第2話 旅立ち

 この二週間は怒涛のように過ぎた。

 礼儀作法のおさらい、ドレスの採寸。ダンスの練習に歴史のおさらいや貴族名鑑の暗記など。

 ラウルの家庭教師のついでに勉強は教えてもらっていたけれど、中々大変だった。


 気付けば出発の日。まだ暗いうちに起きて準備をする。

 準備といっても簡素なワンピースにトランクが一つだけ。私の荷物なんてそんなにないのだけれど、辺境伯領に着く前にこれに着替えなさいと渡された高価そうなワンピースと帽子と靴のおかげでトランクが殆ど埋まってしまった。

 結婚式のドレスも大急ぎで作られて馬車に乗せられている。……もう関わりたくないのだろう。きっと結婚式にも来ないのだろうな。


 しんと静まり返った廊下を歩いて玄関ホールへ向かう。

 そんな中、少し高い声が響いた。


「あら、お義姉様。もう出発されますの?」


 リリシアーナだ。


「ええ」


「こんなに暗い時間に大変ですこと。まぁ、辺境の地は遠いですから仕方ないですわね。せいぜい、お気をつけあそばせ?」


「ありがとう……ございます」


「うふふ。少し気が早いですが、ご結婚をお祝いいたしますわ」


「……ありがとうございます……」


 一礼して玄関ホールを目指す。後ろから、満足気な笑い声が聞こえた気がした。


 外に出ると質素な馬車が待っていた。

 御者は知らない男の人だけど、私が知らないだけなのかしら。無言で持っていたトランクを奪われ、私ごと馬車に押し込まれる。

 あっと思った時には馬車は出発していた。


 一時間ほど進むと夜が明けてくる。朝焼けに光る雲に一面に広がる草原。遠くに見える森が美しい。

 ……ラウルに挨拶出来なかったな。ペンダントを貰った日から会えなかった。意図的に会えないようにされてたのかもしれないけれど……。

 そうだ、ペンダント。肩から掛けていた小さなバッグの中に忍ばせていたペンダントを付ける。


 瞬間、御者の男と目が合った気がした。

 え?嘘。なんだか怖い。

 胸が、ドキドキする。


 キョロキョロと辺りを見回すと、遠くに見えていたはずの森にもう差し掛かっている。

 とにかく、馬車を降りなきゃ。

 でも、動いている馬車からどうやって降りればいいのだろう。……とりあえず、扉を開ける?いや、でも、御者の男に見つかったら……。

 喉がカラカラに渇いてくる。降りなきゃ。怖い……!

