第13話 生きる理由

僕は無事に街を抜け森に足を踏み入れていた。

かなり急いだからか息が上がり、足元がもたつく。

奥へ奥へと進み、背の高い草が生い茂っている辺りで、兵士をドサっと下ろした。

首をかなり深く切ったため、兵士は即死だった。

油断していてくれて助かった。

少しでも長引いていれば僕とユナは捕まっている頃だ。

血に塗れた手を空へと伸ばす。

指の隙間から赤く染まった日差しが零れ落ちる。

罪悪感はなかった。

きっと僕の生きる世界で何かを守る為には、誰かの大切なものを奪わなければならない。

奪う勇気がないから守れない。

僕が大切にしていた全てを奪われたのは僕のせいで間違いなかった。

そんな醜い世界に僕は彼女を引きずり込んでしまった気がする。

彼女の生きる世界まで汚れてしまったらもう...

木に背を預け少し目を閉じた。

コポ...コポ. .°○

あの日のように、暗い海の底に揺られている。ずっと焦がれていた眩しい水面が遠ざかっていく。

真っ暗で冷たい。縋る当てもない。

こんな世界なら必要ない...。

深淵を漂っている槍の先に父の背中が見えた。

"父さんはこの世界が好きだった?"

口から漏れるのは小さな気泡で、その答えが返ってくることはない。

「ソルト!ソルトーッ!」

僕の名を呼ぶユナの声が聞こえた気がした。

ハッと目を開けて耳を澄ませる。

確かにユナの声が聞こえる。

「ユナ!ユナ!!」

僕は我を忘れたように声を振り絞った。

遠くの人影は、次第に僕の大切な人に変わっていく。

彼女も僕を見つけるやいなや走り出した。

広げた両腕にスッポリと収まるユナ。

ユナは僕の中で、息を切らしながらボロボロと泣き崩れた。

「よかった間に合った...もう二度と会えないかと思ったよぉ...。」

「巻き込んでごめんね。

だけど、ユナだけは必ず守るから。」

そう、何と引き換えてでも。

しばらく泣き続けていたユナが、弱々しい声と共に顔を上げた。

「この人、どうしよう...?」

「僕が連れていくよ。舟のところまで歩ける?」

ユナは緑色の瞳を揺らして、力強くコクコクと頷いた。

僕らは死体を連れて森の奥へと進んで行く。

少しすると、木々の隙間から青い海が見えてきた。

小さな浜には、舟が一隻だけ繋がれている。

もはや罠にすら見えてくる...。

僕は兵士を抱えゆっくり舟に近づた。

兵士を舟に座らせようとしてみるが、既に全身の筋肉が硬直しており上手くいかない。

なら、木と麻紐で固定してみるか。

僕はユナに「木を集めてくる。」と声を掛けた。

「何か私にも出来ることないかな?」

と首を傾げるユナ。

んー...そうだ!

「その籠いっぱいに茸を採ってきてよ。」

ユナは首を傾げたものの快く頷いてくれた。

無心で作業をしていて、気が付けば日が傾き始めていた。

舟に座らせた死体を固定し終えた頃、籠に溢れんばかりの茸を抱えたユナが戻ってきた。

ユナは僕の元に来ると籠を置き、砂浜に膝を預けて兵士に手を合わせる。

身動きもせずに、長く長く手を合わせていた。

僕も見様見真似で手を合わせる。

心の中で「すみません。」そう何度も唱えた。

ユナが静かな波を背に立ち上がった。

「ソルト、少し話そう?」

そう言ったユナの髪の毛は夕日に染まっていた。頬と目も赤みを帯びている。

僕らは舟から少し離れた砂浜に、並んで腰掛けた。

潮風が時の流れを教えてくれる。

きっとこのまま、さよならまで止まることなく過ぎていくのだろう。

「ねえソルト、小指を出して。」

僕の伸ばした小指をユナの小指が絡めとる。

「目を閉じて。」

僕の体は彼女の言葉に素直に従う。

閉じた瞼越しで夕日を見ているのだろうか。

真っ赤な世界の中、小指が熱を帯びてくる。

「この国に伝わる指遊びでね。

"親密な人と小指を絡めて目を閉じる。その間、嘘をついた人は盗賊に小指が盗まれる"んだって。よくお母さんとやったなぁ...。」

ふふ。耳に入るユナの声で、懐かしそうに笑う君の姿が瞼の裏に浮かんだ。

僕の中のユナが口を開く。

「ソルトは、この島に来る前に何があったの?誰を...殺したの?」

いつか聞かれるだろうと覚悟はしていた。

今日で最後なんだ。今更失うものはない。

だからか、頭より先に口が動いていた。

「ユナが思ってる以上にたくさんだよ。

一年以上過ごした村を焼き尽くした。その日、友達も父さんもみんな死んだ。僕に帰る場所はない。」

ユナは今どんな顔をしているだろうか。

嫌われてもいい。恐れられてもいい。

ユナにならあの目を向けられたって受け入れられる。

もう十分だよ。

「ありがとう!話したくないこと、思い出したくないこと、ちゃんと話してくれてありがとう!」

想定外の返事に呆気に取られる。

「私はその場にいないから分からないけど、ソルトが何も無しにそんなことするなんて思えない。誰がなんと言おうと私は目の前にいるソルトを信じてる!それにさっきは私のために。でしょ?」

