第11話 好きだったのは、“プロの将棋”じゃなかった

大学に入って、将棋部に入った。

理由は単純だった。「将棋は少し得意」「普通の会社員にはなれそうにない」「でも、なにか“ちゃんとしてる道”を探さないと」。そんな気持ちだった。


別に、将棋が大好きだったわけじゃない。正直、選択肢が少なすぎて、出せるカードが将棋くらいしかなかったのだ。

でも、そのカードは意外にもレアだった。4月には関東大会で優勝、冬には全国大会も制覇。


努力というより、地味に溜めていたポイントが、急に現金化されたような感覚だった。

そんな私に、周囲は自然と一目置くようになった。


とはいえ、私は根っからのコミュ障で、部内ではわりと珍獣扱いだった。

でも人が嫌いだったわけじゃない。喋るのはむしろ好きだったし、うざがられることも多かったけど、関わりたい気持ちはあった。


将棋部での生活は、毎週のように大会があって、春と秋の地区大会は個人戦と団体戦が連続で開催されるから、一ヶ月以上その熱気が続いた。

強くなるにつれ、あちこちの大会にも声がかかり、週末の半分以上が将棋で埋まっていた。


試合のたびに全身がピリつくような緊張に包まれ、勝つと全能感に近い高揚があった。

ヒエラルキーの上に立っているような感覚――。

たぶん、そんなふうに「勝てる自分」でいられたのは、人生で最初で最後だったと思う。


そんなある日、私は研究会に誘われた。

将棋そのものを純粋に愛している人たち。「強くなりたい」という気持ちと、「互いを尊重する空気」が、そこにはあった。


その輪の中に、私も混ぜてもらえた。

そのとき初めて、「将棋って楽しい」と思えた。仲間といるのが楽しい。この時間がずっと続けばいい――心からそう思った。


でも、春が来て、仲間たちは卒業していった。

それぞれ就職して、違う道へと歩いていく。


私も進路を考えながら、ふと気づいてしまった。

私は、プロの世界には行きたくない。


プロの世界は、成績がすべて。強さがすべて。体力も精神力も、どちらも高い水準が求められる。

私のような不器用で、病弱で、パフォーマンスにムラのある人間が、生き残れるような場所じゃなかった。


それに、私が好きだったのは“プロになるための将棋”じゃない。

“あの仲間たちと指す将棋”だったのだ。


私は、あの時間そのものに執着していただけだった。

だから――私は泣きながら、将棋を手放し、就職を選んだ。


本当は、ただ“普通”に見られたかったのだと思う。


会社員は、「普通」の象徴だ。

将棋指しよりも、社会の中にちゃんと所属しているような気がした。

普通の人間として扱われたかった。それが、いちばん根っこにあった願いだった。


もちろん、私はコミュニケーションに難があった。

けれど、将棋を通して人と関わるうちに、“話しかけ方”や“居場所の作り方”を、少しだけ覚えた。


中身はどうであれ、外見だけは“まともっぽく”なった気がしていた。

だから私は決めたのだ。

会社員になる。社会の中で、自分の椅子を見つけにいく、と。

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