時は、十六夜との買い物デートより十日前まで遡る。

 といっても、何の兆候もなく二回目の逆行が発生したわけではない。安心してほしい。ただの過去回想だ。

 その夜、二十二時ごろにバイトから帰宅して手早くシャワーを終えた俺は、誰もいないキッチンで棚を漁っていた。小腹がすいて、カップラーメンでも食べようか、と思ったのだ。

 すると、リビングのドアが開いてパジャマ姿の愛理が現れた。今夜は三つ編みのようだ。


「おかえりなさい、祐也さん」柔和な微笑を口元にたたえていた。


「ああ、ただいま」俺は醤油のカップラーメンを持って答えた。


 愛理は俺の手元を一瞥すると、「よかったら、簡単に何か作りましょうか?」


「ありがと。でも、愛理も自分のことやってたんじゃないのか」


「勉強が終わって暇してたところですよ。意味もなくSNSを眺めていたくらいです。それに、わたしも少し食べたいですし」


「そうか?」俺は甘えることにした。「じゃあお願いしようかな」


 夜食は十分余りで完成した。カニ玉風──つまりカニカマの──あんかけにゅうめんだ。

 なお、

 こんな時間に食べて太らないか?

 と並の女なら心配するかもしれないが、愛理は胸以外は太らない。体重を気にしているところなど見たことがない。無人島に漂着したらまっさきに餓死するに違いなかった。そして、胸部にしか食い出がないから、死肉を漁りに来た肉食獣たちにがっかりされるのだ。何と哀れなことか。

 愛理がダイニングテーブルを挟んで差し向かいに着くのを待って食べはじめた。


「おいしいよ。いつもありがとな」と伝え、少し食べ進めたところで、「──どうした? 何か話でもあるのか?」


 というのも、愛理は、食べつつも、ちらちらと物言いたげな視線を寄越してきていたのだ。

 愛理は意を決したように口を開いた。


「あのっ、裕也さんはおっきなおっぱいが大好きですよねっ?!」


「???」


 突然のことに箸が止まり、目をしばたたいた。俺は何とか頭を働かせ、「……たしかに俺は胸派だが」


「ですよね、わたしので挟んで差し上げるといつも鋼みたいになってましたもんね」安堵するようにそう言うと愛理は、間髪を容れずに勢い良く話を転じた。「ところで! あとちょっとで夏休みですね!」


 夏休みまであと三週間強。子供のころなら〈まだ三週間もある〉と感じていただろうが、三十代も半ばになると、今まで生きてきた時間に対する割合が減少するからか、たしかに〈あとちょっと〉という感覚だ。


「まぁそうだな──それがどうした?」俺は尋ねた。


「夏休みといえば……おっぱいです!!」


「???」


 俺の頭は再び混乱した。このおっぱい美少女(三十四)は何を言っているんだ? おっπ美少女(三・一四)なのか?


「あ、違っ、そうではなくて」愛理は恥じらうようにまごつき、「プールと言いたかったんです。夏休みになったら二人で行きたいなと思いまして」


「……」







 そうして俺と愛理は、朝からバスと電車に乗って今年の夏にオープンしたばかりの大型の屋外型レジャープールを訪れた。

 流れるプールや波の発生するビーチ風プール、曲がりくねったウォータースライダーがあり、さらに有料のシート──テーブルと椅子、デッキチェアがある屋根付きのスペース──も提供している。夏休み期間中の平日だからだろう、学生らしき若者たちが多い。

 水着に着替えてロッカーに荷物を入れると、予約していた、ビーチ風プールの脇の有料シートに向かった。

 白いデッキチェアに体を預けて、人工的な波にはしゃぐ幼女に粘ついた視線を送る成人男性を眺めていると──ふっとその視線が非合法ロリから離れた。

 改心したのだろうか?

 しかし様子が変だ。彼の目の性的な思惑はむしろ強くなっているように見える。

 何だ? よりおいしそうな獲物でも見つけたのか?

 と思ってその視線の長いトンネルを抜けると、おっぱいであった。オーソドックスなデザインの白い三角ビキニに窮屈そうにむにゅっと支えられた推定Gカップが、持ち主の小走りに合わせて、たぷぷん♪ ぽよよん♪ と弾んでいる。

 ……何だ、愛理っぱいか。それなら仕方ない。

 ……え?

