第11話 萌黄は心を取り戻す

 結局、萌黄が海斗に気付いた時にはもう夜の九時過ぎだった。

 慌てて、うどんを茹でて二人で啜る。


「……すみません。私からお食事に誘っておいて、素うどんだなんて」


「すごく美味いです! こんな美味い素うどんは初めてです」


「この、おうどんが素晴らしく美味しい高級品なのですわ」


「いえ! 茹で方と汁の塩梅が素晴らしいのです。俺はこういう甘めの汁が好きなのです」


 小さい丸テーブルで、向かい合って二人で素うどん。

 上流階級の男子にとって、不満の声が上がりそうだが……海斗は嬉しそうだ。


「陸一郎さんと真白は何か言っていましたか?」


「罰だから躾だからと言い訳をしておりまして、今後も萌黄姉さんを解放する気はないようです」


「……そうですか……」


 どうして二人は自分に執着するのか、わからない、萌黄。


「萌黄姉さん、あいつらのために落ち込まないでください。彼らの価値観は狂っていて……あ、すみません。貴女の妹さんに」


「いいえ、私も真白の感性には昔からついていけませんでしたから……」


「やはりですか? 失礼ながら、真白どころか、真っ黒かと思うほどの狂った性根ではないかと……あ、失礼」


「真白が真っ黒……」


 真白はいつでも天使。

 真白はいつでも正しい。

 真白は可愛い。

 真白は正義。


 萌黄は悪。

 萌黄は不細工。

 萌黄はいつでも間違っている。

 萌黄はいつだって悪魔。


 そうやって真白にも、両親にも、そして真白の周りの人間からも言われてきた。

 通う学校が違っても、何故か真白の信者はいつでもどこにでも沢山いて、いつも萌黄は陰口を叩かれてきた。

 

 おかしい! おかしい! と思っていても、もう叫ぶ気力もなかった。

 

 でも魔道具の勉強をやめさせられた時、あの時だけは抵抗した。

 叫んで、泣いて、暴れた。

 でも結局は、萌黄がおかしいという結果になった。


 それからもう抵抗するのをやめたのだ。


 でも、真白の言うままに結婚させられて、どれだけ後悔したか……。

 まだ、まだ自分の中で平和に暮らしたい、幸せになりたい……そう思う心が死んでいなかったんだと思い知った数週間だった。

 

「萌黄姉さん……」


 いつの間にか、涙が溢れていた。

 

「私……自分がおかしいんだって……ずっと思っていて……」


「萌黄姉さんは、何もおかしくないですよ」


 海斗がハンカチを渡してくれた。

 

「魔道具の勉強……やめたくなかったんです……」


「そうですよね」


「結婚も……したくなかったんです……」


「そうですよね……よかった」


「でも……私がおかしいって言われ続けて……」


「もう大丈夫ですよ。おかしいのは、あいつらです。俺が萌黄姉さんを守るから、大丈夫」


 涙が溢れて止まらない萌黄の横にいつの間にか海斗がいて、座ったまま抱き締められた。

 

 驚いたが、それよりも抱き締められる温かさで、更に涙が溢れてくる。


「……ひっく……うう……」


「必ず……兄と離縁させてみせます」


 海斗の胸元で聞く、海斗の声はいつもより優しく力強く思えた。

 そして優しい力に守られているような感覚……。


「でも一千万円の慰謝料を払わなければ……」

 

「あの真白さんと兄の関係……ただの義理の兄妹ではありませんよね」


「……それは……」


 さすがに海斗を傷つけてしまうのでは、と萌黄は沈黙してしまったが、逆にそれは答えとなった。

 不貞行為をしたのは、陸一郎だ。

 何が慰謝料だと、海斗は心の中で思う。

 

 しかし、あの二人を断罪するのは面倒だと思い海斗は言う。


「萌黄姉さん、大丈夫。一千万円くらい俺が用意できますから」


「えっ……そ、それはいけません……!」


「留学中ではありますが、収入は十分にあるのです。だから兄も俺に何も言えないのです」


 萌黄は涙を拭いて、海斗の胸元から逃れた。


「いいえ。これは自分の弱さが招いた事、我が妹の異常さが、招いた事。海斗さんは何も悪くないのに、そこまでして頂くわけにはいきません……!」


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