6-2

 潮風園芸公園の最寄駅までは、電車で四十分ほど揺られていた。

 駅からは公園直結で、歩いて三分で入り口まで到着した。

 アーチ状の門に、「ようこそ潮風園芸公園へ」と大きく書かれている。窓口でチケットを買って、早速中へと入った。


「潮風が気持ちいいな。海沿いの公園ってやっぱり最高」


 瑠伊が大きく伸びをしながら感慨深そうにつぶやく。彼の言うとおり、海沿いに位置するこの潮風園芸公園にはその名の通り、潮風を感じられる。駅を降りた瞬間に気づいた。


「でも、あいにくの雨だね」


「まあそこはしゃーない」


 そうなのだ。雨が降っているので、本当ならばもっと爽やかに感じられるはずの潮風が、雨と一体化してベタついている。夕方には上がると言っていたけれど……本当に止むのか怪しいぐらい、空は分厚い鈍色の雲に覆われていた。


「花はちゃんとあるだろ。晴れを想像して絵を描くから安心して」


「そんなことできるんだ」


「ああ、もちろん!」


 瑠伊が胸を張って答える。「行こう」とこちらに手を差し出してきたのを見てぎょっとする。


「あ、えっと、これはその……一応、紳士的な? 雨だし滑って転ぶかもしれないだろ」


 自分で自分の仕草が恥ずかしくなったのか、照れながら言い訳を考える彼が、どことなく可愛らしい。


「ふふ、ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて」


 本当は私だって、めちゃくちゃ恥ずかしかった。

 だって、男の子と手を繋ぐなんて、本当に初めてだから。

 そっと握った彼の手は、この雨の中でもほの温かく、もう自分は一人ではないのだと思い知らせてくれる。

 傘をぶつけ合いながら、濡れた地面の上を、ほくほくと歩いていった。




 公園の中は思った以上に人気ひとけがなかった。それもそうだろう。この雨で、こんな大きな公園に来ようという人は少ない。

 地図を見ながら、「風車の丘」と銘打たれたエリアへとやってきた。その名の通り、小高い丘のような場所に、風車がどーんと鎮座している。風車の周りには、紫陽花が敷き詰められるようにして咲いていた。


「わ、綺麗な紫陽花! 見て見て!」


 青、紫、薄いピンク、濃いピンク、と様々な色の紫陽花が見事に咲き誇っている。雨に打たれて水滴を乗せる花びらは、晴れの日に見る紫陽花よりも何倍も紫陽花らしさが伝わって、あっと胸を打たれた。


「すげえな、この紫陽花の数。こんなの見たことないや」


「昔来たことあったんじゃなかったっけ?」


「あるけど、前来た時は六月じゃなかった気がするから。季節ごとに花は植え替えるだろ? だからここで紫陽花を見るのは初めてだ」


「なるほど、そっか。初めてなんだ」


 瑠伊が「初めて」ここで紫陽花を見たというのがなんだか嬉しいし、誇らしい。

 私と一緒の「初めて」の思い出が増えていったらいいな。

 そんなふうに考えている自分がいて、胸がきゅんと高鳴った。


「絵はここで描くの?」


 気になったのでふと聞いてみた。今日は絵を描くのが目的でやって来たのだ。絵を描くとなれば、腰を据えてじっくりとここの風景を向き合う必要があるだろう。


「いや、まだ来たばっかりだし、もう少し散策してから描く場所を決めよう」


「分かった」


 瑠伊に連れられて、一度「風車の丘」を後にする。

 そこからさらに、「バラ園」「洋館の庭」「日本庭園」「コスモス広場」などを順番に回っていく。季節の関係上、バラとコスモスは残念ながら咲いてなかった。代わりにハナショウブやダリアなど、六月に咲く花を見ることができた。


 一つのエリアに到着するごとに、彼は「ふんふん」と頭の中で何か思案するように頷く。絵の構図を考えているのかもしれない。その瞬間の彼はとても真剣な面持ちをして思考に集中しているように見えたので、あまり話しかけられなかった。それでも、繋いだ手からはずっと彼の温もりを感じて、心はほっと温かかった。言葉がなくても繋がっている——そんなふうに感じて、胸が躍ったのは秘密だ。


「ちょっと休憩しようか」


 一通り回って、残すところエリアは「海辺の花さじき」という場所だけになった。

 彼に言われて時計を見ると、時刻は十二時半を回っていた。

 どうりでお腹が空くわけだ。気を抜いたら腹の虫が鳴ってしまいそうで、慌ててお腹にぐっと力を込めた。が、努力虚しく、間抜けな音が響く。瑠伊が目を丸くしてククッとおかしそうに笑った。


「もー笑わないでよ……!」


 あまりの恥ずかしさにどんどん顔が火照っていく。繋いでいた手をさっと離した。


「わりぃわりぃ。でもあんまり可愛いからつい」


「……可愛いって、もう。やっぱり私のことからかってるでしょ!」


「そんなことないって。夕映は世界でいちばん可愛い」


「……!!」


 今度という今度は、彼の顔を直視することができなかった。瑠伊も、言ったそばから照れているのかプイッと顔を背けるのはやめてほしい。発言には責任を持ってもらうからね!


 どうでもいい問答を繰り広げながら、近くにあったカフェに入った。そこで、私はミートソースパスタを、彼はオムカレーライスを食べる。思ったよりもボリュームがあって、しっかりお腹が膨れた。

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