 俺は二度見した。恥ずかしがり屋の彼女にしては露出が多すぎるのだ。愛理の三角ビキニなんて初めて見た。


「お、お待たせしました」


 恥ずかしそうに赤面して俺の横合いから登場した愛理は、もじもじとしつつも、しかしぷりっとした尻の後ろで手を組んで胸を張るようにして言った。ビキニの紐がパイ圧に喘いで哭いている。

 よく知っているはずなのに目新しいおっぱいの吸引力に抗ってふいと顔を正面に背けて俺は、


「お、おう」


 と答えた。

 愛理を横目で窺う。彼女は更衣室で髪をお団子にしてきたようだった。整いすぎていて威圧的でさえあるその顔がよく見える。

 その柳眉が不安そうにハの字になった。


「ごめんなさい、裕也さん。今はまだGカップしかないんです。やっぱりこれじゃ少し物足りないですよね。わたしもなるべく早く元どおりの大きさにしたいんですけど、なかなか上手くいかなくて」


「いやいやいや上位何パーだよ? 十分だって。目を逸らしたのは、露出が多くてびっくりしたからだよ」


 愛理は更に顔を赤くした。しかし、胸を隠そうとするそぶりは見せない。「……裕也さんに喜んでほしくて、がんばりました」


「たいへんよくできました」


「それでその、お願いがあるんですけど、背中に日焼け止めを塗ってくださいませんか」


 そういえば、手に金色のチューブを持っている。胸に意識を奪われて見落としていた。

 俺が了承すると愛理は、デッキチェアの奥のテーブルの横に移動し、こちら、つまりプール側に背を向けた。

 純白の肌が瑞々しい。お団子髪の下に露になったうなじが蠱惑的な色香を漂わせ、女性的な曲線を描く輪郭が雄の本能を激しく揺さぶる。

 後ろから力一杯抱きすくめて獣欲の限りを尽くしたいという衝動が、電流となって全身を駆け巡り、指先がぴくりと痙攣した。

 俺は日焼け止めを手のひらに出すと、処女雪のように染み一つない愛理の肌、肩甲骨の辺りに触れた。

 すると彼女は、まだろくに開発もされていないはずなのに、


「んっふぅ~」


 淫蕩なニュアンスを含んだ吐息を鼻から洩らした。

 おいおい、と俺は少しあきれた。公共の場でそれはまずいだろ、と。

 俺は愛理の背中に、円を描くように手のひらを優しく這わせながら、すっと唇を寄せて耳打ちした。


「こらこら、こんな所で喘いじゃ駄目だろう。我慢してくれ」


 愛理は一度かすかに身震いすると、「ぁぅ、ご、ごめんっっ、なさぃ……」


 俺は、手のひらをビキニの紐の下に潜り込ませた。ゆっくりと左右に撫でさするようにして塗布しながら、耳朶じだにささやく。


「ずいぶんと感じやすいじゃないか。この体はまだ無垢なんじゃなかったのか、ええ?」


「ち、違っ、わたしはっ、んっ、不義など働いておりませんっ、……の中を検めてくださればっ、ふぅっ、証明できますっ」


 手のひらが、背骨沿いの窪み、いわゆるビーナスラインをすぅーっと下っていくと、愛理は唇を噛んで声を押し殺した。

 彼女は一拍後、くっはぁっ、と息を吐くと、潜めた声で答えた。


「ま、毎日、裕也さんを想って、その、一人でシていたら、いつの間にか以前よりも敏感になってしまっていたんです」


 俺は呆気に取られて手を止めた。


「な、何ですか。何か言いたいことでもあるんですか」


 寸止めめいたお預けを食ったからか、愛理の声は少し不満げで、と同時に、引かれたかもしれないと思ったのだろうか、不安げでもあった。

 俺は答える。


「放置でレベルが上がるソシャゲみたいだな」


「放置しないでほしいんですけど」不満の比率がぐんと増した。「放置されすぎて上限突破しちゃったじゃないですか」







「「……」」


 俺と愛理はビーチ風プールを前にして立ち尽くしていた。俺は脇に大きな浮き輪を抱えている。浮き輪は泳ぎが苦手な愛理のためのものだ。

 プールでは、若い子たちがきゃっきゃとはしゃいで青春している。平均年齢は、下手をすると十八歳を切っているのではないか。水泳の授業かな?


