダリングに挑戦させた。
そしたらまた一歩、成長していた。
子どもは変わる。ちゃんと変わる。
あの頃の私に伝えたい。
「療育は、やってよかったよ」って。
そして今、誰かの子どもが転ばずにすむなら、それがいちばん嬉しい。
……まあ、うちの子もまだ転び放題だけど。
でも、その転び方はもう、昔の私みたいに骨折級じゃない。
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