泡沫の花嫁は、鬼の王に愛される

甘塩ます☆

第1話

 人魚の島、通称「人魚島」。

 美しい女性が多いと有名なこの島で、月詠(つくよ)は異質な存在だった。

 赤が斑に混ざった黒髪、金の瞳、そして首元より下の肌には黒と赤の模様が浮かんでいる。

 父である長も、その妾であった母も人魚の一族であるが、月詠の容姿は二人とは似つかなかった。

 そして、彼女を忌み嫌う本妻と娘にとっては、月詠を嘲る格好の理由であり、父が目を背ける理由でもあった。


 母を亡くして以来、月詠の居場所は本家の薄暗い厨房と冷たい床の上だった。

 残飯をかきこみ、わずかな睡眠時間で馬車馬のように働く日々。

 月詠の心は、身体と同じく擦り切れ、もう何も感じなくなっていた。




 「人魚と鬼のお見合い」の日、島は活気に満ちていた。

 かつて鬼島の男と人魚島の女が結婚するのは、鬼島に人魚島を守ってもらう変わりの貢物であった。

 今では鬼の島は交易が盛んで、豊かな暮らしを送る者たちが多いため、鬼に嫁ぐことは若い人魚の娘たちにとって一種のステータスだった。

 本妻の娘、茉莉花(まりか)もまた、島一番の美貌を誇る自分こそが、鬼の島の次期長となる冬鬼(とうき)に選ばれると信じて疑わない。


「きっと冬鬼様は私に一目惚れなさるわ。だって、私、こんなに綺麗なんだもん。ね? そう思わない? 月詠」

 

 ウキウキと浮かれた様子の茉莉花に着物を着付けながら、月詠は感情なく答える。


「はい、そうですね、お嬢様」


 本当に何の感情も湧かなかった。

 茉莉花が嫁いでくれたら、仕事が減って良いかもしれない。

 でも、そうなれば奥様からの当たりが余計にきつくなるだけだろうか……。

 そんな考えが、頭の端をよぎるだけだった。


「でも、あなたみたいな醜い親族がいると思われると困るわ。本当に月詠は醜いもの。離れに隠れて、絶対に殿方に見つからないようにしなきゃね。いいこと? あなたみたいな醜い女が、鬼族の嫁に選ばれるわけないんだから。変な期待を持たないほうがいいわよ」