「……入りづらいですね」愛理がぽつりと言った。


「ああ」俺はうなずいた。


 冷静に考えて、キッズコーナーに突撃して遊ぶ三十四歳はヤバい。気後れする。そんな気分だった。

 しかし、わざわざ来て、水に入らないのももったいない。

 俺は愛理の手を取った。


「行こうか」


「……はぃ」


 恥じらって消え入りそうな声で答えた愛理、その頬が瞬く間に朱に染まっていく。

 客観的に見れば、俺たちも青春中のキッズと変わらないか。

 少し気が楽になった俺は、ふっと口元が緩んだ。


「あぅ……」


 というような声を洩らした愛理の手を引いて、緩やかな波の打ち寄せる青い渚に一歩踏み出した。







 結論から言うと、普通に楽しめた。

 浮き輪に尻を嵌めて浮かんだ愛理を波の発生源近くまで押していったり、流れるプールで浮き輪ごと流されていた愛理が転覆事故を起こしたり、涙目の愛理を笑いながら慰めたりした。

 ポールの時計を仰ぎ見れば、正午まではまだ少しあるが、運動したからかすっかり空腹だった。

 愛理も同じようで、俺たちはプールサイドのレストランに向かった。

 カフェのテラス席のようにパラソル付きのテーブルが並び、屋内の席も広々として充実しているそのレストランは、とはいえ小洒落たレストランというようなものではなく、デパートのフードコートが雰囲気としては近い。メニュー表代わりの立て看板には、〈こういうのでいいんだよ〉なお決まりのジャンクフードが掲載されている。

 混み具合はそこそこ。先払いの会計の前に数組の列こそあれ、空席もあり、すぐに座れそうだった。

 愛理と二人で列に並ぶ。

 と、屋内の窓際のテーブル席に見知った顔を見つけた。


「あら、咲翔君ですね」緩く腕を絡めて寄り添っている愛理も気づいた。


 愛理の従兄弟、以前サッカーで遊んだ幼稚園児の咲翔が、両親つまり良樹さんの弟夫婦と食事していた。咲翔にもその両親にも笑みが溢れ、話に聞いていた険悪さは見受けられない。


「叔父さんたち、仲直りできたみたいですね」


 愛理がうれしそうに言った。ついで(?)とばかりにむにゅっと胸乳を押しつけてくる。

 と、今度は咲翔がこちらに気づいた。手を振ってくる。

 俺は片手を軽く上げ、愛理は小さく振って応えた。

 最後に気づいた弟夫婦が、うち揃って目を丸くした。

 カップルと勘違いしたのかもしれない。

 咲翔が両親に何かを話している。すると、両親は大きくうなずき、意味ありげな笑みを浮かべた眼差しを俺たちに寄越した。

 程なくして列が進み、俺たちの番になった。


「もしかしたら相席をお願いするかもしれませんが、よろしいでしょうか」


 レジの男性店員が言った。

 愛理は嫌がるだろうな、と思って目をやれば、やはり彼女は、


「テイクアウトにしてシートで食べましょう」


 と言い、やはり胸乳をむにゅっとしてきて、店員が羨ましそうに生唾を飲んだ。

 否やはない。








 俺はカツ丼、愛理はサンドイッチを平らげ、少しの間デッキチェアで休憩すると、巨大ウォータースライダーに向かった。

 二人連れであれば瓢箪型ひょうたんがたのツインリングの浮き輪に同乗して下るようで、コースも長く、なかなかのスリルを味わえそうだった。リスキーなものに高まるタチの俺とは逆に、臆病な愛理は、

 え、これ大丈夫なんですか、死なないですか、生きて帰れるんですか、

 というふうにきょときょとと落ち着かない様子だった。

 が、並んでおいて今更、やっぱやめます、もないだろう。

 俺が後ろに乗り、その脚の間に愛理が収まった。彼女は浮き輪の取っ手を固く掴んだ。振り向いて、


「ゆ、裕也さん、来世でも一緒に、な、なりましょうねっ」


 流石に笑うって。

 浮き輪を押さえている係員も笑っている。そんな彼は、笑みまじりの声で、

 

「行きますねー」


 そして手を放した。

 グラッと前に傾き、にわかに加速した。


「ひゃあぁあぁあぁあぁあっ!!」


 愛理が普段はまず上げないだろう悲鳴を上げた。

 結構なスピードが出ている。カーブのたびに、ぎゅんと浮き輪が斜めになり、内臓がシェイクされる感じがしてとても愉快である。


「」


 一方の愛理は、取っ手にしがみつくばかりで声もない。蒼白な顔をしていることだろう。

 ちくしょうっ、愛理はもう駄目だっ!

