第8話 影工房へ


 萌黄の熱が下がった昼下がり。

 真白と陸一郎の姿は見えずにホッとする。

 屋敷の廊下ですれ違ったメイド達は、皆慌てて頭を下げた。


 なんともいえない感情。


 屋敷の裏の林を、二人で歩く。

 思いがけない爽やかな風が、萌黄の首元を通り過ぎていった。


 初夜での悍ましい出来事は、海斗に話してはいない。

 海斗も口に出したくないのだろうと察してくれる。


「風が気持ちよいですね」


「はい……この前まで、この林が監獄のように見えましたのに」


「……そうですよね。結界石を解除することはできますが、どうか蔵を見てから決めていただけますか」


「はい」


 身一つで逃げ出しても、その先の未来は暗い。

 海斗はそれも気遣ってくれるのだ。

 何からなにまで世話を焼いてくれる海斗。

 どうしてこんなにも親切にしてくれるのか。


 そして目の前には大きな古い蔵。

 確かに見た目は古く、ボロボロだ。


「でも……これは、わざと? わざとに朽ちているような加工と塗りをされているのですか?」


「さすが萌黄姉さん。そのとおりです」


「わっ……このナメクジも絵? すごいわ。本物みたいです」


「気持ち悪いでしょう? はは、俺の自信作です。萌黄姉さんがナメクジ嫌いだと知ったので消しておきましょうか」


「いいえ、絵なら平気です」


 なんでも萌黄を優先してくれる海斗。

 彼が笑って、蔵の鍵を取り出す。


「いつか萌黄姉さんを自由にできるように頑張ります。だからしばらくは此処で我慢してもらえますか?」


「そんな……」


 海斗が扉を開けて、電灯を点けた。

 

「まぁ……! これは」


 目の前に広がるのは、工房。

 作業台に並べられた工具は磨き上げられ、本棚にはびっちりと魔道具に関する本。

 キラキラと材料の鉱物が輝き、妙薬の瓶が並んでいる。


「ようこそ、俺の影工房へ。萌黄姉さん」


「なんて素晴らしい工房なんでしょう! ……海斗さん、貴方はやっぱり……」


「はい。俺も魔道具技師まどうぐぎしであります……!」


 工房と同じように、海斗の笑顔も輝く。


「海斗さんは、祓魔騎士ふつまきし様なのでは?」


 祓魔騎士とは、この世界に出現する化け物『妖魔ようま』を狩る専門の騎士である。

 対妖魔軍たいようまぐんの一員として、国に認められた者だけがなれる特別な騎士だ。

 

「祓魔騎士でもありますが、魔道具技師としても精進を続けております」


 魔道具とは、病気を治りを促進させたり、妖魔から身を守ったりの護符などのこと。

 魔道具技師はこの魔道具を作る仕事で、これも特殊な知識や技術が必要な特別な技師である。


「す、すごいです……!」

 

 祓魔騎士だけではなく、魔道具技師でもある。

 そんな文武両道の人を萌黄は見たことがなかった。


「萌黄姉さんに褒めていただけるなんて、努力し続けた甲斐がありますよ」


 海斗が照れたように微笑む。

 

「そんな、私になんて」


「いえいえ、俺にはすごく嬉しいことなのですよ。さぁどうぞ」


 海斗と共に、工房へ入る。


「わぁ……! これは群青水晶の結晶! これは、芳賀神社の特別札! 貴重なペンペル草まで、すごいわ……! これは宝物の山ではないですか!」


 一瞬で萌黄の瞳が、キラキラと輝いた。


「はは! 萌黄姉さんならこの価値がわかってくれると思いました! どうですか一つ、作ってみますか?」


「え……いえ……」


 笑顔だった萌黄の顔が曇る。


「海斗さん、『俺も魔道具技師』と言ってくださいましたけど……私はもう祖父が亡くなった十歳の頃から……学ぶ事を禁じられておりまして……学ぶ場にも出ておりません」


「存じております」


「なので、もう十年も学んでおりません。学んでいたのも子供の頃、魔道具技師だなんて名乗れません」


 萌黄も、魔道具技師を志した一人だった。

 少女の願った夢は、両親や真白からの嫌がらせで断たれてしまったのだ……。

 

