DTM少女、ままならない。
みんと
第1話 初めての衝動
何にも夢中になれない。
昔からずっとそうだ。
流行りの音楽を聴いても、話題の映画を観ても、SNSで〝感動した〟って絶賛の嵐が吹き荒れている投稿を見ても、私の心はぴくりとも動かない。
まるで、どこか大事な部分の感性が、生まれつき死んでしまっているみたいに。
「ねえ、ゆい。部活とかマジどうする? なんかもう、全部だるくない?」
机の向こう側で、親友の静香が頬杖をつきながら言う。
四月。高校に入学してまだ数週間しか経っていない教室は、新しい人間関係の匂いと、未来への期待みたいなキラキラした空気で満ちていた。
その空気が、私にはどうにも息苦しい。
「わかる。超だるい。帰ってショート動画見てたい」
「だよねー」
「なんかさ、新しいクラスって『将来の夢は?』みたいな話になりがちじゃん。あれが一番キツい」
「ほんとそれ。夢とかないし。別にこのままでいいよね。ゆいとこうして、だらだらしてるのが一番楽だよ」
「うん。私も」
静香がにこりと笑う。私もたぶん、同じような顔で笑い返した。
それでいい。隣にいる静香も同じだから。
お互いに何も期待しない。何も求めない。
このぬるま湯みたいな時間が、私と静香を繋いでいる大切な鎖だ。
ふと、視線を窓際に移す。
そこには、長瀬レイさんがいた。
大きなヘッドホンで耳を塞ぎ、クラスの誰とも関わろうとせず、ただ静かに窓の外を眺めている。
西日が彼女の黒髪を照らして、輪郭だけを金色に縁取っていた。
まるで、私たちとは違う世界に生きているみたいだ。
あの中では、一体どんな音が鳴ってるんだろう。
何を考えているのか全然わからない。
でも、彼女はいつも音楽に没頭している。
そんなに好きになれる曲があるなんて、いいな。
……ほんの少しだけ、羨ましい、なんて思ってることは、静香には内緒だ。
◆
放課後。
人のまばらになった廊下の角を曲がった、その時だった。
「わっ!」
ドン、と鈍い衝撃。考え事をしながら歩いていたらしい誰かと、真正面からぶつかってしまった。
「ご、ごめんなさい!」
慌てて頭を下げると、相手も同じように頭を下げていた。長瀬レイさんだった。
カラン、と乾いた音を立てて、彼女の首から滑り落ちたワイヤレスヘッドホンが床を転がる。
「あ、大丈夫……? 壊れてない?」
「……いや、こっちこそ、前見てなかった」
私は地面に転がったヘッドホンを拾い上げる。
何か、話さなきゃ。
クラスで浮いている彼女との、これが初めてのまともな会話かもしれない。そんな、ただのコミュニケーション欲求からだった。
「長瀬さんって、いっつも音楽聴いてるよね。どんなの聴いてるの? 気になるなあ」
「……別に、たいしたのじゃないから」
「えー、そう言われると余計に! ね、ちょっとだけ!」
長瀬さんがためらう隙に、私はほとんど無意識に、彼女のヘッドホンを自分の右耳に当ててしまっていた。
本当に、ただの、悪気のない好奇心。
そのはずだった。
―――次の瞬間。
「………………!」
なに……これ……。
嘘だ。
世界から音が消えた。
違う。今まで聴こえていた廊下のざわめきも、自分の心臓の音も、全部が取るに足らないノイズだったんだと、今、気づいた。
この音だけが、世界で唯一の『本物』だった。
心臓のど真ん中を、知らないメロディで直接撃ち抜かれた。全身の細胞が歓喜して、この音を聴くために今まで生きてきたんだって、馬鹿みたいに納得してしまった。
「……っ! な、なんで……! か、返せ……!」
呆然と立ち尽くす私から、長瀬さんが顔を真っ赤にしてヘッドホンをひったくる。
その声で、私はやっと現実に戻ってきた。
「……今の、なに……? 誰の、曲……?」
「か、関係ないだろ! もう行くから……!」
長瀬さんはそれだけ言い捨てると、逃げるように走り去ってしまった。
廊下には、私一人だけが取り残される。
耳の奥で、まだあの衝撃的な音が鳴り響いていた。
◆
その日の帰り道は、静香の声がやけに遠くに聞こえた。
「ねえ、聞いてる? さっきから上の空だよ、ゆい」
「あ、ごめん……なんでもない」
静香が少しだけ不機嫌そうな顔をしたのに気づいたけど、うまく言葉を返せなかった。
ごめん、静香。今、私の頭の中には、あの音しかないんだ。
家に帰るなり、私はカバンをベッドに放り投げ、自室のノートPCを起動した。
お願い、見つかって。あの音をもう一度……!
震える指で、検索窓にうろ覚えの歌詞を打ち込む。
――来夏 夏を駆け巡る
僕が君に届くまで
歌え思い込めた歌
夏は始まったばかり
エンターキーを押すと、検索結果の上位に、とある動画サイトへのリンクが表示された。
祈るような気持ちで、それをクリックする。
画面に現れたのは、シンプルな動画だった。
タイトルは、『ライカ』。
投稿者名は、「ゆるやかP」。
再生ボタンを押す。
ヘッドホンから流れ込んできたのは、紛れもなく、あの音だった。
ああ、これだ。間違いない。
『君に届かなかった』と歌うこの曲が、何にも夢中になれなかった私のことを、今、確かに『救ってくれた』。
どうしてだろう。理由なんてわからない。でも、涙が、止まらなかった。
再生数は、まだ数千回。
でも、数少ないコメント欄は、その一つ一つが熱狂的な長文で埋め尽くされていた。
その中に、信じられない一文を見つける。
『ゆるやかPさん、まだ高校生ってマジ……? 日本の宝だろ……』
―――高校生?
同い年……?
こんな、世界を壊して、作り変えるみたいな曲を作ってる人が、私と同じ……?
雷に打たれる、とはこのことだろう。
私にも、できるかもしれない、じゃない。
私『も』、やらなきゃ。
そんな、衝動としか呼べない感情が、体の内側から突き上げてきた。
私は我を忘れて、キーボードを叩いていた。
「DTM 初心者 始め方」
「作曲ソフト 無料」
いくつかの記事を読み漁り、一つのソフトの名前にたどり着く。
公式サイトにアクセスし、体験版のダウンロードボタンをクリックした。
画面の隅で、小さなプログレスバーが少しずつ伸びていく。
それを眺めながら、私は静かに、でも、はっきりと決意していた。
私の『ままならない』毎日は、多分、今日で終わる。
――ううん、終わらせるんだ。
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