 そして、俺たちはフィニッシュ──しぶきを散らしてプールに滑り込んだ。思わず目を閉じる。

 勢いが弱まり、スライダーから流れ出てくる水に押されてぷかぷかと漂うだけの状態なると俺は、屍と化した愛理の肩を軽く叩いて声を掛けた。


「生きてるか?」


「……い、生きてます」


 愛理は茫然自失した様子で息も絶え絶えに答えると、のっそりと浮き輪から降りてこちらに向き直った。


「うおっ」


 滑走中は声を上げなかった俺だが、驚いてそう発した。

 フィニッシュ時の衝撃でビキニの紐がほどけたか切れたかしたのだろう、ビキニがどこかへ行き、愛理の、豊満ながらも美しさを保った魅惑の膨らみが露になっていたのだ。

 咄嗟に、素早く浮き輪から降りて手を伸ばし、その巨大マシュマロをむにゅっと鷲掴みにしてトッピングのさくらんぼを覆い隠した。


「あひゃんっ」愛理の声が高く跳ねた。「えっ、えっ、こんな所でっ?!」


 もみもみ。


「馬鹿、ビキニがどっか行ってんだよ」


 もみもみ。


「えっ?」


 愛理は自身の体を見下ろした。柔らかおっぱいに俺の指が沈み込んでいるのを認めると、顔を上げた。

 俺と見合わせたその顔が、ふにゃっと泣き崩れそうになった。

 もみもみ。


「せっかくの〈初揉み記念日〉が、こんなの嫌ですよ~」


「……どんな嘆き方だよ」

 

 もみもみ。







 よほどショックだったのか、愛理はすっかり消沈してしまった。

 遠くに浮かんでいたビキニトップは紐が切れてしまっていた。売店で水着を買うこともできるようだが、遊ぶ空気でもなく、帰ることにした。


「ごめんなさい」愛理が申し訳なさそうな声で言った。


 愛理を更衣室に送り届ける途中だった。彼女は、俺がロッカーから取ってきたタオルで胸を隠している。


「いいよ、気にしなくて。もう十分遊んだしな」俺は優しい声を出した。


「はい……」愛理の声は、かえってしおたれてしまった。


「人生にハプニングは付き物だろ? こういう上手くいかなかったこともいい思い出だよ──まぁ、もうちょっと愛理の水着姿を堪能していたかったけどな」


 俺は冗談めかして笑った。


「そ、それならっ」愛理は急に声を高くした。「おうちに帰ったらグラビアごっこしましょう!」


「……はい?」







 愛理曰く、


「わたしはまだ本気を出していないのです」


 家に帰ったら本気の水着を着るから、そのわたしをデジカメで撮影して遊びましょう、ということらしかった。


「どっからその発想出てきた?」


 愛理らしくなさすぎる。


「裕也さんの浮気のせいです」


「浮気? 何のことだ?」


「ドールズの写真集ですよ。裕也さん、この前買ってきていたではないですか。ああいうのに興味があるとは知りませんでしたよ。言ってくだされば、わたしがしましたのに」


 要するに、悋気して対抗しようとしているようだった。そのために、より際どい水着を、友人の七瀬と相談して買ったという。またあの転石が一枚噛んでんのか、といったところ。

 家に帰り着くと、午後四時になろうかというところだった。良樹さんは仕事で、母さんは買い物だろうか、不在だった。


「裕也さんはお部屋で待っていてください」


 俺は自室の学習机の椅子にもたれ、くだんの写真集を開いた。ドールズメンバーが大胆な水着姿や下着姿を惜しげもなくさらしている。

 十六夜はシコリティ重視と言っていたが、ファンはこれをオカズにするのだろうか。AVのほうが手っ取り早いような気がするが……。

 腑に落ちない気持ちを抱きながらページを繰っていると、ドアが少しだけ開いた。愛理がドアの陰に隠れるようにして顔だけを覗かせた。頬が赤く染まっている。


「着てきました」


 俺は写真集を学習机に置いた。


「行きますよ」


 と、もったいをつけるように言って愛理は、ドアを開けて全身を見せた。


「おおう」


 俺は感嘆と驚きがない交ぜになった声を洩らした。

 愛理の本気とやらは、布面積を最小限に抑えた極小マイクロビキニだった。濃紺の花柄に差し色的にまばらにあしらわれたピンクの花が、かわいらしくも扇情的な水着だ。豊かな乳房は先端だけが三角の布に覆われ、陰部も、その頼りなげな薄布を少しずらすだけで秘密の花園が見えてしまうだろう。