 そう思った時、馬車が更にスピードを上げる。

 森の中に入り、木立の中のガタガタ道を駆け抜けていく。本当にこんな道を行くの?!どんどん森の奥に入っていく。どうしよう。

 息が浅くなり、物事を正常に考えられなくなっていく。


 馬車はガタガタの道をしばらく進むと徐々にゆっくりになり、止まった。


 胸のドキドキが更に大きくなる。

 ガチャッと扉が開くと、そこには満面の笑みの御者がいた。


「お嬢様、そろそろ休憩にしやしょう」


 杞憂だったのかしら……。でも何かがおかしい気がする。ネックレスの魔石をギュッと握って気持ちを落ち着ける。

 馬車の外に出るといつの間にか敷かれていた毛皮のシートがある。


「どうぞ、座って休憩して下せぇ。俺は馬に水をやりますんで」


 御者の男は馬を馬車から外して近くの小川へ連れて行く。

 その姿をぼんやりと見送っているとふいに声がした。


「ひょぇー、こりゃ上玉だな?」

「おいおい、やり過ぎんなよ?壊したら報酬が貰えねえぞ」

「え、いいだろ?俺かなり好みだわ」

「ダメだって。女も金も、両方楽しむのが一流だぜ?」

「何が一流だよ」

「ガハハハハハ」


 大声で喋りながらガシャガシャと装備を鳴らして出てきたのは三人組の冒険者らしき男たち。


 思わず後ずさる。


 男たちはニヤニヤしながら近付いて来る。


「いや……来ないで!!」


「へっへっへ。叫んでも無駄だぜ?ここは滅多に人の来ない森の奥。誰も来ないぜー?」

「ひょえー!怖がってる顔もいいねぇ!」


「いや!やめて!来ないで!!!」


 男の一人が手を伸ばして触れようとして来たその時、パァン!という大きな音がして男の手が弾かれた。


「へっ?!」


「いってぇ!!!何だてめぇ!何しやがった!」


「姉さんから離れろ!!!」


「誰だてめぇ!!!」


「ラウル!!!どうして?!」


「今日が出発だなんて知らされて無かったんだ。変に思って追いかけて来た!それより……!」


 ラウルが私の前に躍り出る。

 男たちが剣を抜いて構える。それを見たラウルが言う。


「お前ら、剣を抜いたな?それがどう言う意味か、わかってるんだろうな」


ラウルのこんな冷たい声、初めて聞いた。

鼓動が跳ね上がる。


「はぁぁん?!お坊っちゃんこそわかってんのか?今からお前らに痛い目見てもらおうって事だぞ?はん?言葉、理解できるか?はぁん?!」


「分かった。お前ら、姉さんを襲おうとした代償は大きいぞ?覚悟しろ」


 男たちが一斉にラウルに斬りかかる。


「ラウル!!!」


 キンキンキンッと金属を叩く音が響く。


「何だ?こいつ!攻撃が通らねぇ!」


「ふんっ!」


 素手で剣の攻撃を防いでいくラウル。遂に男の一人の剣を奪い取り、その勢いで男の首を落とした。


「ズーク!!クソッやりやがったな!」


「先に剣を抜いたのはそちらだ」


「やっちまえ!」


「姉さんを襲った罪を、地獄で償え」


 見事な剣捌きであっという間に男たちの首を落としたラウル。返り血一滴も浴びていない。

 剣を投げ捨て駆け寄ってくる。


「姉さん!大丈夫?どこも怪我してない?」


「大丈夫よ。安心して。それよりありがとう。来てくれて、本当に嬉しかった」


 あれ、安心したのか足に力が入らない。ふらっと倒れそうになった時、フワリと持ち上げれられた。


「ラウル?!」


「怖かったでしょ?馬車まで連れて行ってあげる」


 ラウルが私をお姫様の様に抱き上げ、馬車まで運んでくれる。


「そうだ。御者は?」


「馬に水を飲ませに行ってくるって言ってあっちの方へ行ったけれど……」


 ラウルは私を馬車の椅子に座らせ、優しく言い聞かせてくる。


「ちょっと見てくる。馬車の周りに結界を張って、認識阻害もかけて行くから大丈夫だと思うけど。絶対に扉を開けないでね」


 私は黙って頷く。


 馬車の扉をピッタリと閉めてラウルは様子を伺いに行った。


 ……怖かった。今になって恐怖が押し寄せて来る。震える手でハンカチを引っ張り出して勝手に溢れて来る涙を押さえる。

 ラウルが来てくれて、本当に、良かった。

 いつの間にあんなに強くなったのだろう。努力、したんだろうな……。


 鳴り止まない鼓動と止まらない震えを止めようと、ラウルのくれたネックレスの石を握りしめて深呼吸する。



 ————


 ……御者はどこに行った?


 ラウルは馬の足跡を注意深く観察しながら小川へ寄る。馬が水を飲んだ形跡はある。

 深く深呼吸をして意識を集中させる。魔力探知だ。

 白い光。これは姉さん。

 いつ見ても姉さんの魔力は綺麗だ。こんなに綺麗な魔力なのに魔法が使えないなんて、きっと何かの間違いなはずなのに……。

 いや、今はそれより御者だ。

 生きとし生けるもの全てに魔力は宿っている。動く魔力に意識を向ける。近くに魔物は居ない。

 ここに来る時に魔物避けの薬が撒かれた形跡が見えたから、姉さんを襲ったのは計画的な犯行だったんだろう。

 一体誰が……。必ず見つけ出して追い詰めてやる……。


 近くに人間の様な魔力はなかった。

 馬も居ないから、俺が戦闘してるいる時に逃げたのかもしれないな。


 早く姉さんの側に戻らないと。怖がってるだろうし。

 ……姉さん、軽かったな。あんな華奢な身体で、本当に野蛮人なんかに嫁いで大丈夫だろうか……。


 ふるふると頭を振って雑念を振り飛ばし、姉さんの元に戻る。

 良かった。無事だ。

 魔力では確認していたけれど実際に見ると安心する。


 馬車のドアを優しくノックして、できるだけ優しい声で呼びかける。


「姉さん、姉さん、大丈夫?俺だよ。ラウルが戻って来たよ」




————


 馬車をの扉がノックされ、優しい声が聞こえた。

 あぁ、ラウルだ!


 さっき止まったばかりの涙が、今度は安心感からまた出そうになる。

 馬車の窓からそっと外を覗き、ラウルがいることを確認してからゆっくりドアを開ける。


「姉さん!大丈夫だった?どうしたの、泣いてたの?!目が真っ赤だ……」


「ううん。大丈夫よ。心配しないで」


 頭を小さく振って答える。本当にこの子は心配性なんだから……。


「それで、御者は見つかったの?」


 途端にラウルの表情が険しくなる。


「いや、見つからなかった。多分、馬に乗って逃げたんだと思う」


「……っ!そんな……」


「うん。あの三人組と御者がグルだった可能性が高いね」


「……そう。でも、一体なぜ……」


「さぁ。それは今はまだわからないけど……。姉さんを泣かせた奴は絶対にタダじゃおかないから」


「ふふ。あまりやりすぎちゃダメよ」


「分かってるよ。それよりここを動こう。幸い俺の乗って来た馬がある」


 ラウルはそう言うと「ピィィィィッ!」と指笛を鳴らして馬を呼ぶ。

 そして、「とりあえず御者は俺がやるから」と、手際よく出発してくれた。





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