ユナの純粋さが僕の胸を強く締め付ける。

僕は話さなきゃいけないことをまだ話せていないのに。

「ユナ、実は「私、今でも運命だと思っているよ。あなたが生きていたことも、私があの場所で見つけたことも。これで最後なのもきっと運命かな。」

僕は告げることが出来なかった言葉を飲み込んだ。

ユナの小指から微かに振動を感じる。

運命か...。

「僕は運命を信じていないよ。」

「どうして?」

「そういう運命だった、で終わらせたくないんだ。父さんが死んだことは運命なんかじゃないし、例え全てが運命だとしても僕は抗っていたい。」

ざぶん、ざぶん、打ち寄せる波の音を掻き分けてユナの言葉を待つ。

「ソルトは凄いね。私は抗えない。実はさ、

私王妃になるんだよ...?」

僕は思わぬ単語に唾を飲んだ。

「ソルトに出会う少し前...。王の生誕祭でたまたま護衛中のセナに会ってね。王様に挨拶をさせて頂く機会があったの。それ以降、お会いすることもないまま18歳になる日王妃に迎えると命を受けた...。」

「ユナ?...泣いているの?」

ユナの小指は小刻みに震えていた。

「うん。これ喜ばしい報告じゃないんだよ?

だって私ね...ソルトが好き。」

嬉しさと苦しさで胸が張り裂けそうになる。

幸せなはずなのになんでこんなに痛いんだよ...。

別れが辛くなるだけだから最後まで言葉にしない、そう決めていた。

なのに...今伝えないと僕は後悔してしまう気がする。

細くて小さいユナの小指をぎゅっと抱きしめる。

「僕もユナが大好きだよ。運命だって変えられる。今日が最後じゃない運命を選べばいい。」

堰を切ったように次から次へと言葉が溢れ出してくる。

「じゃあ...」

重い口を開いたユナから出たのは、脳天を突くような言葉だった。

「私のために王も殺せるの?」

「え...?」

僅かに緩んだ僕の指からユナの小指が逃げる。

「なんてね。冗談は嘘にはならないよね?」

目を開けると、涙をたっぷりと溜めた瞳のまま嬉しそうに笑う彼女が映った。

「私は運命を受け入れる。私が変えたらきっと周りのみんなが不幸になっちゃうもん。」

嘘だ。ずるいよユナ。

さっきのユナの一言が頭を離れない。

ユナと出会ってから、空っぽだった僕はいつの間にか君で満たされていた。

僕が息をしている理由も、これから生きる理由も全部君に塗り替えられたんだ。

ユナは髪を耳に掛け、冥色に霞む月を仰いだ。

「私、本当は外の世界を見てみたかったの。

自由な世界を。」

「ユナ...僕と一緒にこの島を出よう?」

彼女はその言葉を待ってていたのだろうか、

少しも驚く素振りがない。

でも静かに首を横に振った。

「ソルトを見つけたあの日、確かに望んでいたの。あなたがこの国から私を連れ出してくれるかもって。でもねやっぱり私、お母さんも弟も街のみんなも大好きだから。みんなを置いていくなんて出来ない。」