 愛理は入室してドアを閉めると、


「ど、どうですか」


 後ろで手を組んで聞いてきた。恥ずかしくてたまらないといったように含羞の色を満面に浮かべている。

 俺は生唾を飲み込んでから答える。


「すごく魅力的だよ。俺のためにがんばってくれてありがとな」


 えへへっ──愛理はうれしみを噛みしめるように口元を緩めた。

 彼女はおもむろに歩み寄ってくると、写真集をめくっていく。

 そしてなぜか、十六夜のページで手を止めた。前屈みになって胸(Dカップ)を──やや強引に寄せ上げて──強調している。


「このポーズはどうでしょうか?」


 一瞬何のことかわからなかったが、そうだった、撮影会をするのだった。


「あ、ああ、いいと思うよ」


 しかしよりにもよって十六夜か。まさか俺たちが会っているのを察しているのか……? いや、そんなわけないよな。

 俺はそう結論づけて、学習机に置いておいたデジカメを手に取った。カメラの準備が終わると、


「で、では、よろしくお願いします」


 恥ずかしそうにそう言って愛理は、学習机に背を向けて椅子に座る俺のすぐ目の前で前屈みになる。

 愛理のつんと澄ましたような上品な美貌が、すっと寄ってきて上目遣いに俺を見つめる。

 紅潮した頬に潤んだ瞳、それらだけでもひどく官能的なのに、視線を下げれば、Gカップの双子の山が、膝に突いた腕にむにゅうぅっと寄せ上げられて深い深い谷間を作っている。よく見ると、頂きの部分が少し浮いていて薄紅色のそれが見えそうになっている。

 すなわち、着エロの極地っ……!!

 ごくり。

 俺は本能のままにその部分へとレンズを向けた。


「こ、これ、裸よりも恥ずかしいですね」


 愛理は、これ以上の羞恥はないと言わんばかりに真っ赤になっている。


「撮るぞっ」俺はデジカメの液晶モニターを見ながら尋ねた。


「は、はいっ」愛理は、緊張した声で答えた。


 ──カシャッ。


 シャッター音が、淫靡な空気漂う部屋に立った。


 ──カシャッ、カシャッ。


 同じ構図ながら続けて二回、シャッターを押した。

 楽しくなってきた俺は、率先して、写真集から次なるポーズを探した。

 そして目に留まったのは、またしても十六夜だった。

 四つん這いになって上半身を下げて尻を上げている、いわゆる女豹のポーズ。十六夜ご自慢の豊かな双臀そうでんを後ろから撮っていて、彼女は肩越しに秋波しゅうはを送ってきている。


「次はこれだな」俺は指示を出した。


「は、はい」愛理は恥ずかしがりながらも従順に従う。


 愛理は、尻を高く突き出すようにして床に四つん這いになった。十六夜よりはやや小ぶりながらもしっかりと女性的な丸みを帯びたそれは、情欲を掻き立て、長いまつ毛瞬く濡れた流し目は男心を激しく揺さぶる。

 ふと、その視線の先が、熱く脈打つ俺の股関に触れた。ぞわりと肌が粟立った。


「裕也さぁん」


 意識してか無意識にか、猫撫で声のような、媚のしたたる甘ったるい声だった。愛理はおもむろにビキニボトムの紐の片方に手を伸ばし、しゅるりとほどいた。乙女の聖域を隠し守る布切れが前から垂れ下がり、ゆらゆら揺れる。

 あとほんの少し、例えば悪戯な風が吹いたりすれば、邪魔な布切れがふわりと翻ってすべてが露になるだろう。


「こちらのほうがえっちではないですかぁ?」


 そう言って卑猥に挑発した愛理は、しかしすぐに、俺の目から逃れるように自身の腕に顔をうずめた。その耳は茹で蛸のように真っ赤で、相当に無理をして恥ずかしいのをこらえていることが窺えた。


