星と夢とお嬢様に恋した僕

タケシ

第1章 春の予感

〜春になれば〜

4月の風は、まだ少し冷たい。


けれど日差しはやわらかくて、ほんの少しだけ、気持ちを前に向かせてくれる。


校庭の隅に広がる菜の花畑。


その黄色い波の中を、白い蝶がひらひらと舞っていた。


まるで何かを探すように――あるいは、懐かしい誰かに導かれるように。


ユウキはその光景を、ぼんやりと眺めていた。


誰しも、過去の記憶の中で忘れられない人がいる。


――綾瀬沙羅が、まさにその人だ。


彼女は名家の令嬢で、当時から深く関われる人はごく限られていた。


ユウキが覚えているのも、幼い頃に一緒に生き物の世話をし、花を育てた、ほんの小さな記憶だけだった。


けれど、その小さな思い出が、ユウキの心に、ずっと消えぬ灯をともしていた。


さよならも言えずに終わった卒業式。


最後に聞いた彼女の声、美しいピアノの旋律は、今もなお心の中で響き続けている。


ユウキが光星学園の門をくぐったのは、


彼女への強い想いからか、ただ微かな希望にすがりたかっただけなのか――


それははっきりとは分からない。


けれど、途切れたはずの運命の糸が、星の光に導かれるように再び結ばれたとき、


ユウキは、まだ夢と現実の狭間にいるようだった。


夢の続きを、ずっと待っていたのかもしれない。


*


ふと、背後から声がした。


「ねえ、ユウキくんってさ。どこかで会ったことない?」


驚いて振り返ると、そこに立っていたのは――


ブレザーの襟元からのぞく赤いリボンが、風に揺れる髪とともに舞った。


柔らかくウェーブのかかった髪が肩に流れ、春の陽差しに透けるように揺れていた。


そして、その瞳――


どこか懐かしくて、でも昔よりもずっと澄んでいて、まるで遠い星を映しているようだった。


長いまつげが、春の光を受けてほんのり影を落としているのが見えた。


記憶の中の少女と重なっていく。


「……えっ、綾瀬さん? だっけ」


彼女はいたずらっぽく微笑んだ。


「なになに、私のような美少女に話しかけられて緊張してる?落ち着いて、深呼吸していいよ?」


まるで昔と変わらない、いや――


もっと自由で、ちょっとだけ大人びた雰囲気をまとっていた。


整った横顔はどこか遠くを見つめるようで、話しかけるのがためらわれるほどだった。



ユウキは、何かを言いかけて、でもすぐには言葉が出なかった。


(ほんとうに会えるなんて)


でも、その言葉はまだ心の中にしまっておいた。


懐かしさと、少しだけくすぐったい気持ちと共に。


「いや、あんまり話したことないし……緊張はするよ、そりゃ」


「うんうん、かわいいね、ユウキくんって」


彼女はくすっと笑い、花に目をやると、どこか懐かしそうな声で続けた。


「動物的なかわいさがあるよ。昔飼ってたユキちゃんに似てるの」


「ユキちゃん?」


「ミニウサギで、めちゃかわいかったんだよ~。ふわふわの毛並みとか、ちょっと眠そうな目とか」


「そうなんだ!てか、それって喜んでいいのかな。」


僕は苦笑しながら視線をそらしたが、沙羅は無邪気に笑い続けていた。


「そういや……もしかして、西野森小学校にいたとか?」


「あっ、やっぱり!そうだと思った!菜の花見てる姿で思い出したんだ~!」


彼女はぱっと顔を輝かせ、手を叩いて喜んだ。


「つれないね~、話しかけてくれたらよかったのに」


「いや、僕も確信が持てなくてさ……」


「一緒に生物係してた仲じゃん」


沙羅は足元の花を見つめながら、ふんわりとした口調で言った。


「ああ、懐かしい。よく覚えてるね」


「覚えてるよ~。一緒に、こういう花育てたりしたもん」


「生物係でいろんな動物と関われて楽しかったよね。」


ユウキは、笑いながら視線を花に落とした。


「うん。金魚の水換えしたり、うさぎに餌あげたり、あとは花の世話とか」


彼女はしゃがんで、小さな花を指でつついた。


「……私、この花すごく好き。そよぐ感じとか、綺麗な黄色とか。癒されるんだよね」


「わかる。静かに見てると、なんだか落ち着く」


しばらく風が吹き抜けていく音だけが続いた。


彼女は立ち上がると、丁寧にスカートの裾を払ってユウキを見た。


「じゃあ、そろそろ行かなきゃ。またね、ユウキくん」


「うん。……こちらこそ、よろしく」


振り返った彼女の髪が、春の風に揺れて、陽の輪郭にとけてゆく。


その背中を見送るユウキの胸の奥に、淡くて柔らかい気持ちが生まれていた。


ユウキはまだこの再会がどんな夢を見せてくれるのか、実感できなかった。


けれど、春の風に揺れる菜の花を見つめながら――


胸の奥に、静かに、何かが動き出した気がしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る