「でも、魔道具錬成がお好きですよね?」


「それは……はい……!」


「此処では思い切り、学んで錬成して、開発して、論文書いて、やりたい放題ですよ」


 海斗が両手を上げて、笑顔で言った。

 萌黄の瞳が輝く、しかしまた曇る。

 

「い、いいのでしょうか」


「何か駄目ですか?」


「両親や真白や、陸一郎さんに……責められるかもしれません」


「そんなの俺が、貴女を守ります。文句を言われる筋合いもない。これからは家柄だとか女性が家に尽くすとか、そんな時代じゃないんです。個人個人が声を上げて、一人一人が輝く時代なんですよ」


「一人一人が……」


「はい。だから、此処にいる限りは工房で、思い切り楽しみましょうよ」


「どうしてここまで……してくださるのですか?」


「どうしてって、憧れの『匠姫』と学べるんですよ。俺はすごく嬉しいのです」


 『匠姫』

 それは祖父に教えられ天才的な才能を見せた萌黄が、魔道具技師達に呼ばれた敬称だった。


「どうしてその名前を……私は貴方とお知り合いでしたか……?」


「……いえ、でも誰もが知っていて当然の名ですよ! 匠姫の噂はすごかったですからね! 今日は萌黄姉さんの快気祝いと、俺の工房に匠姫をお招きできた記念に茶を用意したんです。さぁ二階が居住場所ですので、上に行きましょう」


 階段を上がると、秘密基地のような部屋。

 丸テーブルの上に綺麗に飾られた洋風甘味とサンドイッチに、ティーポットが用意されていた。


「まぁ、なんて素敵なんでしょう……!」


「喜んでもらえて嬉しいです。一部屋ですみませんが、こちらがベッドです」


 丸テーブルの横にあるベッドは、可愛らしい海外製キルティングのベッドカバーがかけられている。


「まぁ、可愛らしい。洋風のベッド、素敵です」


「いつも風を通して、湿気る事なく管理しておりますから、綺麗ですよ」

 

「こんなに素敵なお部屋を用意していただいて、なんと御礼を言ったらいいか」


「当然のことですよ。狭くてすみません」


「狭くなんかありません! とても素敵です。秘密基地みたいで……」


 萌黄はキョロキョロとあちこち見てしまう。


「あは、それです。俺も秘密基地を作りたくって」


 二階の戸棚にも薬草や、瓶類が飾られて、三角屋根の天井からはユラユラと揺れる宇宙のモビールが揺れている。


「それではお茶を淹れましょうか」


「あ、では私が……」


 二人でポットを持とうとして、二人の手が重なった。


「あっ……」


 離そうとしたが、離せばポットが落ちてしまう。

 また二人はポットを握り、手がしっかりと重なった。

 萌黄の手を包む、温かい手。


 二人で固まってしまって、数秒……。

 

「す、すみません。俺が手を離しますね」


「こちらこそ……すみません」


 ゆっくりと海斗の手が離れる。


 温かかった……そして、何か微量に感じる力……?

 

 思えば、その手で何度も額の冷布巾を変えてもらったり、水を飲ませてもらったりしていた。

 真白を追い返す際に、メイドが一人いると海斗は伝えていたが全て海斗が面倒を見てくれていたのだ。

 それはメイドに恐怖心を持っている萌黄のためを思ってのこと。


 萌黄の人生で、こんなにも誰かに優しくされたのは初めてだった。


「あの、私がお茶をお淹れいたします。台所の使い方を教えてくださいますか?」


「はい! 俺が作った竈で、飯も炊けます!」


 そして奇妙な、夫とは別居をしながら義弟と過ごす影工房での生活が始まったのだった。

 

 

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