「……」


 あの、消極的ではにかみ屋の愛理がなぁ。

 胸中に感慨が満ちていく。

 こんなふうに誘ってくれたことは、逆行前は一度もなかった。毎回俺から誘っていて、とはいえそれに不満があったわけではない。一抹の寂しさのような、不安のような小暗いうずきが、時折、ふとした瞬間に胸の奥でそよめくだけだ。愛理のまっすぐな愛を疑うほどではない。

 いつまで経っても返事をしない、かといってシャッターを切るわけでもない俺に不安が大きくなったのだろう、愛理が盗み見るようにちらっとこちらを振り返った。

 ふっ、と俺の鼻から微笑の息が洩れた。

 カメラを学習机に置くと俺は、膝を突いてビキニボトムに手を掛けた。


「っ……!」


 愛理から息を呑む気配がした。彼女は再び腕に顔をうずめる。かすかに感じ取れる甘酸っぱい蜜の香りが、彼女の期待の高まりを物語っていた。

 しかし俺は、その期待を裏切った。ビキニボトムの紐を結び直したのだ。

 不満の色をたたえて振り返った愛理に、俺は微苦笑を返した。


「やっぱり違うポーズにしよう。愛理の顔をちゃんと映せるやつに」


「それは構いませんけれど」


 そうして選び出したポーズは、今度は、ドールズの合法ロリこと小鳥居奈瑞菜(二十三)のものだった。

 胸も尻もない小鳥居にどんなポーズが執れるというのか、圧倒的なミスキャストではないか。

 そう思っていたが、プロ(のオカズ)は格が違った、小鳥居は見事に役目を果たしていたのだ。

 そう、スク水M字開脚でね。


「こ、これですか」愛理は若干気持ち悪そうに眉をひそめて言った。


 その写真のシチュエーション(建前)は、

 ●学生の小鳥居と二人で市民プールに遊びに来たところ、なぜかプールサイドにバナナの皮が落ちていて、それに足を滑らせた小鳥居が尻餅を突いたら図らずもM字開脚になってしまった、

 というものらしかった。

 なお、水着のサイズが小さいようで、食い込んでいる。

 小鳥居は、イテテ、というような顔をしているが、内心では、こんなの絶対トップアイドルの仕事じゃない、わたし何で二十三歳にもなってスク水着てこんな変態的な格好してるんだろ、お酒飲みたいなぁ、と思っているに違いなかった。

 

「裕也さんって、ロリコンだったんですか」


 愛理は深刻そうなしわを眉間に刻んでいる。


「ロリコンだったらお前と結婚してないって」


 愛理は童顔でもなければ低身長でも貧乳でもない。高めの身長に高慢そうな顔立ちの巨乳美女だ。ロリコンには刺さらないだろう。


「そうですよね」愛理はほっとしたように言った。


 ベッドの上でその態勢をするように指示すると、愛理はベッドの縁に座った。かつてないほどに顔を赤している彼女は、後ろに手を突くと、ためらいがちにゆっくりと股を開いた。

