第6話 祝いの食卓と、炎のドレスと、最初の招待状

その日の夜。

西新宿の空は、まるで一人の少女の運命を祝福するかのように、昨日までの曇天が嘘のような、満月と無数の星々が輝く、どこまでも澄み切った夜空が広がっていた。

その光の海を見下ろすタワーマンションの一室。佐藤結菜の部屋もまた、PCモニターとスマートフォンから放たれるデジタルの光で、煌々と照らされていた。

だが、その光はもはや、彼女の心を苛む孤独の灯火ではなかった。

それは、祝福の光だった。


「…すごい…」


結菜は、ベッドの上で体育座りをしながら、自らのVTuberアカウントの管理画面を、信じられないという思いで、ただ呆然と見つめていた。

数時間前まで、彼女の半年間の努力の結晶であったはずの数字は、無慈悲なまでに静かだった。

チャンネル登録者数:50人。

X(旧Twitter)のフォロワー数:38人。

それが今、どうだろう。


【配信サイト・チャンネル登録者数:3082人】

【Xアカウント・フォロワー数:3115人】


一日で、3000人を超えた。

彼女の人生において、これほど多くの人々と、一度に繋がったことはなかった。コメント欄をスクロールすれば、日本語だけでなく、自動翻訳された英語や中国語の温かいメッセージが、滝のように流れ続けている。

『SSS級スキル、すごい!』

『コマさん可愛い!』

『剣聖の剣術、カッコよかった!』

『次の配信、楽しみにしてる!』

その一つ一つの言葉が、乾ききっていた彼女の心に、温かい雨のように降り注ぎ、染み込んでいく。


「…ふふっ」


彼女の口元から、自然と笑みがこぼれた。

半年前、VTuberとしてデビューした、あの日のことを思い出す。誰にも見つけてもらえないかもしれないという不安と、それでも自分の好きを世界に届けたいという、ささやかな希望。そのアンバランスな感情の中で、彼女はずっと一人だった。

だが、今は違う。

画面の向こう側に、確かに自分を見てくれている人がいる。

その事実が、彼女の心を、これ以上ないほどの幸福感で満たしていた。


コン、コン。

部屋のドアが、控えめにノックされた。

「結菜?夕食の準備、できたわよ」

母親の、優しい声。

「は、はい!今、行きます!」

結菜は、慌ててベッドから飛び起きると、その高揚感を胸に、リビングへと向かった。



その日の佐藤家の食卓は、いつもとは少しだけ、違っていた。

テーブルの上に並べられているのは、確かにいつものように、母親の美沙子が腕によりをかけた、ダンジョン産の高級食材を使った豪華な料理。だが、その中央には、小さなホールケーキが鎮座し、その上にはチョコレートで『デビュー半年&登録者3000人突破おめでとう!』という、少しだけ拙い、しかしどこまでも愛情のこもった文字が描かれていた。


「…お母さん、これ…」

「ふふっ。お父さんと、相談してね。結菜の、ささやかなお祝いよ」

美沙子は、そう言って優しく微笑んだ。

その隣で、父親の健一が、少しだけ照れくさそうに、しかしどこまでも誇らしげな顔で、頷いていた。

「ああ。よく、頑張ったな。結菜」


その、あまりにもストレートな、そしてどこまでも温かい祝福の言葉。

それに、結菜の瞳から、大粒の涙が、堰を切ったように溢れ出した。

「…う…、うう…」

彼女は、しゃくり上げながら、何度も何度も頭を下げた。

「お父さん、お母さん…ありがとう…!」

「いいのよ、いいの。さあ、座って。今日は、あなたの好きな、A級ワイバーンのステーキよ」

「うん…!」


その日の夕食は、結菜にとって、人生で最も美味しい食事となった。

両親は、彼女の今日の冒険譚を、まるで自分のことのように、目を輝かせながら聞いてくれた。SSS級のユニークスキル、喋るマスコットのコマさん、そして一瞬でゴブリンを蹂躙したという、剣聖の剣術。

その全てを、二人のA級探索者は、驚きと、そしてそれ以上に大きな喜びと共に、受け止めてくれた。


食事が終わり、デザートのケーキを切り分ける頃。

健一が、ふと、その表情を真剣なものへと戻した。

「それで、結菜。お前が、次にやろうとしているビルド…ライチェスファイアーだったか」

「あ、はい」

「ふむ…。面白いビルドだ。だが、あれは装備への依存度が極めて高い。特に、火耐性と、HP自動回復。その二つを確保できなければ、ただの自爆行為になる。お前の、今の装備では、まだ無理だ」

その、あまりにも的確な、プロとしての分析。

それに、結菜は少しだけ不安そうな顔で、俯いた。

だが、健一は、その言葉を、最高の笑顔で続けた。


「――だから、やるよ」

彼は、そう言って、おもむろに自らのインベントリを開いた。

そして、その中から、一つの、禍々しいオーラを放つ、深紅の鎧を取り出した。

「これは、俺が昔、B級だった頃に使っていたものだ。お前には、まだ少し早いかもしれんが…。今の、お前になら、託せるだろう」


彼が、テーブルの上に置いた、その鎧。

その詳細な情報が、結菜のARコンタクトレンズに、自動的に表示された。

その、あまりにも伝説的な名前に、彼女は息を呑んだ。


「名前: 炎の衣(ほのおのころも)