ふと、アイナさんがユナにかけた言葉が浮かんだ。アイナさんは...それを望んでいたような気がする。

ユナは深く深呼吸をすると僕に告げた。

「私もこの国のために生きていく。大丈夫。

ちゃんとその覚悟は出来たから。」

彼女は僕に告げたんじゃない、自分自身に告げたんだ。

僕はユナを強く抱き締めた。

ねえ、もっと自分に優しくなってよ。

じゃないと、僕は安心して離れられない。

小さな体を包み込むように抱き締める。

柔らかな髪の毛が顎をくすぐり、甘い香りが鼻腔をくすぐる。

きっと、君と君の大切な人たちの為にこの命は残っている。

僕が王を殺すよ。だけど、これ以上君を巻き込むわけにはいかないからね。

「ユナ、心から愛している。」

「私も。ソルトを愛してる。」

僕の掌はユナの頬に吸い寄せられる。

ずっと焦がれていた厚い唇にそっと口付けをする。

柔らかくてとても熱い。

ユナは、僕の唇を受け入れるように腕を回し背伸びをする。

永遠を願いながら、忘れないように何度も何度もユナの唇を確かめた。

村のほうが騒々しい。

すぐにカンカンカーンと警鐘が鳴り響く。

ゆっくり唇を離すと艶やかな糸が切れる。

頬を染め上げたユナを抱きしめたまま、村のほうに意識を向ける。

辺りは暗くなってきたが、微かに街のほうから灰色の煙が上がっているのが見えた。

時折赤い炎がチラつき、ユナのお母さんの叫び声が聞こえた気がした。

「ユナ、お母さんが!」

僕はユナの肩を掴む。

「これが合図だと思う!」

ユナはその手を振り解き、僕を真っ直ぐ見つめた。

「ソルト、行って!近くに兵士がいたら引き留めておくから!」

僕は一瞬戸惑いつつも、頭に巻かれた首巻を解いた。

髪をなびかせる風が冷たい。

薄手の紫色の首巻をユナに差し出す。

「これ、ありがとう。」

ユナはじっと首巻を見つめては、僕の首に巻き直した。

「もう必要ないかもしれないけど持っていって。ソルトのが似合ってるもん。」

最後に見れた満面の笑顔だった。

ユナが僕に背を向ける。

振り返ることなく森へと歩き出した。

すぐに舟を出さなければいけないと分かってはいたが、その後ろ姿から目を離すことが出来なかった。

残りの生涯で忘れることがないように。



ユナはずんずんと大股で森を歩く。

決して振り返らないと決めていた。

だって彼との最後にこんなグシャグシャな顔見せられないよ...。

茸のいっぱい入ったバスケットを見ては泣きじゃくった。

本当に彼らしい。

いつだって私のことばかり考えてくれた...。

声を抑えようとしても抑えきれない。

霞んだ世界をふらふらと歩く。

もう二度と会えない。

もう二度と戻れない最初で最後の恋。

神様ありがとう。

私は彼からもらった、一生分の甘酸っぱい思い出を抱えて生きていける。

ソルトは、私のこと忘れちゃうくらい幸せに生きてね。

彼を想い歩いている最中、人の声のようなものが耳に入った。

もう振り返っても浜辺は見えないが、そう遠くもない。

私は声のした方へ向かう。

人の声のようなものがハッキリと会話に変わってきた。

すぐ近くにいるはず...!

木々の隙間から見えたのは、灯りを下げた見回りの兵士2人。

私は飛び出すように兵士の元へと駆け寄った。さっきまでずっと泣いていたから、きっと雪兎みたいな目をしてるんだろうな...。

「兵士さん!助けてください!」

暗い森の中で人が飛び出してくるなんて思ってもいなかったのか

「うわあっ!!!」と若い兵士が大きな声をあげて腰を抜かした。

私は心の中で安堵する。

ソルトは耳が良い、きっと伝わった。

「ど、どうしたんだ!」

もう1人の叔父さん兵士が私を見る。

「お前、森で何をしていた?」

叔父さん兵は、私を睨み付け剣の柄に手を掛けた。

私は冷静に沢山の茸が入った籠を見せる。

「お母さんのために沢山採ったんですけど、途中で迷子になってしまって...夜の森はとっても怖かったです...。」

叔父さん兵は怪しむように名前を聞いてきた。

「私はユナ=フィールドです...。」

「ん?セナ=フィールドの姉だな?」

コクリと頷く。

今の私は、夜の森に怯えている真っ赤な目をした可哀想な少女。きっと大丈夫。

叔父さん兵が「お前、街まで送ってやれ。」と若い兵士に指示を出す。

「分かりました。僕に着いてきて。」

と若い兵士が私の肩にポンと手を乗せる。

ソルトのお陰でこっちは大丈夫そうだよ。

だから、ソルトも大丈夫でいて...。

私は2人の兵士に「ありがとうございます!」と勢いよく頭を下げた。

1秒でも長く兵士をこの場に留めていたかった。上官兵は頷くと見回りに戻った。

ソルトは無事に舟を出せただろうか?

もう沖まで辿り着けただろうか?

兵士の話が入ってこないほど頭がいっぱいだった。

若い兵士に送ってもらい、無事に街に着いた。街には煙たい空気が漂っている。

母のことだから家でも燃やしたのかと思ったが、家が何事もなく残っていてホッとした。

家の戸を開けると、驚いた顔の母が駆け寄ってきた。

そして涙を流しながらキツく私を抱きしめた。

「ただいま、お母さん。」

「おかえり。辛かったでしょう。」

母は私を離そうとしない。

私も母の胸の温かさに緊張の糸が解けたのか、全身の力が抜けるようにへたり込んだ。

「お母さん、火事は大丈夫なの?」

「ええちょっと納屋が焼け落ちただけで、あなたとソルト君が無事なら、なんの問題もないわ。ご飯は出来ているから食べましょう。」

ご飯を食べながら、私は今日の出来事を母に話した。

お母さんは自分のことのように聞いてくれた。

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