「ねえ、なんで?」モラハラ彼女のなんでなんでに疲れた俺が君と出会って

夜道に桜

第1話

 その日も、“なんで?”は、突然だった。


 スマホの画面に、香澄からのLINEが届いていた。


『今どこ?』


 既読をつけたのは、ゼミが終わった直後。

 時計を見ると12時43分。昼休みのチャイムが鳴ったばかりだ。


 返事を打とうとする前に、もう一通。


『なんで返事しないの?』


 たったの十秒、いや下手すれば五秒。

 けど、香澄にとっては既読スルーも立派な“裏切り”だった。


 慌てて返信を打つ。


『ごめん、今ゼミ終わったとこ』


 ……既読。

 でも返事は来ない。

 この“既読の沈黙”が一番怖い。何も言ってこないからこそ、何を考えてるのかわからない。


 焦りながら学食に向かおうとしたそのとき、廊下の角から香澄が現れた。


 ショートパンツに黒いニット、髪はゆるく巻いていて、今日もまぶしいくらいに綺麗だった。

 けど、俺の胸が強く締めつけられたのは、その“視線”だった。


「……真尋」


 名前を呼ばれた瞬間、立ち止まってしまった。

 香澄は、笑っていた。口元だけは。


 目は、まるで石のように冷たかった。


「……あの、ごめん。ゼミ、ちょっと延びちゃって」


 言い終わる前に、彼女が口を開く。


「なんで?」


 その声が、静かに突き刺さった。


「え?」


「なんで“今ゼミ終わった”ってLINEしたの?

 “ゼミ中だったから返せなかった”って言わなかったのは、なんで?」


「いや、その……」


「なんで、私を先に安心させようとしなかったの?」


「いや、香澄……それは、別にそういうつもりじゃなくて」


「ふぅん。じゃあ、“つもりじゃなかった”なら許されるんだ?」


 静かな口調。

 でも俺は、言い訳をやめるしかなかった。


「……ごめん」


 そう言うと、彼女は薄く笑った。


「じゃあさ。今日のお小遣い、2,000円でいいよね?」


「え?」


「本当は3,000円渡すつもりだったんだけど。

 でも真尋がそうやって私を“不安にさせた”から。

 ごめん、仕方ないよね?」


 香澄は財布から二千円を取り出して、俺の手に無造作に押しつけた。


「……」


 言葉は出なかった。

 黙って、ポケットにその紙幣をしまった。




 俺のバイト代は、香澄が管理している。

 「私がやってあげた方が、無駄遣いしないで済むでしょ?」って。

 最初はありがたかった。優しいと思った。


 でも、今では“お小遣い”という名目で、月に数回、必要な分だけ渡される。

 コンビニで好きなものを買う余裕なんてない。

 食費も、交通費も、スマホ代も――ぜんぶ、香澄の“判断”に委ねられてる。


 今日みたいに“問題行動”があった日は、減額。

 なんならゼロの日だってある。


 だけど、俺はそれでも彼女を嫌いになれなかった。


 ……だって、昨日の夜は――



「真尋、おかえり」


 香澄は俺の部屋で待っていた。

 白いタンクトップに黒いショートパンツ。

 ベッドの上に体育座りして、俺が帰ってきた瞬間、嬉しそうに笑った。


「疲れたでしょ? これ、作ってみたんだ」


 差し出されたタッパーの中には、俺の好きな唐揚げと卵焼き。

 香澄は、自分では食べない。俺が食べるのを見て、嬉しそうに笑ってくれる。


「真尋の“おいしい”って顔、見てるのが一番好きなの」


 そう言って、そっと抱きしめてきた。

 胸の柔らかさと、香水の匂いに、何も考えられなくなる。


「……ねぇ、好きだよ。真尋だけが、私の全部だから」


 その夜は、俺の疲れなんてお構いなしに、

 彼女の熱が全部をさらっていった。




 だから、わからなくなる。


 今日の彼女は怒ってた。でも、昨日は天使だった。

 あんなに優しくしてくれたのに、なんで?


 なんで……って。


 ――それを、いつも言うのは、香澄のはずなのに。

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