第24話 泣いても怒られ、笑っても怒られ

うちの夫は、「感情」に非常に厳しい人だった。


私が泣けば怒鳴られ、暗い顔をすれば「こっちまで気が滅入る」と責められ、無言で頷けば「黙ってんじゃねえ」とキレられる。


じゃあ笑えばいいかと思って笑ってみたら――

その引きつり笑いをきっかけに、3時間説教タイム開幕。延長コード付き。


結果、「感情は処理してから提出すること」という教訓だけが残った。


だから私は、夫の前で“無表情なにこにこ仮面”をかぶって生きることにした。

感情を殺して、生存を優先。


でもそれを誰かに話すと、たいていこう返ってくる。


「え、それってあなた、ちょっと被害妄想なんじゃ…?」


――ちがうんだってば。本当に、地獄だったんだってば。


■モラ夫の頭の中を覗いてみた

彼の頭の中には、たった一つの明快なロジックがあった。


「自分は正しく、相手が間違っている」


以上。終了。閉廷。


私は元々、衝突が苦手で、揉めそうになるとすぐ謝ってしまうタイプだった。


それが火に油を注いだ。


「ほら見ろ、やっぱりお前が悪かったんじゃねぇか」


――はい、論破。さらに延長戦でおかわり説教が出てくる。


会話ではない。ただの公開処刑である。


■「教育されるべき妻」という物語

夫の友人たちもまた、似たような世界観の住人だった。


ある日、共通の部活仲間・A君の話になった。


「大学時代、2単位しか取らなかったんだよ〜」という武勇伝(?)を、みんなで笑っていたので、私も軽く「2単位のA君ですよね」と言った。


――それが、A君の耳に、私だけが言っていたように話が捻じ曲がって伝わった。

捻じ曲げて伝えたやつ誰だよ。


怒ったのはA君。なぜか私ではなく、夫に向かってこう言った。


「お前、ちゃんと彼女さんを教育しろよ!」


……教育? 私、学校通ってるんでしたっけ?


説明の余地もなく、その場で私は「指導対象の失礼な女」に認定された。


そして10年後、再会したA君はこう言った。


「ちゃんと奥さん、教育したんですね〜」


夫は満面の笑みでその報告をしてきた。


――ごめん、それ笑えないやつ。


■「外で黙ってろ」と言われた私

別の日、友人D君が家に来たとき。私は乳児の世話でてんやわんやだった。


でも、「男の時間」を邪魔しちゃいけないと、洗面所にこもって娘をあやしていた。娘は泣き、私は汗だく。


リビングの会話が終わるまで、私は「存在しない人」として頑張った。


ようやくD君が帰るとき、私に無言で一瞥をくれて去っていった。


「ひどい奥さんだ」とでも思われたんだろうか。


私はまだ、あのときの沈黙が、ちょっと怖い。


■「いい夫」と「メンヘラ妻」という構図

夫は外では、とにかく「いい人」だった。


親にも友人にも職場にも好かれ、「夫婦の印象」はこう定着した。


「気の強いけど優しい夫と、それに甘えてるちょっとメンヘラな妻」


たしかに、私にも未熟なところはあった。


でも、人格そのものを“教育対象”として扱われる日々は、私の何かを静かに削っていった。


■支配は「さりげなく、丁寧に」進行する

モラハラって、怒鳴られるだけじゃない。


否定のひと言、仮面の笑顔、友人からの「教育」発言、無言の圧、そして外面の完璧さ。


そういう、**“丁寧な積み重ね”**が、じわじわと私を支配していった。


■「君の評価は、僕のおかげ」

極めつけのセリフが、これ。


「君の評判がいいのは、僕が外で“いい妻です”って言ってあげてるから。感謝してね?」


……ありがとう、とは言えなかった。


だってそれは、「お前の名誉は、俺が与えてやってる」って意味だったから。


今なら笑える。


あのセリフも、A君の教育発言も、D君の沈黙も、ぜんぶ。


でもあの頃の私は、笑う代わりに、ただ黙って、自分を殺していた。


あれが「教育」だったというなら――

私の卒業証書は、離婚届だったんだと思う。

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