 茉莉花はクスクスと笑いながら、月詠の肌に浮かぶ痣を指差した。


「化け物」


 月詠は自分の容姿などどうでもよかったし、期待もしていなかった。

 長年の過密労働と本妻からの虐め、島民からの冷たい視線が、彼女からすべての感情を奪い去っていたからだ。


「わかりました、お嬢様。支度はこれでよろしいでしょうか?」


「良いわ。どのみち、どんな格好でも私が一番可愛いんだし。アンタは離れに引きこもってなさい」


「ありがとうございます」


 月詠は深々と頭を下げてその場を離れる。

 これで今日は珍しくゆっくり休めそうだ。

 そう思うと、ほんの少しだけ心が軽くなった。

 何をしようか。

 本を読もうか。

 字は読めないけれど、絵本なら楽しめる。




 定刻、鬼島からの鬼たちが船から降りて人魚島に入島する。

 若い鬼は五人、長身の美形揃いだ。

 人魚島の男は平均身長が155センチ、女性は140センチと小柄である。

 一方、鬼島の男は平均180センチ、女性は175センチと大柄だ。

 人魚島の島民から見れば、鬼島民はまるで巨人のようだった。

 中でも人目を引くのは、やはり冬鬼である。

 健康的な褐色の肌に、青い髪、金の角に赤い瞳。

 体格も良く、筋肉質で、身長は200センチは有ろうかと言う屈強な男だ。




 お見合い会場は人魚島の長の屋敷で執り行う。

 大広間には、刺し身や鯉料理、海藻など、海の幸から川の幸、山の幸とふんだんに並べられていた。

 鬼の男たちの前には、島一番の美女たちが十人並べられている。

 自己紹介が終わり、長は「好きに飲み食いして、島でも散策しながら会話を楽しんでくだされ」と陽気に言うと、席を外した。


 それはまるで遊郭のようだった。

 娘たちは男に酒を注ぎ、舞を踊って見せる。


「いやぁ、やはり人魚島の娘は小柄で可愛らしく美人揃いだ。それに見た目に反して胸が大きい」


 一人の鬼が喜びの声をあげる。

 しかし、鬼島の次期長、冬鬼は浮かない表情だ。

 まるで子供のお遊戯会を見せられているようだった。

 この茶会は冬鬼にとって苦痛でしかなかった。

 冬鬼はどちらかといえば、同じ鬼島の長身でグラマーな女性が好みだった。


「冬鬼様、私、長の娘の茉莉花ですわ。先ほど自己紹介しましたよね。一緒に島の散策でもしませんか? 綺麗なところがたくさんありますわ」


 そう言って、下品に胸を腕に押しつけてくる茉莉花に、冬鬼は苛立ちを感じた。

 しかし、遊郭ごっこを見せられるよりは良いかと、外に出ることにする。


 人魚島は狭く、二時間も歩けば一周できてしまう。

 危険な動物や妖怪もいない、穏やかな島だった。

 茉莉花と一緒に散歩するふりをして外に出た冬鬼は、隙を見て隠れると、一人で散策を始めた。


 少し人里を離れ、散歩していた冬鬼はとある庭に足を止めた。

 あまりに綺麗に咲いた椿の赤が目を止めさせたのだ。

 しかし庭は荒れ、手入れは行き届いていない様子である。

 空き家だろうか、と目をやると、あまりに綺麗な歌声が聞こえ、思わず耳を傾けた。

 そして、鯉の泳ぐ池のほとりで静かに歌う女性を見つけた。

 彼女の歌声は、まるで水面に零れ落ちる月の光のように、心を静かに撫でる。

 近づいてみると、彼女は金色に輝く瞳で冬鬼をじっと見つめ、そして、また鯉と話し始めた。


「餌の時間ですか?」


 その様子に、「不思議な女性だな」と見つめる。

 冬鬼の視線に彼女はもう一度、こちらに視線をくれた。


「迷ったのですか?」


 彼女の赤が斑に混ざった黒髪と金の瞳は、人魚島の娘たちとは全く異なる。

 首元に浮かんだ、黒と赤の模様も神秘的に見えた。

 その美しさに、冬鬼は思わず息をのんだ。

 

「いや、女性たちとの会話に疲れてな。休ませてくれないか?」


 冬鬼がそう頼むと、彼女は静かに頷き、鯉の餌を差し出した。

 二人は言葉を交わすことなく、ただ静かに鯉に餌をやり続けた。

 彼女の横顔は、彼がこれまで出会ってきたどの女性よりも強く、そして美しく見えた。



「冬鬼様!」「冬鬼様、どちらにいらっしゃいますか〜!」「冬鬼様〜〜!」


 自分を探す声が聞こえる。

 帰らなければならない。

 冬鬼は名残惜しげに、彼女に別れを告げた。


「お迎えが来てよかったですね」


 そう、彼女は少し微笑んで見せた。


 彼女の名も身分も知らないまま、彼の心には彼女の姿とその歌声が深く刻まれた。





 それから数日後。


「彼女でなければ、私は結婚しない」


 冬鬼の言葉に、人魚島の長は困惑した。

 赤が斑に混じった黒髪で金の瞳、首元から下に赤と黒の模様がのある女性など、たった一人しかいない。

 しかし、まさかあの女を欲しがるとは、物好きなと長は思った。

 長としては、月詠も自分の娘であり、棚から牡丹餅である。

 しかし、本妻と茉莉花がどう思うかと思えば、手放しでは喜べなかった。


 茉莉花は、冬鬼と自分が結婚するものだと信じて疑っていなかった。

 それを妾の子である醜い女に奪われたと思えば、彼女のプライドはズタズタになるだろう。

 長は茉莉花を溺愛していた。


 そんな奇抜な特徴を持つ娘はいないと否定し、茉莉花を冬鬼に推薦する。

 しかし冬鬼は「彼女でなければ」と頑なだった。


「国中の女性を連れてこい!」


 冬鬼の強い意志に、長はとうとう観念した。

 これ以上隠し通せば、鬼島の怒りを買いかねない。

 鬼島に侵略されては、人魚島はひとたまりもないだろう。


 長は、隠していた月詠を冬鬼の前に連れ出すしかなかった。


「やっと会えた」


 再会を果たした冬鬼は、感動のあまり月詠の手を握りしめる。


「あの、俺と結婚してくれませんか?」


 突然の申し出に、月詠はぽかんと口を開けた。


「結婚って、何ですか?」


 彼女の困惑を纏った言葉に、冬鬼も急過ぎたと反省する。


「えっと……では、デートでも、どうですか?」


「デート?」


「その辺を散歩しましょう」


 冬鬼に誘われた月詠は、困惑しつつ長を見る。

 長は鬼たちの機嫌を損ねては悪いと「行ってきなさい」と指示した。

 長が言うならと、月詠は頷く。



 海岸沿いを二人で歩きながら、冬鬼は自分の置かれた状況を説明した。


「俺は、鬼の島の長になるために人魚島の女性と結婚しなければならない。だが、人魚島の女を、女として見ることができないんだ。だから、形だけの結婚をしてほしい。掟には、子供を産まなければならないという文言はないから安心してほしい。俺は君に絶対に手を出したりしない。一年ほど妻になってくれないか。一年経ったら、君の好きにしていいから」


 冬鬼の言葉は、まるで夢のように甘美だった。

 月詠には「結婚」の意味はわからない。

 しかし「好きにしていい」という言葉だけが、心に響いた。

 それは、月詠がずっと望んでいた「自由」を意味していた。


 月詠は、その青白い唇をわずかに開き、静かに頷いた。


「はい」


 その微かに微笑んでみえた月詠の表情があまりに綺麗で、冬鬼は照れて彼女から視線を反らすのだった。

 海がキラキラと輝き、綺麗な景色であった。

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