10-3
「忘れてなんかないよ。あの人、嘘ついてる」
時が止まったようだった。
すぐには彼女の言葉を理解することができなくて、頑張ってその言葉の意味を咀嚼しようとする。でもダメだ。どれだけ考えたって、分からない。向井さんは今、何を言った……?
「どういう意味……? 忘れてない? 嘘ついてる?」
思った以上に自分の声が震えていることに気づく。真実を受け入れたくないというわけではなく、単純に頭の中が混乱していた。
「言葉通りよ。瑠伊は事故に遭った時、確かに頭を打って中学時代の記憶を思い出した。でも、
「は……」
信じられない。
なぜ? どうして? どうして彼はそんな嘘をつく必要があったの?
すぐさま疑問を彼女にぶつける。すると彼女は「さあ」と首を横に振った。
「理由までは教えてくれなかったわ。でもそうしなくちゃいけないんだって。だから私にも協力してほしいって頼んできた。ひどいよね。私の気持ち知ってるくせに。瑠伊は……いつも、あなたのことをいちばんに考えてるのよ」
「……」
驚きすぎて言葉が出てこない。瑠伊が私のために、私のことを忘れたふりをしていた?
理由を考えてもやっぱり訳が分からない。どうしてそれが私のためになるのか。
私は、瑠伊に忘れられたと思ってとてもショックだったのに。
「理由が知りたいなら、あいつに直接聞くことね。それと瑠伊、夏休みに入ったら親について海外に行くって言ってたわ」
「え、海外?」
予想もしていなかった展開におろおろと彼女を見つめる。
「そう。お母さんがフィンランドの人でしょ。どうやら残りの高校生活はそっちで過ごすみたい。親御さんの都合だって」
「そんな……」
なんということだ。
瑠伊がもうすぐ日本からいなくなってしまう。
考えていなかった彼との別れが唐突に、雷が落ちてきたみたいにズドンと現れてその場から動けなくなった。
「そういうわけだから、直接聞くのもタイムリミットが迫ってると思うよ。どうするの?」
向井さんはもう泣いてなんかいなかった。
赤く腫れた目でしっかりと私を見据えている。「あなたが決断するの」と私に訴えかける。本当は、こんなアドバイスだってしたくなかっただろう。私が向井さんの立場なら、恋敵である私と、片想いの相手である瑠伊の心の距離が縮まるように仕向けたりしない。きっともっと意地悪してしまうだろう。瑠伊が海外へ行ってしまうことだって、わざわざ伝えないと思う。
それでも向井さんは私に教えてくれた。
彼女の懐の広さを思い知り、打ちのめされる。同時に思い浮かんだのはいつも私の失敗を笑って許してくれた優奈の顔だ。
『夕映は私に光をくれるひと。だからまっすぐに、自分が信じる道に進んだらいいんだよ! 絶対大丈夫だから』
放課後の文芸部の部室から西日を眺めながら彼女が私に笑顔を向けてくれたことを思い出す。確か、中学生限定の小説のコンクールで落選して落ち込んでいた時に励ましてくれたのだ。
かたちは違うけれど、優奈も向井さんも、弱い私を受け入れて前に進むための背中を押してくれる。
だったら、私が取るべき行動は。
「私……瑠伊と話してくる」
進むべき道は、決して平坦ではない。
険しい坂があったり、でこぼこで歩きにくかったり。時には大きくジャンプして跳ばなければ渡れないような場所だってある。
でも進み続けていれば絶対にいつかは目的の場所に到着する。
どんなにゆっくりでも、歩みを止めなければ、私が選んだひとつの未来を掴むことができるのだ。
できればその場所は、瑠伊と選んだ未来がいい。
だって私は、こんなにもきみに恋をしているのだから。
「だからそうしてって言ってんじゃん」
泣き笑いのような切なさに滲む顔を浮かべた向井さんにさよならを告げる。
「今度焼肉奢ってよね」
なんだか彼女に似つかわしくない「焼肉」というワードにくすりと笑いがこぼれる。
「分かった。夏休みにね。それから、ありがとう」
向井さんがほっとした様子で私を送り出してくれた。
上履きから下履に履き替えて、正面玄関へと急ぐ。瑠伊は普段親御さんに車で送迎をしてもらっていると聞いた。だから、親御さんの車を校門前で待っているのではないかと考えた。
少し遠くから車のエンジン音が聞こえる。
「やば、もう来てる」
ちょうど前方の校門の外で白い車が止まっていて、瑠伊が後部座席に乗り込むのが見えた。
「ちょっと待って!」
車に向かって叫ぶ。全力で走りながら、彼に向かって声を張り上げる。
「瑠伊!」
閉まりかけた後部座席のドアが再び開いて、瑠伊が顔を出した。
「夕映」
全力で走ってくる私を見て両目を大きく見開く瑠伊。ようやく車まで追いついて、運転席に座っている瑠伊の母親に「すみません!」と謝った。
「瑠伊、どうしても話がしたい。今から話せない?」
昨日と一昨日、LINEすら避けていたのにもかかわらず急に私が駆けてきて、彼はきっと戸惑っているだろう。
けれど、何度か目を瞬かせたあと、母親に「一緒に乗ってもらってもいい?」と聞いてくれた。母親は「いいわよ」と日本語で頷く。
「話そう。真白湖でもいい?」
希望の光が差したみたいに、彼の声がやわらかく私の耳に降り注ぐ。
「う、うんっ。お願いします」
逸る気持ちを抑えながら、瑠伊に促されて後部座席に乗り込む。久しぶりに瑠伊の隣に並んで座った私は、走り出した車が真白湖に到着するまで、ずっと心臓の音が激しく鳴っていることばかり感じていた。
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