種別: 胴防具


レアリティ:ユニーク


【ユニーク特性】


火耐性 +75%


敵への発火効果時間 +75%


近接攻撃者に100の火ダメージを反射する


受ける物理ダメージの40%を火ダメージとして受ける


【フレーバーテキスト】


賢者は炎を恐れぬ。第二の皮膚として、その身に纏うのみ。」


「…お父さん、これ…!」

「ああ。お前が、その道を往くと決めたのなら、俺たちも、全力で応援する。それが、家族だからな」

健一は、そう言って、不器用な、しかしどこまでも優しい手つきで、娘の頭を撫でた。

美沙子もまた、その隣で、深く頷いていた。

「ええ。お母さんの、昔使っていたヒーラー用のアクセサリーも、いくつか譲ってあげるわ。HP自動回復が付いたものが、あったはずよ」


その、あまりにも大きな、そしてどこまでも温かい、両親からの贈り物。

それに、結菜はもはや、言葉もなかった。

ただ、その溢れ出す涙を、拭うことしかできなかった。



夕食の後。

結菜は、自室に戻ると、その興奮冷めやらぬまま、父親から譲り受けた、その伝説の鎧を、ベッドの上に広げた。

それは、ただの防具ではなかった。

父が、若き日に流したであろう、血と汗と、そして誇りの匂いが、確かに染み付いていた。

彼女は、その重みを、確かめるように、その鎧を、その身にまとった。

装備条件レベルは、まだ足りていない。

だが、彼女には関係なかった。

彼女の魂が、その鎧を、自らのものとして受け入れた、その瞬間だった。

ありえない奇跡が、起こった。


深紅の鎧が、まばゆい炎の光を放ち始めたのだ。

だが、その炎は熱くない。

ただ、温かいだけ。

そして、その炎は、彼女の体のラインに合わせて、その形を、ゆっくりと、しかし確実に、変えていった。

無骨だったはずの鋼鉄の鎧が、まるで生き物のように、滑らかな曲線を描き、そして優雅なドレープを持つ、美しいドレスへと、その姿を変貌させていったのだ。

炎のドレス。

その裾は、まるで本物の炎のように揺らめき、その胸元には、一輪の、深紅の薔薇の紋様が、浮かび上がっていた。

それは、もはやただの鎧ではない。

一人の、炎の魔女が、その誕生を告げるための、戴冠式のドレスだった。


「…すごい…」


結菜は、姿見に映る、自らの、そのあまりにも変貌した姿に、ただ呆然と立ち尽くしていた。

早く、この姿を、みんなに見せたい。

早く、お披露目するのが、楽しみになってきた。

その、あまりにもウキウキとした気分の、まさにその時だった。


ピロリン♪


彼女のPCから、一通のメールを受信したことを告げる、軽快な通知音が鳴った。

(…なんだろう?また、迷惑メールかな)

彼女は、そう思いながら、メールソフトを開いた。

そして、その件名を見た瞬間。

彼女の、その大きな瞳が、これ以上ないほど、見開かれた。


【件名:【カクヨムライブ】コラボ配信のご提案につきまして】

【差出人:カクヨムライブ事業部・タレントマネジメント課】


(…え?カクヨムライブ…?)

彼女は、震える指で、そのメールを開いた。

そこには、丁寧な、そしてどこまでもビジネスライクな文面で、こう綴られていた。

『拝啓、神楽坂しずく様。この度は、貴殿の目覚ましいご活躍、心よりお慶び申し上げます。さて、早速本題で恐縮ですが、当事務所所属タレント、シスター・リリィとの、コラボレーション配信をご提案させて頂きたく、ご連絡いたしました』


シスター・リリィ。

その名前に、結菜の心臓が、ドクンと大きく音を立てた。

シスター・クレアの後輩にして、そのぐーたらな配信スタイルと、それを裏切る神がかった豪運で、今、最も注目を集めている、あの天才VTuber。

その彼女から、自分に、コラボの誘い?


「――やったー!」


彼女は、その場で飛び上がって、歓喜の声を上げた。

信じられない。

夢みたいだ。

彼女は、その興奮冷めやらぬまま、返信ボタンをタップした。そして、その震える指で、一言だけ、打ち込んだ。

『はい!ぜひ、よろしくお願いします!』

送信。


数分後、すぐに返信が来た。

コラボの内容は、次のダンジョン配信にて、一緒にゴブリンを倒しましょう、とのことだった。

その、あまりにも穏やかで、そしてどこまでも平和的な提案。

結菜は、その画面を、何度も何度も見返した。

そして、その胸に込み上げてくる、ワクワク、ウキウキとした感情を、もう抑えることはできなかった。

彼女の、本当の物語が、今、始まろうとしていた。

その、あまりにも壮大で、そしてどこまでも予測不能な、神々の悪戯のような物語が。

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