悪い意味で真っ白な心の持ち主

 ロヴが蒸気車くるまに戻ると、助手席には既に先客がいた。確かに鍵は閉めたはずである。一瞬不審に思いはしたが、すぐに合点がいった。フオである。


「なんだおまえ」


 言いながら入ろうとしたら、ご丁寧にも内側から鍵をかけてある。窓を叩くとこちらに気づき、実にめんどくさそうに助手席から体を伸ばして開けてくれた。


「勝手に入んじゃねぇよ」


「もうちょっと歯ごたえのある鍵つけてください」


 盗人猛々しいとはまさにこのことである。全く悪びれる様子もない。


「……へいへい。勉強させてもらいまーす」


 言いながらロヴは、発動機を始動させた。


「無事、合格だ」


「一人で帰ってきたんだから、言わなくてもわかります」


「ああ、そーですか」


 ロヴは発車させると、しばらく無言で首帝市の街を流した。そういえば、フオも首帝市は初めてだったか。


「どうだ? 首帝市は?」


「別に」


「あ、そ……」


 横目でちらりと見ると、フオは流れていく街並みを仏頂面で眺めている。


「まぁでも、せっかくだから、なんか食ってくか?」


「早くみんなのところ帰らなくていいんですか?」


「早くみんなのところ帰っちゃってもいいのか?」


「……お腹が空いてきました」


 すぐに団員の連中と会いたい気分ではないだろうな、とは思っていた。素直じゃないのか素直なのか、未だに今一つ、ロヴはフオのことをつかみきれていない。とはいえ現状、特に困ることもない。



 フオがロヴの手品団に来たのは、フオがまだ十二歳の時だった。帝国北部にある、元はアトソップ族が住んでいた地域に興行に行ったときだった。


 旅公演最後の舞台がはね、天幕テントの裏にある楽屋区域に出る扉を開けると、背の高い女の子がロヴを待ち構えていた。それがフオだった。その時には、もう今のラロワくらいの身長があった。


「出口がわからなかったのかな?」


 ロヴは不審に思いつつも、例の気持ち悪い愛想笑いを浮かべて尋ねた。


「私をこの手品団に入れてください。こう見えても、運動神経良いんです。見てください」


 そう言うが早いか、後ろに宙返りをした。頭から落ちた。


「痛ったぁ……!」


 変な奴。そう思ったが、面白そうなので話を聞いた。


「なんで、ウチの団に入りたいの?」


「え、……なんとなくです」


「……。お父さんとお母さんは、何て言ってるの?」


「わかんないです」


「……君が、ここへ来てるのは、ご存じなのかな?」


「知らないんじゃないですか?」


 ロブは団長という役柄、入団希望者の面接は何度もしたことがある。しかし、これほど正直な希望者は後にも先にもフオだけだったので、よく覚えている。悪い意味で真っ白な心の持ち主だと思った。


 しかも、どうやら家出同然で出てきたらしい。めんどくせーなー、と思いもしたが、この手品団の楽屋裏にまで忍び込んできたことを気に入った。忍んで来る者に対しては、子供であっても容赦はしないのが『エヴィターク氏の不思議な天幕魔術世界』である。


 それに、ちょうど明日からはまた違う土地だ。だからこそ、この娘も今日来たのだろう。一旦、家に帰し、手品団の出発と同時にまた来るように、と伝えた。


 最後に一言、聞いた。


「ひょっとして……、ラロワが気に入ったのかな?」


 フオは真っ赤になって下を向いてしまった。めんどくせーことになるなー、とロヴは思ったが、それは杞憂に終わった。この時予想した『めんどくさいこと』にはならなかった。


 そして後に、フオは手品団についてもっと深く知ることとなるが、知ったところで、特にどうとも思わなかった。フオにしてみれば、家を出られさえすれば、ラロワさえいればそれで良かったのである。



 そのフオは、今こうしてラロワとは離れ離れになった。もちろん、理解はしている。こうしてロヴの蒸気車くるまに揺られて首帝市の街並みを眺めていると、これでいいのだという思いもある。ラロワはここに来ることを夢にまで見ていたのだから。


 ただそれ故、この街に対する憎しみもまた増していく。つまりは、今現在自分はどうしたいのか、どう感じたいのか、自分でも決めかねていた。ただ、なんとなくみんなには今は会いたくないことだけはわかっていた。


 団に戻ると、もうラロワがいないということが浮き彫りになりそうで……、というより「なる」ので、今はまだ戻りたくはない。それだけははっきりしている。かといって、こうして首帝市にいたところで、ラロワが帰って来るはずもない。


 それにしてもこの街は嫌いだ。居心地が悪すぎる。それに、やはりこの街はラロワを自分から取り上げたのだ。それをラロワが望んだことだとしても。


 角を曲がると、一際大きな帝妃の肖像画が掲げられていた。見上げながらフオはつぶやくように言った。


「おめでとう、って思った方がいいんですよね」


「無理に思うこたねぇよ」


「……やっぱりいいです」


「なにを?」


「ごはん」


「なんで?」


「どうせ、嫌な思いするだけですから」


「大丈夫だ。ここにも異民街はある」


「え、そうなんですか?」


「ハナから帝国人の店なんて行く気はねぇよ。ま、俺は大丈夫だけど」


「いじわるですね」


 悪い意味で素直である、とロヴは改めて思った。

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