 思わず見入ってしまう。

 愛理は恥ずかしそうに顔を背けている。

 俺はカメラを構えた。


「こっち向いて」


「ぅぅ~」


 愛理は恥ずかしくてたまらないというように小さくうなりながらこちらを向いた。羞恥に耐えるように下の唇を噛んでいる。

 それは俺の求める表情ではなかった。

 ここからほほえんでほしいんだけどな、とその方法を思案しかけるも、その瞬間はすぐにやって来た。


「その写真、ほかの人に見せたら絶対に駄目ですよっ」愛理は困り眉のまま言った。「裕也さんだけですからねっ」


「わかってるよ。俺だって、愛理のこんなかわいい姿、ほかのやつには見せたくないし」


「……」呆けたような一瞬の間の後、「もうっ、すぐそういうこと言うんですから」愛理の表情が緩んだ。


 すかさず俺はシャッターを切った。

 羞恥に頬を赤らめつつも湧き上がってくるうれしみに思わず口元を綻ばせてしまう愛理が欲しかったのだ。

 写真を確認すると、理想どおりの、かつての俺が心を奪われた、はにかみ笑いのアップが撮れていた。

 完璧だ。自画自賛したい一枚に、今度は俺の口元が綻ぶ。

 さて、撮るものも撮ったし、そろそろお開きにするかな。俺は満足感を噛みしめつつデジカメを学習机に置いた。

 と、


「あのっ、裕也さんっ!」愛理が飛び跳ねるような口調で言う。「わたしも優しくほほんだ裕也さんの写真が欲しいですっ!」


「えっ」俺は当惑して表情を失った。「そう言われても意図的にできるもんでもないし。仕事用の愛想笑いならいつでもできるけど」


 俺は笑みの形に表情筋を動かした。

 愛理は顔をしかめた。


「それはいりません。都合がいいときだけ親身になる拝金銀行員そのものという感じで、どちらかと言わなくても嫌いです。全然欲しくないです」


「泣いていいか?」


「駄目です。何とかして笑ってください」


 えぇ……。

 無理だろう。俺は役者ではない。自由自在に笑えるわけがない。

 しかし愛理は、ベッドの縁に膝を揃えて座り、期待の眼差しを送ってきている。

 俺は思考を巡らし──


「あ、そうだ」ひらめいた。「じゃああれだ、変顔してみてくれ」


「え゛っ」愛理の喉から、聞いたことのない濁った声がまろび出てきた。


「変顔なら、愛理のイメージとかけ離れすぎてて、見たら輝かんばかりに笑うと思う」


「ほ、本当ですか?」


「ああ」俺は力強くうなずいた。「そうだな、さっきのM字開脚をしたままやってみてくれたら、確実に笑うだろうな」


「……」愛理はたっぷりふた呼吸分、逡巡したが、「……わかりました。わたし、やります!」


 気合いと共に高らかに宣言した。

 俺はほくそ笑んだ。







 ベッドの上、愛理は傍らにデジカメを置いてM字開脚──今度は、すぐに両手が使えるように壁にもたれて──になると、


「いきます!」


 覚悟を決めて、それをした。

 白目、舌出し、顔の横のピースサイン──


「──って、アへ顔ダブルピースじゃねぇかっ!!」


 という俺のツッコミと、部屋のドアが開く音が重なった。

 俺と愛理の視線が瞬時にそちらに向かう。


「……あんたたち何やってるのよ」


 そこには困惑顔の母さんがいた。なぜか黒々とした乗馬鞭──先端のスパンキング部分が逆三角形の、細長い棒状の鞭。某界隈では中級者以上推奨──を持っている。


「お、お義母さんっ?! どうしてここにっ?! 外出していたのではないのですかっ?!」


 愛理が悲鳴めいて尋ねた。

 たしかに、玄関が開けられたり一階を人が移動したりする気配は感じなかった。


「外出なんてしてないわ。頭が痛くて寝室で休んでたのよ」


 母さんが言うことには、

 ふと目を覚ましてみると、自分以外は全員が外出していて誰もいないはずの息子の部屋から人の気配。自分が昼寝している間にこそ泥が入ったのか、と思った母さんは、寝室に常備している乗馬鞭で武装して俺の部屋に突撃した。

 と、そういうことらしい。

 ……一つおかしなところがある。


「『寝室に常備している乗馬鞭』とは?」


 俺は尋ねた。愛理も興味ありげに口をつぐんでいる。

 母さんは、慣れた手つきで乗馬鞭を手のひらにぺちぺちさせながら一言。


「趣味よ」


 母さんは女王様だった……? 似合いすぎだろ。

 と同時に納得もしていた。

 なぜバツイチコブ付き借金あり低所得アラフォー女が玉の輿に乗れたか、その謎が解けた。特殊性癖の合致、それが答えだったのだ。

 母さんは返す刀に、


「そんなことより、あなたたちのことよ。その水着は、さっきのポーズは何なの? どんなプレイしてたの?」


 真顔ながら女王陛下も興味津々のご様子。

 今度は愛理が、なぜか胸を張りつつ、答えた。


「『個人撮影に潜む甘美なる闇 ~変態カメラマンの毒牙~』がコンセプト兼タイトルのプレイです!」


 三文ポルノ小説かよ……。

 母さんは俺を見ると、なるほどね、とうなずいた。


「よく似合ってるわ」


 どういう意味だ? 反抗期にセルフタイムリープするぞ?

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