G05「電柱が四角い」R02

魔法や奇跡を見た翌日にも、普通に授業があるという事実はなかなか厳しいものがある。


昨日までは部活紹介や新入生オリエンテーションだったけど、今日から普通の授業が始まった。

午前は数学や英語で、嬉しさと不安が入り混じった高校生活が本格スタート。

でも、お昼にまよちゃんとご飯を食べてお喋りしたら、だいぶ元気が戻ってきた。

お喋りの中身は、ほぼジオゲのことだけど。女子高生っぽさゼロかもしれない。


ところで。

アニメだったら美人の先生に教室がザワつくのが普通だよね?


昼休みが終わって、次は地理総合。

教室のドアが開いて入ってきたのは、淡いベージュのブラウスにゆるめの編み込みカーディガン、黒のロングタイトスカートの先生。

セミロングの髪をバレッタでひとつにまとめて、耳には控えめなシルバーのピアス。

全体的に落ち着いていて、大人っぽくて。なんか、私たちにはまだ真似できない雰囲気。


「今日から地理を担当します、白峰梨沙子しらみねりさこです。よろしくお願いします。」


透き通る声でそう言って、黒板に名前を書く。

拍手に紛れて、「美人!」「ラッキー!」って小声が聞こえた。

後ろの席から、まよちゃんがノートの切れ端を送ってくる。

『顔が天才♡』

多分、褒め言葉なんだよね? 返事は『すごいキレイだね』にして送り返す。


確かに、白峰先生は目を引く美しさ。

でも、ただ綺麗なだけじゃなくて。

瞳は優しそうで、ちょっと穏やかな空気をまとってる。

瑞希先輩が大人になったら、あんな感じになるのかな?なんて、ふと思った。


「さて皆さん、地理にどんなイメージがありますか?」


黒板に「地理」と大きく書いて、先生がくるっと振り返る。


教室は静まり返って、誰も答えない。


先生は口元をゆるめて、「暗記科目、そう思ってる人、多いんじゃないかしら?」と続ける。

図星なのか、何人かが視線をそらした。私もその一人。


「それは違うの。地理はね、サイエンスよ!」


その瞬間、空気が少し変わった。

先生は黒板に向かい、さらさらと日本列島が浮かび上がる。


「同じ日本でも、北海道と沖縄ではかなり気候が違うわよね?」


「この違いの半分は緯度の差、つまり太陽から受け取るエネルギー量の違いで説明できるの。」


「気候が違えば育つ植物、つまり植生が異なるわ。沖縄ではサトウキビやパイナップルが育つけれど、北海道に生えてるのはイメージできないでしょ?」


先生は輪切りのパイナップルの絵を描く。めちゃめちゃ上手い!


「沖縄には南国ならではの食材が多いけど、災害も多いわよね。何だか分かる人?」


後ろからガタッと椅子が動く音。まよちゃんだ。


「台風っす!」


「はい正解! えっと、あなたが瀬戸さんね?」


先生は手元の席次表に一度目を落としてから言った。


「あなた『が』」?

今の言い方、ちょっと引っかかる。けど、その後の説明に意識が戻っていった。


「台風が多いから、沖縄の伝統的な家は塀で風を防ぐの。その高さに合わせて屋根も低くなっているのよ。」


説明しながら、黒板に家の絵を描く。


門を入ると正面に壁があって、低い屋根が木の柱で支えられている、風通しが良さそうな家。

先生は屋根の上に、神社のこま犬みたいなのまで描いてる。

シーサーだったかな?


まよちゃんが小声で「この先生、すごくないっすか?」と話しかけてくる。


「絵が分かりやすいよね」私も同じく小声で返す。


「気候が違えば服も違うし、生地も変わるわ。沖縄で毛皮のコートなんて無理でしょ?」


クマの着ぐるみを着た女の子が汗をかく絵に、教室が笑いに包まれた。


「地球上の気候や地形を考えるには、地学はもちろん、物理や化学の知識も必要になるわ。大気や水の循環、火山や地震、全部、科学なのよ。」


「地理は社会科だけど、同時に地球を理解する理系の学問でもあるのよ。」


先生が地理に情熱を持っていることがひしひしと伝わってくる。


気づけば、クラスのみんなも真剣に耳を傾けていた。


私の胸も、じわっと高鳴る。


ジオゲで見た世界中の風景。

そして、超人的なプレイの映像が一気によみがえってくる。

地理は地球を理解する学問。

確かに、そうかも。


「それに、現実の世界をフィールドワークで確かめることだってできる。だから私は、地理はロマンと科学の融合だと思っているの。」


ロマンと科学の融合。

その言葉が、胸にすとんと落ちた。


「さて、そろそろ本題に入りましょうか。」


先生はそう言って、自分のノートパソコンを開いた。

プロジェクターのスイッチを入れるけど、いつまで待ってもスクリーンには何も映らない。

先生はしばらく機械とにらめっこしていたけど、やがて額に手を当てて、ちょっと照れたように笑った。


「……ごめんなさい、機械はちょっと苦手なの。」


肩をすくめてプロジェクターをあきらめると、もう一度チョークを手に取る。

そして、大まかな世界地図と、その上に気候帯の区分をすらすらと描き始めた。


後ろからまよちゃんの小さな声。


「これ、地学準備室にあったやつっすよね。」


「だよね。先生はサラッと描けるんだね。」


私も小声で同意する。


「さて、と。まず、皆さんにはこの『ケッペンの気候区分』を"理解"してもらいます。」


あ、愛乃先輩がやってた"Air Quote"のジェスチャーをしてる!


「さっき言ったとおり、気候の半分は緯度で説明できるけど、残りは大気や水の流れによるの。どちらも、地球表面では水平方向だけじゃなく垂直方向にも循環してるわ。その循環がこの気候区分に表れるのよ。」


先生は黒板に図を描き込みながら話を続ける。


「気候が分かれば農業が分かる。農業があれば文明が生まれ、歴史が動き、政治が生まれる。ね? 地理は社会科の基礎であり、同時に科学でもあるのよ。」


先生の言葉が胸に熱く響く。

すごい! こんなふうに地理を説明する人、初めて見た!

でも私は、この先生がただの「すごい美人」では終わらないことを、すぐに知ることになる。

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