閑話 王太子の溜息 (Side ヘンリー)

「はぁ」


 シルヴェスターの溜息が、執務室に落ちる。

 ヘンリーの指が、紙をぺらりと捲る音だけが響いていた空間に、その音は大きく響いた。


「溜息、重いですよ。殿下」


「だがな、ヘンリー。とってもとっても重宝していた駒を一つ失ったんだぞ。重い溜息の一つも出ようものだろ」


「でもそれは殿下の自業自得ですよねぇ。俺は、もうやめた方がいいって、ずっと伝えてたはずだけど」


「わかってる。わかってるさ。でも、重宝してたんだよ、アラン君」


「そりゃそうでしょ。うちの秘蔵っ子なんだもん。飛び抜けて出来る子なのにさぁ。王家は、婿に出せと言うし、王太子は駒に使うし。

 言っとくけど、アレ、怒らせたら怖いんだから」


 資料を捲っていたヘンリーは、シルヴェスターをちらりと見遣った。不貞腐れた様に椅子に深く座る王太子は、世間に見せている彼とは違った、年相応の青年の姿だ。もちろんそんな姿が見れる者はそう多くない。


 ヘンリーの弟であるアランは、マクドエルの家では逸材であった。先に生まれたから、マクドエルを継ぐのはヘンリーと決まっていたが、アランの能力とそれに伴う実力は、一族の中で突出していた。

 ヘンリーはマクドエルを背負う運命。それでも、アランという弟を見れば、継ぐのは弟だったのではという想いは拭えない。


「お前は、当主になる男だよ」


 心を読んだかのように、シルヴェスターが呟いた。

 思考に落ちていた意識を戻して、視線を合わせると、王太子は真面目な顔でヘンリーを見ていた。


「アランのほうが器ですよ」


「いや、お前だよ。アランは確かに有能だけど、ヘンリーには別の能力がある。私はそれを買っている。だからお前をそばに置いているんだ」


「……俺は、マクドエルでは平凡なんだけど」


「いや、個が勝りがちなマクドエルで、調和を齎すお前は、重要なキーマンなんだよ。伯爵だって、お前以外を後継にしようとは言わないだろう」


 確かに父である現マクドエル伯爵は、後継についてヘンリー以外の名を挙げたことはない。周りからはいろいろと言われるが、近しい家族は皆口を揃えて、後継にはヘンリーの名を挙げる。

 

 ヘンリーはマクドエル伯爵を継ぐ。マクドエルは貴族家としては新興貴族で、さほど重要な家とは見做されていない。

 アランのグリーフィルドへの婿入りは、王命にも拘らず、金に物を言わせたと揶揄されることも有った。ヘンリーにはそんなマクドエルを継ぐに値する、人心掌握術と商才がある。

 

 嘗て、父にアランとの立ち位置変更を打診したことがあったヘンリーだが、


――『アランにはお前の役は出来ない』


 と、一蹴された。父からは、アランではマクドエルの裏と表を采配することは難しいのだと諭された。


 アランは、その麗しい外見に反して、裏の性質が強い。という表の顔には向いていないらしい。


「しかし、グリーフィルド嬢は意外だったな」


 返答をしないヘンリーのことは意に介さないかのように、シルヴェスターは呟く。


「どのあたりが?」


「あんなにはっきりと公女に言い返すとは思わなかった。貴族令嬢として呑み込むものだと思っていたよ」


「彼女は、次期公爵。もともと胆力はある子だよ」


「そうだな。アランが手放さないわけだ」


 シルヴェスターとて、みすみす彼国にアランを取られるつもりはなかっただろう。ただ、天秤には掛けていた。公国にマクドエルが堂々と入り込める好機でもあったからだ。


「ま、でも『真実の愛』は随分と役に立った。未だに貴族でアレに浮かれる輩が随分と居るものだ」


 シルヴェスターは、天を仰ぐように椅子に背を預ける。


 ヘンリーは、砕けた様子の王太子を横目で見遣った。

 次期王は、法律を作るまでに至った『真実の愛騒動』を甚く毛嫌いしている。それは彼が、真面目で責任感の強い性格であることを顕している。

 王族として生まれたからには、国に命を賭す覚悟。私情は抱くことすら許されない。そう己を律する彼は、貴族家にも覚悟を求めている。


「大体、恋愛感情を優先していいのは平民の特権だろう。彼らは国を支える根幹だ。その彼らの自由の象徴なんだよ。貴族は彼らから受ける恩恵の上に成り立っている。もちろんそれに対する責務もある。その放棄は、赦されない。

 だというのに、公女自らがそういう考えの国もあるのが不思議だな」


「でも、あの公女サマのおかげで、有利な交渉が出来たじゃないか。成果としては上々だろ」


「それは確かにそうなんだが。

 ……なあ、ヘンリー、アランのおかげで、少しは若い世代にも一石を投じられただろうか」


 天井を見つめたまま、王太子が呟く。その姿には、普段の威厳などは感じられない。大きな使命を背負う一人の青年は、こうして本音を吐露できる場所を多くは持たない。

 そんな彼を、ヘンリーは少し憐憫の情を持って見つめた。


 幼い頃より、命の代えても守る存在だとして植え付けられた。マクドエルに生まれたからには、王家を守るのは絶対の使命であり、同い年の王太子はヘンリーにとっては命よりも大事な相手。

 しかし、当の王太子は、ヘンリーに絶対の信頼を置き、友として扱ってくれた。彼もまた孤高の存在として育てられ、心を開ける相手はそう多くなかった。ヘンリーはマクドエルであるからこそ、シルヴェスターを裏切らない。

 それが分かっていてなお、シルヴェスターはヘンリーにマクドエルであることより友であることを求めた。根底に主従の関係が外せないものであったとしても。


 だから、ヘンリーも、シルヴェスターを友として愛している。

 きっと彼は、国民にも賢王として愛されるだろう。些か王族としては潔白すぎる面もあるが、ちゃんと陰も呑み込む賢さがある。そんな彼が築く世は、きっと国民の支持を得るに違いない。


「恋情とはやっかいなもので、幾度も同じ問題を呼び起こす。まあ、我が弟の活躍は、しばらく不貞をする輩に【真実の愛】を語らせない一定の効果は齎すんじゃないかなぁ。

 が言わせる台詞としてね。


 そして何より、今回の件で、アランの忠誠を失わなかった。それは僥倖でしょ」


 ヘンリーの言葉に、シルヴェスターが笑みを零した。

 


 


 

 

 

 

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